2023年6月初め、ソーシャルメディアではウクライナの攻勢作戦が始まったという情報が拡散されました。占領軍がウクライナ軍の進軍を阻止しようとする試みを示す最も重要な出来事のひとつは、ウクライナ南部で起きた大規模な犯罪であるカホウカ水力発電所のダムの爆破でした。その後、6月10日にウクライナのゼレンシキー大統領は攻勢が実際に進行中であることを確認しました。主な攻撃はドネツィクおよびベルジャンシク方面に集中しました。それ以来、ウクライナ軍は徐々に敵の防衛ラインを突破し、占領された地域を解放し始めました。
2022年にウクライナの領土の解放が始まって以来、ウクライナーは「脱占領(ウクライナ語:Деокупація)」プロジェクトを立ち上げました。2022年の春から秋にかけて、私たちのチームは国内の様々な地域の解放された都市や村を訪れました。
2023年6月11日、ウクライナはドネツィク地域のブラホダトネ村をロシアによる占領から解放したことを発表しました。同じ日には、隣のネスクーチュネ村を解放したことも発表されました。そして6月13日、マカーリウカ村が解放されたことが明らかになりました。ドネツィクとザポリッジャの間にあるこれらの市町村を占領から解放したことは、ベルジャンシク方向でのさらなる領土解放の原動力となる可能性があります。7月、私たちのチームはこれらの地域に近い戦線に向かい、この方面で進軍している軍人に話を伺いました。
モニュメントには以下のように書かれています:「ヴェリーカ・ノヴォシルカ村。1779年にギリシャ移民によって創設されました。」
襲撃の準備:地雷除去と渡河設備の設置
ウクライナ軍の第37および第35独立海兵旅団の兵士は、ドネツィク地方のネスクーチュネ村・マカーリウカ村・ブラハダトネ村の解放に参加しました。彼らは、ウクライナーのチームに、それがどのように起こったのか、そして進軍中の地域の地雷除去や突撃に関する体験談を共有してくれました。
時折、人々は海兵旅団が陸上作戦を実施することに驚くことがあります。これは、彼らが海上での戦闘に特化しているという俗説が存在するためです。実際、海兵旅団は陸海空で活動している、と兵士たちは説明しています。海兵旅団は、海岸線での進攻戦闘を行い、海軍基地や海岸にある重要施設を防衛します。彼らは優れた訓練を積んだ実に万能な戦闘員であり、そのため必要な場所で戦闘任務を遂行します。海兵旅団が他のウクライナ軍の部隊とは異なることを軍人は強調しています。
「我々はエリート部隊であり、最も優秀である。我々は海兵旅団隊員であり、忠誠心が強く、常に先陣を切る。」と言います。
オレクサンドル (コードネーム:「マエストロ」)は、工兵であり、軍隊に入隊する前に民族舞踊団のディレクターとして働いていました。2018年、彼は人生の何かを変えようと決意し、軍隊に入隊しました。
ウクライナ兵によると、彼らは2023年5月末に陣地に到着し、6月5日に既に攻勢作戦を開始ました。工兵たちは、主に夜間や朝早くに、ダムへの接近路の地雷処理を行っていました。「マエストロ」もその一人です。
「車で移動して、その後はずっと歩きます。少なくとも2~3人の兵士が地雷探知器を持って移動します。他のものたちは彼らの後ろを歩き、通った道に印をつけます。何か見つけたら、それに対処し、地雷を横に移動させます。余分な爆発はすぐに注意を引くので、その場で破壊しないように心掛けています。だから、音を立てないように、すべてを静かに行います。」
ダムへのアクセスがクリアになったら、工兵が作業を開始し、渡河ができるようにします。つまり、地雷を除去し、埋め戻し、重機が通過できるように地面を補強します。これらの整備された渡河点のおかげで、兵士たちが敵の陣地をすぐに突破できるようになるのです。
「他の工兵部隊と協力して、ダム自体に渡河路を整備しました。ダムは敵によって掘り返され、対戦車用塹壕がありました。突撃の前夜に、私たちはそれを埋め戻し、翌日には装甲車の列が通過できるようにしました。反攻が行われたときは、最初の上陸からこの渡河路を乗り越えて兵士たちはすぐに突撃にかかりました。」
道路上のたった一つの地雷によっても、全車列の進行が停止する可能性があります。つまり、最初の車両がそれに当たると、後ろにいる全車列が取り残されてしまいます。また、狭い道路ではUターンが不可能なため、それにより敵の格好の標的となってしまいます。
「攻撃作戦が進行する際には、すべてが迅速な決断をもとに行われます。そこに「飛び込む」ためにどれほどの勇気が必要か、想像もつきません。兵士は、自分たちが敵の正面に直接向かって「飛び込んで」いることを知っています。私たちは、自分たちが見られていて狙われる可能性があることを理解していますが、気を抜くとさらに時間がかかることを知っているからこそ、任務に集中しています。」
突撃:空中偵察・砲兵・歩兵
第37旅団の部隊の1つは、渡河を行って突撃に向かいました。最初に陣地では敵に対して空中偵察が行われます。そして突撃の直前に、兵士を援護するために砲撃が使用されます。ウクライナ軍は、敵を包囲するため、複数の方向から同時に進軍しました。最初の数時間で、占領軍は猛攻撃に耐え切れず、林の陣地から撤退せざるを得なかった、と「マエストロ」は述べています。
「マエストロ」によれば、「彼らはそのような急襲を予期していなかったかもしれません。なぜなら、準備はかなり長期間にわたって行われてきたものの、その準備は隠密に行われてきたからです。彼らがただ単にそのような一斉攻撃を予期していなかったのだと、私には思えます。」
突撃は最も難しい段階ではありません。なぜなら、ロシア軍が多くの致命的な「サプライズ」を仕掛けてくるからです。最も難しいのは敵の撤退だと「マエストロ」は考えています。ロシア軍は事前に対戦車地雷や対人地雷を陣地付近にばら撒くため、全陣地に地雷が仕掛けられている可能性があります。そのため、兵士たちは1メートル幅の狭い通路を進むしかないです。
「手作りによる地雷設置を見かけることもあります。ロシア兵の誰かが木に手榴弾をくっつけてワイヤーを引いて残されたものを見たこともあります。」
占領から解放された領土での確認作業や復興はどのように行われているのか?
第35独立海兵旅団に所属する兵士のボフダン(コードネーム:「ディーキー」)は、2013年にマイダンでウクライナの欧州統合路線を応援した学生の一人で、「尊厳の革命」の参加者となりました。その後、父親を見習って軍隊に志願しました。
突撃後に兵士たちは少し休憩するもののそれはわずか数日間だけ、と彼は説明しています。なぜなら、まだ奪還された地域での確認作業や復興が残っているからです。占領軍の中には逃げる者もいれば、逃げ切れない者もいます。そのため、撤退された陣地には多くのロシア兵の遺体が残ります。
「占領から解放された直後の地域での確認作業で、敵があんな状態でしか残っていないことが分かるのです。『ロシア人は絶対去らない』と彼らは言っていました。そして、ご覧の通り、彼らは去ることができませんでした。約束を守っています。まあ、ああいう状態になっていますが、約束を守っています。」
ウクライナ軍が解放された地域を撤去している間、ロシア軍は第二次世界大戦中のドイツ軍のように「ラウドスピーカー」戦術を使用しているそうです。
「マカーリウカ村を奪還し、大隊とともに3つの通りを完全に制圧し、すでに陣地を確保していました。そして夜になると、ロシア兵たちは照明弾を投げ始め、その後(スピーカーで)音楽と子供の泣き声を流し始めました。それは一晩中流れ続けました。また、『降伏しなさい』、『ジュネーブ条約の規則に従ってこの後扱われます』という言葉でずっと邪魔していました。」
ロシア兵は必ずしも投降するとは限らないのは、ウクライナの軍により彼らに対する拷問が行われるとその指導者が脅しているからだと、「ディーキー」は語っています。しかし、ウクライナは国際協定に基づく義務を果たしており、ロシア兵捕虜には食料・衣類・衛生用品・医薬品、さらには家族との連絡手段まで提供しています。しかし、侵略者はそれでもなお、ウクライナ軍をファシストやドイツ人(*いわゆる、「敵」、「ナチス」)と呼んでいます。
「無茶苦茶です。でも、ドイツ人と呼ばれる方が”お気に入り”です。『私はウクライナ人だ』と私が言っても、彼らは常に『ドイツ人』と呼んできます。ドイツ人または『青いやつら』とも呼んできます。『青いやつら』と呼ぶのは、私たちが青いテープを付けているからです。」
ウクライナ人とロシア人は大きく異なる
「ディーキー」は、ロシアの指導者たちが自国民を惜しむことなく、彼らを「大砲の餌」として戦場に送り込んでいると考えています。占領者自身の家族も、父や息子のためではなく、1万ルーブルの支払いを待っているだけです。
「そういう国民なのです。彼らは妥協しない。人間らしいものは何もない。ウクライナでは既に教会が立てられていた頃(11世紀頃-編集)、彼らはあちらで(現代のロシアの領土で)昆虫を食べたりして、文字すらまだ知りませんでした。歴史は循環していて、そのような現代的な形として繰り返されています。我々はこのクズどもを懲らしめ、我々の土地から追い出すでしょう。そして、ロシアは崩壊し、そこには私と私の子供たちの一生の間に賠償金を支払っていく個々の国家的なものしか存在しないでしょう。
「マエストロ」は、ロシアは未だに近代以前の時代に生きていると述べています。そこには自由がなく、単に政府によって押し付けられた意見しかありません。
「そして我々、ウクライナ人は自由な人です。自由な人々は止められません。私たちには障害がありません。我々は誰にも指図されることなく、自由に生きたいのです。」
「反転攻勢とは、民間人の間での単語」
第37独立海兵旅団の報道官であるデニス(コードネーム:「ジャーナリスト」)は、全面戦争が始まる前まではメディアに勤めていました。彼は、軍人がある程度ウクライナ社会と西欧のパートナーからのプレッシャーを感じていると述べています。誰もが急速な進軍を期待していましたが、敵には徹底的に準備する時間があったため、今は状況が違う、と「ジャーナリスト」は説明しています。
「いたるところに地雷が設置されています。林、畑、そして自分たちの「200号」(*軍事的なスラングで、「死体」のコードを示す)にも躊躇せずに地雷を設置しているのですます。ロシア軍はこの方面に資源を集中させました。例えば、ここで作戦を始めたとき、ロシア軍の航空機はありませんでしたが、夕方と翌日には航空機が導入されていました。要するに、進軍することは非常に困難でした。遅く見えていることは理解できますが、その1メートル1メートルは懸命に私たちが勝ち取ったものです。そして、兵士たち、突撃兵、爆破工はまさに英雄なのです。」
軍人たちは、これらの攻撃行動を反撃とは呼びません。反撃という呼び方は民間人の間でより一般的なものであると、「ジャーナリスト」は指摘しています。兵士にとっては、これは遂行するべき戦闘任務です。
一方で、反撃への期待や民間人の注目が、ウクライナ兵よりもロシア兵へのプレッシャーになっていると、「ディーキー」は考えています。ロシア軍は常にウクライナ軍が新たな方面に攻撃を仕掛けてくるのではないかと予想しています。
「現在(2023年7月時点)、ロシア軍に対する企画されている攻勢の約20%が進行中です。しかし、我々の最高司令官が最近示したように、すべては静かに行われています。あまりにも迅速かつ静かに村々が解放されたため、占領からの解放が公になったのは、4番目の村が解放されてからでした。そして、マカーリウカ村はわずか1日で陥落しました。海兵旅団が彼ら(ロシア兵)を包囲したところ、彼らはただ逃げ去りました。」
「マエストロ」は、現在、ウクライナ軍の進軍に進展があると考えています。ウクライナの軍は新しい装備・最新技術・空中偵察を利用しており、戦闘任務への取り組みがより明確なものになっています。
「外国製の突撃車両や戦闘車両は、命を守るという点で非常に優れていることが証明されています。対戦車地雷で3台の車両が連続して爆発したものの、乗員は1人も負傷しませんでした。このような車両は本当に命を救います。可能な限り有益な仕事をしたいのは確かですが、命を守ることが最優先です。」
ダイバーによれば、ウクライナ軍ではボランティアが大きな力になっているとのことです。
「リヴィウ出身のマルタ・ルマネツを紹介したいです。僕は連絡が途絶え、電話番号も変えましたが、彼女はどこでも私を探しました。彼女は、例の「200号」(死亡者)のリストや捕虜のリストをすべてを目を通していましたが、希望を失わないませんでした。そして、彼女は妻を通じて僕を見つけました。今、再び協力し始めました。彼女は我々を助けてくれて、僕たちは彼女に色々な贈り物や戦利品を送っています。」
「ディーキー」は、欧米のパートナーからも支援が提供されていることを強調しています。装備だけでなく、訓練もその一環です。
「パートナーは支援を提供してくれており、訓練を提供してくれています。このペースで進めば、勝利は我々のものに違いないです。なぜなら、彼ら(ロシア人)は愚かな群れだからです。我々は祖国のために戦っていますが、彼らは皇帝のために戦っています。」
支援について
このプロジェクトは、チェコ共和国外務省の財政支援によるTransition Promotion Programの枠内で実施されている。ここに記載された見解は執筆者のものであり、チェコ共和国外務省の公式見解を反映するものではない。