20世紀の2度にわたる戦争の後、世界は「もう二度と」を約束しました。世界各国がこれを支持している一方で、ロシアはそれとは対照的な「必要とあらば行う」というスローガンでそれを打ち消し、ウクライナと全面戦争を開始しました。その「勝利フィーバー」で有名になった侵略国のロシアは、今でも第二次世界大戦のナラティブを利用しています。過去と現在のポスターのアイデアとその形式さえ、ほとんど同じです。
過去からのスローガン
第二次世界大戦中、ポスターは「情報の最前線」において、軍に対するモチベーションから民間人に対する奨励までを提供できる重要な部分でした。したがって、それらは当時の重要なアイデア、目標、価値観を捉えた歴史的遺物として重要です。一部のポスターは非常に巧妙に使用されたため、さまざまな国の人々がそれらの画像を引き続き使用しています。
しかし、ロシアはキャンペーンポスターに対する実際の芸術的関心を超え、それらのスローガンはロシアの文化的規範の一部になりました。
そのため、「母国のために」「ロシアのために」「ファシズムはなくならない」などの小さな変更を加えたスローガンは、過去からのリマインダーのように感じられます。繰り返し広く流通しているこのようなスローガンは、いわゆる「特別作戦」のプロパガンダを視覚化しながら現代ロシアで使用されています。
その結果、80年前のナラティブは、新しくよく試されたプロパガンダのツールであるだけでなく、戦争のカルトを育んでいます。
ウクライナ人と外国人の芸術家は毎日何十枚もの反戦ポスターや抵抗中のウクライナ人を励ますポスターを描いている一方で、ロシア人は、ほとんどの場合、すでに描かれた物を再利用しています。
自己検閲
結局のところ、ロシアの芸術家に平和主義のポスターを期待することは無意味です。ロシアでは、それらの作成はロシア軍の信用を傷つけるものと見なされる可能性があるからです。2022年3月4日に採択された「フェイクに関する法律」に従って、反戦ポスターやそれに関するアクセサリーでさえ、罰金を科されるか投獄されるリスクがあります。
ロシアのウクライナに対する全面戦争の開始に伴い、クレムリンはスローガンさえも検閲することを決定しました。「私は平和を支援しています」「戦争反対」などのスローガンは現在、正式に禁止されています。検閲されたリストには、ロシア当局が突然ロシア軍の信用を傷つけていると認めた「ファシズムはなくならない」というスローガンも、そのさまざまなバリエーションが検閲対象に含まれています。しかし、実際はソ連軍の勝利のスローガンとして、それはソ連時代に広く使われていました。
ロシア軍のくだらないスローガン
ロシアは検閲されたスローガンの代わりに新しいスローガンを作らなければならないものの、その新しいスローガンは初見で理解するのが難しいものとなっています。そして、なかには2回目でも分からないものもあります。作成されたミームの数では、ロシア国防相セルゲイ・ショイグがロシア兵站部隊について言及した「我々より優れている者はいない」という言葉から作られたものが一番多いです。
シンボル
ロシアは、ウクライナでの電撃戦を考慮し、ウクライナの都市であるキーウ、リヴィウ、オデーサの侵略を祝福する勝利のメダルを事前に作成しました。これらのメダルは、ウクライナの都市で勝利を収める際に占領者が着用する予定だったパレード用のユニフォームとともに、ウクライナ軍によって鹵獲または破壊されたロシア軍の戦車で発見されました。しかし、ロシア軍では、いつもと同じように、何も予定通りに行きませんでした。
どうやら、ロシアのキャンペーンマネージャーは、ロシアがまだ「特別作戦」と呼んでいるこの戦争のための新しいスローガンを頑張って作ろうとしませんでした。 一方では、これは彼らが公言している第二次世界大戦のカルトへの賛辞として見ることができます。たとえば、当時のシンボルである聖ゲオルギー・リボンや大祖国戦争の勲章、時には鎌と槌が付いたソ連の旗などにいたるまで、今でもロシア全国で使用されています。
しかし、おそらくロシアの治安機関のキャンペーンマネージャーと広報担当者の調整されていない仕事の最も印象的な例は、「Z」と「V」の文字です。これは、いわゆる「特別作戦」における意味が不明な(そして実際には失敗した)シンボルです。ロシアでは、そのシンボルが何を意味するのか誰も確実に説明することができません。ロシア国防省もプーチンも2月24日以来これに関する声明を出していないです。ロシアの軍事専門家は、それは特定の軍管区(Zは西、Vは東)への装備の所属を示していると示唆しました。
ロシアのジャーナリストの調査も失敗に終わり、このように説明を出しています。「侵略に対する一般的な支持を描写するように指示された行動および地域からの自発的と思われる活動の主催者は、それが何を意味するのか理解していません。」
これらすべてが、プーチンとヒトラーの比較を強くしています。ロシアの「指導者」はヒトラーの専制政治の方法に従って動いていますが、十分に根拠のあるシンボルと戦争の目標という少なくともこの2つの点において弱いです。
比較のために、ヒトラーは、ナチス会議(1923年)と彼の著書「我が闘争」(Mein Kampf、1925年)で党旗の象徴性について説明しました。赤い背景の白い円は国の純粋さと強さ、黒い卍は共産主義者とユダヤ人に対する激しい闘争への呼びかけを意味します。ロシア人が、「Сила V правде(日本語:真実の力)」「Zа победу(日本語:勝利のために)」「Zа пацаноV(日本語:友のために)」など、「Z」と「V」を誰もがしたいように解釈している一方で、ドイツ人はその衒学的な特徴を捨てませんでした。彼らは、ナチスのシンボルは45°回転されて両端が右を向いているものであるとしました。そして、それを「Hakenkreuz(ハーケンクロイツ)」と呼ぶことを勧めていました。これは、ナチスの卍を、世界中に広まっているこの人類の古代からの象徴的な他のグラフィック表現との明確な区別となりました。
ロシア人は、その場その場で「Z」と「V」の文字の意味を考えているだけでなく、可能な限りキリル文字の「З」と「B」を置き換えて、ウクライナでの戦争を支援しています。これらのシンボルやスローガンは、鶏の卵、衣類のタグ、マニキュア、クリーチと呼ばれるイースターケーキ、または風船にも書かれています。
一部の地域の地名も、戦争中に「近代化」される予定でした。たとえば、3月の初めから、ザバイカリエリエ(Забайкалье)地域は公式文書で「Zабайкалье」のように書かれることとなっています。公式ポータルとSNS上では、名前のスペルの両方のバージョンがあることが見られます。クズバス(Кузбасс)も同じく、「КуZбасс」になりましたが、現状ではサイトのロゴ変更のみにとどまっています。
ロシア人はこのイニシアチブを大いに支持していますが、他の国では逆の傾向が見られます。シンボルに「Z」と「V」の文字が付いているブランドは、ロシアの敗北のばかげたシンボルと関連付けられないように、それらを置き換え始めました。