ロシアによるウクライナに対する全面侵略が始まって間もなく、日本は前例にない程の支援をウクライナに対して行ってきました。政治的懸念に対する声明だけでなく、ウクライナとより緊密な関係を築くための機材の購入や資金援助、そしてウクライナとの協力プロジェクトなども行ってきました。2024年だけでも日本はウクライナ支援のために45億米ドルを拠出してきました。
この記事では、独立行政法人国際協力機構(JICA)中東・欧州部ウクライナ支援室の職員たちのストーリーと、JICAによるウクライナに対する支援についてお伝えします。ウクライナ人たちとの協力関係の構築、ウクライナへの出張、直面した課題やウクライナ人と日本人における共通点と違いについて、Ukraїner Internationalのボランティアとしても活動中のJICAインターンによるインタビューを通じて知ることができました。
ウクライナでのJICAの歩み
JICAの長田さんは業務のためだけでなく自分自身のためにウクライナ語を学んでおり、西原さんは今年の夏に初めてウクライナを訪れ、ウクライナの養蜂産業を視察する中で、心理療法としての効果を期待できるとされるミツバチの振動を用いた寝具に寝そべることを試しました。一方で、杉本さんはキーウの剣道道場に通っていますが、その道場ではただ一人の日本人であるとのことです。これらは、ウクライナとの協力とパートナーシップの構築に尽力し、そして電力インフラから教育分野、メディアまでの様々な分野における継続的な支援に精力的に取り組んでいる国際協力機構(JICA)ウクライナ支援室及びウクライナ事務所の日本人スタッフのストーリーです。
キーウでのウクライナ非常事態庁への機材供与の様子(写真提供:JICA)
JICAの東京にある本部は、いわゆる政府機関のような大きな部屋とずらりと並んだ机が並ぶ環境となっており、この職場で約800人の職員とインターンが働いています。JICAは多文化的な組織で、アジア、ヨーロッパ、アフリカなどの世界各国と仕事をしています。様々な国の特徴がある中で、例えば出張のお土産や思い出の品など、シンボルや文化的な品物を通じて、ウクライナという存在がはっきりと示されています。窓のそばの壁にはウクライナの地図がかかっており、JICA職員の一人は出張から持ち帰った、ウクライナで「善良と繁栄」を象徴するモタンカ人形を机の上に置いています。また、デスクにはウクライナ語での各月の名前を書いた紙が貼ってあり、共有スペースの脇にはクッキーやキャンディ、そして多くのチョコ(ウクライナのチョコは本当に美味しいとのこと)などといったウクライナのお菓子が並んでいます。JICAのウクライナ支援事業は、東京の中心部にあるこのオフィスで推進されています。
写真:クカー・ダリナ
全面侵攻が始まる以前から、JICAはウクライナのインフラプロジェクトに携わってきました。その一例として、キーウのボリスポリ空港拡張事業をJICAは行いました。また、日本はウクライナのエネルギー、財務管理、地域コミュニティ開発などの支援を行ってきました。しかし、2022年2月に始まったロシアの全面侵攻により、キーウで勤務していた日本人職員は避難を余儀なくされました。
JICAのウクライナ事務所の杉本聡駐在員は、2022年2月の出来事を次のように振り返っています:
「2022年1月下旬になると、ロシアが本当に侵略を開始するかもしれないとの懸念が高まりました。アメリカ大使館の家族に対する退避勧告を皮切りに外国人の国外退避が始まり、JICAの日本人スタッフも避難を余儀なくされたのです。2月24日に侵略戦争が始まり、私はウクライナへ戻ることができなくなりました。このためモルドバに活動拠点を移し、オンラインでウクライナ支援の業務を行いながら、2022年の12月以降は時々キーウに短期で出張するという日々でした。(中略)全面侵攻が始まるまでは、キーウの剣道道場に通うなど、ウクライナ人と積極的に(業務外で)交流していました。今年の1月からキーウでの業務を再開し、また剣道の稽古も再開しています。」
ウクライナ非常事態庁への機材提供式に出席している杉本さん(写真提供:JICA)
ロシアの砲撃や本格的な侵攻による脅威によりJICA職員はウクライナを離れましたが、支援は拡大しました。以前は欧州地域を担当する部署がすべてを担っていましたが、今は別の異なるチームとなり、活動しています。
JICAのウクライナ支援室の小早川徹室長は次のように述べています:「侵攻の翌日からすぐに(ウクライナへの)財政支援に着手しました。その額は6億米ドルにのぼります。後日、ウクライナ財務省の代表から、その段階で即座に支援を得られたことはウクライナの人々にとって非常に有益なものであった、という言葉をいただきました。」
小早川さんは、リモートで業務を遂行していかなければならず、ウクライナの人々はJICAについてあまり知らなかったことから、意思疎通に時間を要したため最初は大変だったと述べています。
小早川さん(写真:クカー・ダリナ)
2023年11月にJICAはウクライナに戻り、キーウの事務所を再開しました。JICA職員は頻繁にウクライナへ出張に行っています。ウクライナへの出張の際には、彼らも夜中でも警報が鳴ればミサイル・ドローン攻撃から逃れるためにホテルの地下の防空壕へ避難していますが(防空壕として、例えば地下鉄駅のような地下は、ロシアによる爆撃が行われる際に隠れることができる一番安全な場所となっています)、ウクライナのお土産を日本に持ち帰り、ウクライナの思い出を共有してくれます。
日本がウクライナを支援している理由についてJICA職員に尋ねると、日本の政府機関であるJICAは日本政府の方針に基づいて活動していると言います。ウクライナを支援し、ロシアによる侵攻は力による一方的な現状変更であり許されるものではないということをロシアと世界の国々に対して明確に示すことが、法の秩序を重視する日本の方針だと説明します。また、G7参加国としての日本の支援は、G7の他の参加国の方針に沿ったものです。小早川さんによると、日本はロシアとの国境に面しているため、ウクライナの問題は日本にとっても遠い問題ではない、とのことです。「今日のウクライナで起こっていることは、将来の東アジアにとって現実的なものとなるかもしれません」という岸田元首相の発言を小早川さんは引用しています。また、困っている人たちを支援する等、個人レベルでも重要なことだとJICAの職員は考えています。
JICAによる種子配布のための準備公共団体「ハルキウ州立相談センター」スヴィトラーナ・ハポニクによる撮影(写真提供:JICA)
日本によるウクライナに対する支援
戦時下にある国をJICAはこれまで支援したことはなかったため、JICAからウクライナに対する支援は前例のないものでした。この点について杉本さんは次のように述べています:「今までJICAは、アフガニスタンやイラクなど、内戦や戦闘が終結した国への支援を幅広く実施してきました。しかし、ウクライナのように戦闘が続いている状況での支援はこれまで経験がありませんでした。」
日本の支援は、「ウクライナの国家基盤を支える協力」「地域安定化に向けた周辺国とウクライナ避難民の支援」「復旧・復興への支援」という3つの柱を軸に行われています。ウクライナ政府への支援(戦時下という困難な状況における政府機能の遂行)、戦争によって他国に避難した人々に対する支援、そしてウクライナの復興と再建の支援です。これは、円借款、無償資金協力、または技術協力を通じて行われます。例えば後者では、ロシアによるエネルギーインフラへの攻撃によりウクライナで頻発している停電に備え、変圧器や発電機の供与が行われています。また、JICAは地雷探知機や地雷除去機などの地雷除去のための重機も供与しているほか、ウクライナの農業セクターを支援するためにヒマワリの種を零細農家に配布する支援も行いました。ウクライナが世界最大のヒマワリ油輸出国(年間700万トン近く)であることからも、日本ではウクライナとヒマワリがよく結びつけられています。
小早川さんは簡潔にJICAの機能について説明してくれました:ウクライナ政府、民間セクターと日本政府との橋渡し役として、必要な支援を見極め、日本から資金援助を実施しています。そして、その資金はウクライナでプロジェクトを実施するために使用されます。JICAには農業や教育などを専門に扱う部署もありますが、ウクライナ支援室の仕事は、そうした部署とウクライナとの間の業務を円滑に進め、調整することです。
「ウクライナの人たちがよく言っていたのは、『JICAが私たちの要望をよく聞いてくれて助かった』ということでした。JICAは相手国が必要としていることをよく聞く必要性を理解しているので、一方的に『これがあなた方には必要でしょう』と押し付けるような支援は行いません。」と小早川さんは述べています。
JICAが提供した地雷除去のための重機(写真提供:JICA)
JICAのウクライナ支援室のインターンとして、インターン期間が始まった初日に、ウクライナ非常事態庁(SESU)の職員を対象とした研修を視察しました。SESUの職員は、JICAがウクライナに供与している地雷除去機の操作方法を学ぶために、ウクライナから日本に来ていたのです。その後、彼らはカンボジアに派遣されました。1975年から1989年まで、カンボジアは隣国ベトナムと戦争状態にありました。カンボジアでの戦闘が終了して以来、戦争で残された爆発物によって2万人近くが死亡し、約4万5千人が負傷しています。除去が必要な地雷の数は何百万個にものぼります。カンボジアは2000年代初頭から自国領土の地雷除去を行っており、現地の専門家たちはこの分野で豊富な経験を持ち、地雷除去技術では世界有数の経験を持っていることで知られています。
地雷・不発弾対策支援(カンボジアALIS研修)、東北大学の佐藤教授(写真提供:JICA)
JICAは地雷除去機だけでなく、戦争でインフラが破壊されたことにより発生した瓦礫などのような破壊廃棄物の撤去のための機材や、停電時に必要となる発電機も提供しています。「日本が非常に大きな支援をしていることは、ウクライナの人たちも一般的に知っていると思いますが、その内容がどのようなものであるかについてはあまり知られていないようです。遠く離れた国からやって来て、地雷除去などのような本当に必要とされる技術を学んでいる人たち(ウクライナ人たち)を見ると、この支援はより実態に即したもので、より具体的なものだと感じます」とインターンの一人であるワルサヴァ・ボーギは述べています。
JICAから提供された発電機(写真提供:JICA)
ウクライナの教育とビジネスの発展に対する日本の支援
JICAは、子どもたちに対する適切な教育を保障することに力を入れています。ミャンマー、ニジェール、マダガスカルなどのような開発途上国を中心に教育に対する平等な機会を確保するように努めており、またJICAはエジプト・日本教育パートナーシップを設立して日本の教育基準を導入したり専門家を派遣したりしています。ウクライナでは、教育が無償であること、教育を受けられる環境が整っていること、しかし戦時中であるため困難な状況であることなど、教育の状況はやや異なります。JICAは主にリモート学習のためのコンピューターやその他の機器を学生に供与しています。興味深いことに、ポーランドやモルドバ(モルドバでもJICAは様々なプロジェクトを実施している)のようなウクライナ国外に住んでいる避難民に対する支援も行っています。
例えば、長田さんはウクライナとポーランドのプロジェクトに携わっています。ポーランドでは、ポーランドに住むウクライナの子どもたちに対する教育環境改善のサポートや、ウクライナ国内避難民に対する様々な分野での支援に注力していきたいと考えています。ウクライナ避難民を支援するポーランドのNGOに対してもJICAは支援を行っています。ちなみに長田さんはウクライナ語を勉強しており、そのことが業務に役立つこともあるそうです。まだ会話は練習中なものの、少しだけ本を読んだり動画を見たりすることはできるとのことです。
長田さん(写真:クカー・ダリナ)
教育プロジェクトの一環として、JICAは過去にキーウ工科大学にウクライナ日本センターを設立しました。JICAが協力している他の国にも同様のセンターがあります。これらはすべて、両国間での文化交流を促進することを目的としており、ウクライナ人はそこで日本語を学ぶだけでなく、日本文化についても学ぶことができます。また、漫画やアニメの普及により、日本に関する興味はウクライナ人にとって非常に高いものとなっています。
JICAはまた、ウクライナのビジネス環境の支援や、日本とウクライナの企業間の橋渡しを行なっています。長田さんもこれに携わっています。長田さんによると、日本では現在、インフラ事業を含めウクライナに関心を持つさまざまな規模の日本企業14社に対してJICAは積極的に支援しているとのことです。その中には、ウクライナのハチミツを使った菓子製造を目指す日本企業もあります。
将来的には、JICAがスタートアップの領域でもウクライナと協力する可能性があります。また、JICAはNINJA(Next Innovation with Japan)という、発展途上国でビジネスイノベーションを起こすためのビジネスを支援するプロジェクトを行っています。JICAはすでにロボット技術、IT、ヘルスケアの分野における複数のプロジェクトをウクライナで支援しています。「ウクライナの場合、特にIT分野のスタートアップが日本よりも盛んです。侵攻が長期化している以上、経済や雇用に対する支援はもちろん、人々が普通に暮らせる環境を維持することも考えていかなければなりません。そのため、ビジネス関連の取り組みには今後も参加していきたいと考えています。まだ確定したことではありませんが、今後JICAとしてどのような取り組みができるのか、日本企業だけでなくウクライナのスタートアップ企業を支援することができないか考えていきたいと、私は思っています」と、杉本さんは述べています。
2022年1月、ウクライナでNINJAプロジェクトが始動されている様子
原子力安全保障に資するプロジェクトにもJICAは取り組んでいました。2011年の福島第一原子力発電所での事故後、日本は廃炉作業やその他の復興活動を継続しており、また人々が暮らすことができるように復興を進めています。ウクライナに対するロシアによる全面侵略戦争が始まる前から、JICAでは日本の大学とウクライナとの福島復興に関するプロジェクトが進められていました。チョルノービリ原子力発電所付近の放射線量を監視するシステムを共同開発しながら、日本とウクライナの専門家たちはその場所で将来的に暮らしていくことができるかどうか、といった判断材料になるデータを分析していました。福島大学と筑波大学がウクライナと共同で復興に向けた研究を実施していました。杉本さんによれば、侵略戦争が始まるまでは順調にプロジェクトが進んでいたものの、侵略戦争初期に、ロシア軍がベラルーシ経由でチョルノービリに進行して、チョルノービリを軍事キャンプ化した際、多くの関連施設や資機材が破壊・盗難されてしまったため、残念ながら多くの研究成果が失われてしまったとのことです。
さらに、JICAはNHKと協力して、「ススピーリネ」(ウクライナ語:Суспільне)というウクライナの放送局への支援を行っています。「ススピーリネ」はウクライナ最大の独立系メディア(公共放送)で、ウクライナ国民の税金から資金が賄われています。「ススピーリネ」にはラジオ、テレビ、デジタルプラットフォームが備わっています。このように、JICAは、日本で暮らしているウクライナ人が両国の架け橋となることを期待した支援も行っています。
スライドショー
ウクライナの課題
戦時中である現在と戦後という2つの課題があると、JICAは捉えています。杉本さんは、戦闘が終了した後の復興における潜在的な課題を例に、以下のように述べています。
「第一に、多くのウクライナ人が戦争によりウクライナ国外へ避難しました。それに加えて、学校での勉強に集中できたはずの子どもたちは、長い間しっかりとした教育を受けられていません。コロナウイルスによるパンデミックの際には、オンライン学習で教育の質をどこまで保障できるのかという課題がありましたが、侵略戦争が始まった後は、そもそも基本的な教育プログラムを子どもたちが受けられる時間がそもそもない可能性があるというリスクがあります。また、多くの人たちが日常的な攻撃により精神的に苦しんでいます。動員される若者も増えており、その中で身体障がい者になる人もいます。人口ピラミッドも大きく変化しており、仮に戦闘がすぐに終わったとしても、その人たち(精神的および身体的に障害を抱えた人)がすぐに社会に適応できるのか、社会の形を戦争以前の姿に再び戻すにはどうすればいいのか、ということが懸念されます。すぐに元の姿に戻るのは難しいでしょう。」
小早川さんによれば、現在のウクライナには課題がいくつかあるとのことです。「まず、ウクライナの人々が納得する形で戦争を終わらせる必要があります。戦争が終わらない限り、本格的な復興は難しいでしょう。また、ウクライナの汚職問題を解決することも重要です。特にオリガルヒの問題などのように、経済的な独占があると、日本を含む外国企業のウクライナへの進出が難しくなります。外国企業からの投資を呼び込むには透明性が重要だと思います。さらに、労働力の問題もあります。(今は海外にいる)優秀な人材が将来的にウクライナに戻ってくることが期待されています。戦争による頭脳流出が起きているので、海外で繋がりを築いた優秀な人材が戻ってきて、ウクライナの再建に貢献してくれることが重要です。」
小早川さんは、持続可能な開発、環境、エネルギーの分野での学位を持っています。環境の持続可能性が研究テーマである小早川さんに、再生可能エネルギーと、その技術がウクライナの復興にどのように応用できるかについて尋ねました。小早川さんによると、ウクライナのエネルギーインフラに対する支援は、大きく緊急支援、修復、防御、復興の4分野に分けられますが、いずれも同時並行的に行っていくことに難しさがあると言います。EU加盟を見据えた復興を考えるときには“build back better”(より良いものを作り直す)という原則が適用されます。つまり、再建されたインフラはより効率的で環境に優しいものである必要があります。これは長期的な視点からの解決策ですが、ウクライナの人々は今、何よりもまず第一に生き残ることを考えなければならず、緊急支援を考えた場合に環境が二の次にならざるをえない現実もあると言います。
日本の課題
日本にとっての課題のひとつは、流動的なウクライナの支援ニーズの変化でした。小早川さんによると、ウクライナがエネルギーインフラに被害を受けた当初、ウクライナ中から発電機の調達依頼があったそうです。JICAは発電機を購入しましたが、短期間のうちに多くのインフラ施設が復旧し、発電機が不要となりました。しかしその後、ロシアが再び攻撃を開始したため、再び発電機が必要となりました。
ウクライナでの戦争に関する日本のメディアでの報道について、杉本さんは次のように述べています。「日本のニュースで伝えられなくなってしまうと、ウクライナで起きていることは忘れられてしまいます。ウクライナでの状況だけでなく、世界にはこのような悲惨な状況がたくさんあります。日本語には『喉元すぎれば熱さを忘れる』ということわざがあります。そのようなことが起きないように、関心を持ち続けることが大切です。キーウでは、多くの人が他の国で起きていることを注視しており、それはニュースでも伝えられています。例えば、日本のある会社はパトリオットミサイルの製造ライセンスを取得しており、これがアメリカに輸出されることで、間接的にウクライナを支援する形になる、といった報道もありました。日本ではこのニュースを目にする機会は少なかったですが、ウクライナでは広く報道されました。」
戦争に対する日本人のスタンスについて、杉本さんは次のように述べています。「戦争についての質問を避けるのではなく、私を含めて、日本人は自分たちのスタンスを見直すべきです。時代は動いており、何が軍事的なもので何がそうでないかを定義するのはもはや難しいことです。例えばパトリオットミサイルは、ウクライナにとって、敵を直接攻撃するためのものではなく、ロシアの攻撃から人々を守るためのものです。日本人の中には、軍事に少しでも関係するものに対してアレルギーを持つ人もいますが、日本はこうした問題をもっと深く考察し、議論を進めていく必要があります。私自身は、21世紀の世界はより平和なものになると思っていましたし、まさかこのような侵略戦争が起こるとは思ってもいませんでした。しかし、これが現実であり、我々はこのことを真摯に受け止めなければなりません。」
戦争が始まってからウクライナで変化したこと
杉本さんは、2020年に初めてウクライナを訪れた際、ウクライナの人々が日本に対して非常に好意的な印象を持ったと振り返ります。「他のヨーロッパ諸国では『ニーハオ』などと言われることも多いのですが、ウクライナではむしろ『こんにちは』と言われるんです」と杉本さんは振り返っています。
キーウの鉄道駅に到着したJICA職員(写真提供:JICA)
過去10年間におけるウクライナの変化について、小早川さんは、誰かが「戦争前と比べてウクライナの人々の英語力が急速に向上している」と言っているのを聞いて、ウクライナの国際化が大きく進展していることの現れではないかと述べています。「この点について、日本人も学ぶべきことが多いと思います」と小早川さんは述べています。
杉本さんはウクライナの状況を次のように捉えています。
「人によって意見は違うと思いますが、私も侵攻が始まったとき、日本のTwitter / Xで毎日戦争の様子を追いつつ、『もしウクライナが存在しなくなったら、どうしよう?』という考えが頭をよぎりました。キーウの攻防戦(2022年春)に関しては、外国の支援によってウクライナ軍が勝利したのではなく、ウクライナ軍の努力によるものでした。開戦当初はウクライナの国家としての存続が懸念されましたが、現在はそのような懸念は比較的落ち着いていると思います。ミサイル攻撃を破壊するシステムもある程度は開発されています。この面では一応の安心感があります。(中略)もちろん、ウクライナの人々は普通の生活を送ろうとしていると感じていますが…ここ数カ月(2024年春から夏にかけて)、電力施設への攻撃が多く、今年の冬はかなり寒く厳しいものになると予想されています。多くの人が『この冬を乗り切ることができるだろう』と意気込んでいます。もし日本が同じような状況に陥ったら、同じように行動することができるのだろうかと考えさせられました。」
日本とウクライナがお互いに学ぶことができること
ウクライナ政府やウクライナのさまざまな組織は、いろいろなメディアを使ったコミュニケーションに概して優れていると指摘します。「ウクライナ国防省は、ある国の援助に対して感謝の意を表す際、その国の文化に合わせて言語や内容を変えていますよね。例えば日本では、ウクライナ国防省からの感謝のビデオで使用されていたBGMは坂本龍一の『戦場のメリークリスマス』でした」と、小早川さんは述べています。
小早川さんは、他にも興味深い点を次のように教えてくれました。「ウクライナ人は一人一人の突破力が強いと感じます。サッカーで例えるならストライカーの国でしょう。一方、日本は協調性を重んじる国で、パスを出すのは得意ですが、チームの外で個人で突破するのは苦手としています。シュートだけでもパス回しだけでもサッカーができませんし、この(個人とチームワークの)バランスが重要なのです。ウクライナには優秀な人がたくさんいますが、日本人にとってはチームワークが弱いと感じることもあります。逆に日本人は個の力が弱いです。これはお互いに学ぶべきことだと思います。」
小早川さんは、次のようにも述べています。「現在日本に避難しているウクライナの人々は、メディアの報道を通じて、平和な世界に慣れた日本人に平和のありがたさを教えてくれています。そして、平和への脅威によって祖国から逃れてくる海外の人々を受け入れることについて、改めて考える機会を与えてくれていると思います。」
JICAの日本人が見る将来の姿
長田さんによれば、日本によるウクライナに対する支援の規模の大きさに驚く人が多いとのことです。一般的に、日本は東欧諸国よりもアジア諸国との結びつきが強いので、そのような規模の支援は、前例のないものとなっています。
JICA職員のデスク(写真:クカー・ダリナ)
戦後のウクライナの行方について、杉本さんは次のように述べています。「日本が第二次世界大戦後にどのように復興を遂げたか、また、数々の災害をどのように乗り越えてきたかなど、さまざまな事例があります。技術やプランニングの面で何か有益なものがあるのではないかと思います。個人的には、日本から学ぶだけでなく、お互いに学び合うことも重要だと考えています。今では、JICAの研修を通じて、おもに公務員がウクライナに短期研修に来ています。また、今年からウクライナでの留学プログラムも再開しました。日本の機材や製品が、援助やビジネスを通じてウクライナの復興の一助となれば嬉しいですね。」
杉本さんは、日本とウクライナがより積極的に協力できる分野に関する考えについて、次のように述べています。「ウクライナで発展しているIT、デジタル、サイバーセキュリティなどのような新しい産業は、日本でも注目されています。ですから、このような分野で私たちはお互いに協力できると、私は考えています。また、ウクライナに来るといつも思うのは、食べ物がとても美味しいということです。特に果物や野菜は、いつ店に行っても新鮮で安く大量に手に入ります。食べ物も美味しいですし、値段も日本の物価水準からすると信じられないくらい安いです。農業国としてのウクライナは魅力的です。新鮮な果物を輸出するのは難しいかもしれませんが、それらを加工して美味しいウクライナの食べ物を日本に流通させられるようになることを、私は期待しています。日本には海外の新しい食産業に興味を持っている人がたくさんいるので、それをビジネスとして成立させられたら素敵だと、私は思います。」
一方でJICAは、すでに経験のある分野を中心にウクライナに対する支援を続けていきたいと考えています。その例が、地雷撤去、インフラ、教育などです。杉本さんは、まずはJICAがウクライナのために何ができるかということに焦点を当て、その上で二国間協力について協議することが重要であると述べています。
「日本人はウクライナへ行っていますが、ウクライナの忍耐力と同時に柔軟性、適応能力に驚かされています。そして、JICAの原理事が笑顔で述べられたように、キーウが攻撃を受けた後も朝を迎え、生活を続けている限り、ウクライナ人は不滅なのです。」