ボフダン・ロフヴィネンコ

インタビュアー, フォトグラファー, プレゼンター, プロジェクト企画, 企画

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東ヨーロッパ初のアカデミー大学「オストロフ」の復活

教育

東ヨーロッパ初のアカデミー大学「オストロフ」の復活

オストロフ・アカデミー大学は、ソ連式教育システムを継承するのではなく、より昔のウクライナ教育の伝統に基づいた教育を復活したウクライナの教育機関の成功例である。オストロフ・アカデミー大学は1576年に創設されたが、オストロジキー公とその息子たちの死後、1636年に荒廃した。ソ連時代、オストロフ市にあった精神病院が体制に異議を唱える学者や知識人の拘置所として使われたこと、そのオストロフ精神病院がソビエトの権力の象徴であったことから、市の名前はよく知られていた。しかし、ウクライナの独立に伴い、大学が復活すると、オストロフ市の全体のイメージも回復し始めた。

立入制限区域への帰還

リノベーション

立入制限区域への帰還

プリピャチ市は、明るい展望と恐ろしい結果の実例である。この町はすでに30年間放射性物質によって汚染され、放棄されている。今日、プリピャチ市は、伝説として語り継がれると同時に陰鬱な風景の地域、そして自然の勝ち誇る地域なのだ。同時に、それは世界レベルの都市型ミュージアムになる可能性を秘めた、巨大な人災の記念碑である。プリピャチ市の元住民達の中には、誰もが少なくとも一度は、この場所を訪れるべきだと確信している人達がいる。この町を訪れ、そして新たな「ゴーストタウン」が地球上に現れないように生きていくために。

ウクライナの電気自動車

ビジネス

ウクライナの電気自動車

先進国においてエコで経済的である電気自動車(EV)の需要が高まっている。去年(2018年)ウクライナはEVの販売増加で世界のトップ10に入った。しかし、人々が電気自動車を一般的に使えるようになるためには、充電スタンド等のインフラ整備を発達させなければならない。セルヒー・ヴェリチェウさんと「EcoFactor」というチームはガレージからスタートし、ハブを設立し、数世代の充電スタンドを開発し、レース使用に改造したZAZ-966でテスラに勝利し、オートパイロットの電動トラクターを造るという夢を持っている。そして充電スタンド用部品がモルダワンカというオデサ市の地域で製造されている。

オヌーカにとってのキーウ

アンバサダー

オヌーカにとってのキーウ

アンバサダーというプロジェクトでは、ウクライナの各著名人に、彼らにとってのウクライナの街について語ってもらう。 第十話では、歌手でバンドグループ・オヌーカのリーダーであるナータ・ジジチェンコが、壮大でいろんな顔をもつウクライナの首都・キーウを案内してくれる。 このプロジェクトの設立者であるボフダン・ロフヴィネンコは、ナータと共にこのモダンな街を作り上げている人達に会いに行く。

世界に知られていないペトリキウカ(2013年、UNESCO無形文化遺産に登録)

伝統

世界に知られていないペトリキウカ(2013年、UNESCO無形文化遺産に登録)

ペトリキウカはその名の通り、ペトリキウカ村で生まれた伝統的な民俗装飾芸術である。昔、ここに暮らしていた人々は自宅の壁、家財道具、楽器にペトリキウカを描いていた。現在、より様々なものにペトリキウカが描かれており、ウクライナのシンボルとなっている。さらに、2013年にはユネスコの無形文化遺産に登録された。このユニークなデザインは伝統的な道具であるコティヤーチカ(「猫の毛」の意)を使って、多くの画家によって描き続けられている。

カルパチアに紅茶の伝統が帰ってきた

ビジネス

カルパチアに紅茶の伝統が帰ってきた

ザカルパッチャ州に位置するヘンバ山にまるで磁石のように観光客を惹きつける場所が2013年に現れた。地元の人達はその場所の成功の秘訣についてずっと分かっていなかった。このチャヨヴニャ(ティーショップ)はまだメディアでも取り上げられておらず、お店の写真もどこにも掲載されておらず、広告を出すような新しくお客さんを獲得するようなこともしていない。しかし、その場所を知っていて雪道を旅してたどり着く人や、吹雪や雷雨の中でたまたまこの店を見つけた人が、山頂に位置するアットホームな雰囲気をもつこの店を訪れるのだ。

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