トップストーリー
本格的な戦争が始まってから1年以上が経過し、ウクライナの人々は毎日のように歴史的な出来事を体験し目撃しています。私たち一人ひとりがそれを理解しようと努めていますが、数カ月あるいは1年経っても起こったことのすべてを理解することは困難です。しかし、答えを探すことで、私たちは自らの個性や忍耐を強め、最終的には価値観を形にすることができるのです。
「ロシアは反欧米だ」 というテーゼはメディア空間でよく耳にされています。確かに、この国は、独自の方法ではなく、他国への反発姿勢を通じて自分自身を伝える一方で、ロシアも所有しているかような民主主義と欧米の価値観で自分自身を覆い続けています。「ルースキー・ミル(ロシアの世界)」は、文明世界の価値観や思考をひねったり歪めたりしてしまう歪んだ鏡のようなものです。
ブチャ、イルピン、ホストメリ — このキーウ近郊の小さな3つの街の名前は、今や世界中が知るところとなっています。2022年2月24日に全面戦争を開始したロシア軍によって行われたウクライナ人の大量虐殺が初めて明るみに出たのが、まさにこれらの場所だったからです。
3月には、占領軍の最初の攻撃目標となった、キーウ州のポリッシャ地方の複数の集落をめぐる熾烈な戦いが続きました。ウクライナ軍は4月の初めにこれらの地域を解放しましたが、それまでの1か月あまりにわたるロシアによる占領期間は、現地住民にとって真の苦難と悲劇の時となりました。ほとんどの期間は通信手段もなく、避難の見通しも立たず、何よりも、容赦無く街を破壊し、一般市民を殺害する残忍な敵に直面させられていたのです。
Razom for Ukraineは、尊厳の革命においてアメリカのウクライナ人により設立された市民団体で、ほぼ9年間の活動で、アメリカ・カナダ・ポーランドそしてウクライナの活動家の国際的な協会となりました。全面的な侵略の前までにも、この団体は膨大な数のプロジェクトに取り組んでいました。ウクライナの脳神経外科医のスキルアップや、アメリカでウクライナが必要なものを提唱すること、希少疾患の子供の治療のための資金調達やロシア・ウクライナ戦争の退役軍人と軍人の家族のためのプロジェクトの実施等を行ってきました。
破壊と悲しみに加え、ロシア占領軍は一時的に占領されたウクライナ領土の壁に数多く書き残しています。これらは、ロシアの侵略の残酷さと理不尽さを理解するまたとない機会となっています。
2022年4月以来、文化機関「ミジュヴハミ」のチームは、ウクライナ領内でロシア軍が書き残したものを収集しています。彼らはキーウ・ポリッシャ地方やスロボダ地方へ出張したり、オープンソースで資料を探したりしています。彼らの活動の成果は、「ルスーキー・ミール(ロシアの世界)」の真の意味を示すオープンアーカイブ「壁に残された証拠(Настінні докази / ナスティンニ・ドーカジ)」プロジェクトとなります(2023年3月に無償で利用可能になる予定。)このフォトストーリーは、「ミジュヴハミ」チームのメンバーであるロクソラーナ・マカルが説明するこれらの出張の1つに関するものです。
トップストーリー
2014年2月20日は、ロシアがクリミアの占領を開始した日です。ウクライナ人活動家の失踪、重要施設の占拠に伴う現地人に対する脅迫と彼らの「人間の盾」としての利用、そして偽りの住民投票の実施など、これらは侵略国が半島にもたらしたものです。クリミアの占領は、ロシアが「ロシア固有の領土」を返還したいという願望に対して世界がどのように反応するかを確認するためのリトマス試験紙となったのです。世界の大半はロシアの行動を非難しましたが、実際には、ロシアがウクライナの土地を一歩一歩食い潰していくのを、誰も、そして何も止めることができなかったのです。
ウクライナの現代史において、2月は運命的な変化の時期となりました。2014年のこの月、2013年11月にユーロ・マイダン革命として始まった「尊厳の革命」における平和的な抗議活動は、力ずくでの解決の試みにより、活動家と治安部隊の大規模な衝突に発展しました。革命に参加していた人たちは「尊厳の革命」における犠牲者107人を公式に認定し、彼らは「天の百人」と呼ばれています。天の百人の英雄の日は、当時の政府の政策に反発し、自由とウクライナの民主的な未来のために戦った人々の記憶を称えるために、2月20日に祝われるものです。
2022年2月24日は、何百万人ものウクライナ人の記憶に永遠に刻まれる日となりました。本格的な戦争が始まって1年経った今でも、この日の音や味や匂いをウクライナ人たちはよく覚えています。人生がこの日の「前」と「後」に分けられたのです。
あの2月の朝、ある人は愛する人を救いつつも急いで故郷や村から避難し、ある人は急いで救援所を設置し、ある人は防衛軍に入るために近くの軍入隊事務所に駆け込み、ある人は素手で占領軍の戦車を止めて単独で抵抗しました。混乱と怒りの中、ウクライナ人は自分たちの命と愛する人の命を救い、国の独立を守るために、あらゆるリソースを迅速に結集させました。