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ロシアによるウクライナへの全面的な侵略は、ウクライナ国内だけでなく、ポーランド、チェコ共和国やブルガリアからアメリカ、メキシコやベトナムまで、全世界のさまざまな地域でウクライナ人を団結させました。何千人もの人々がウクライナを支援しています。最前線のため車や救急車を購入したり、ウクライナ難民に住む場所を提供したり、ウクライナの人たちを支援するデモなどをしたりしています。今回は、ウクライナを支援するために団結したさまざまな国からのボランティアに関連したイニシアチブの数々を集めてみました。このリストはすべてを網羅しているわけではありませんが、団結したウクライナ人を打ち負かすことはできないことを明確に示しています。

近年、Ukraїner / ウクライナーのチームは、他国でのウクライナ関連の状況を調査し、ウクライナと海外のウクライナ人を支援し発展させるためのイニシアチブを作成している関係者や組織の話を記録してきています。さまざまな理由で移住を決めた人たちは、国際プロジェクトを実施したり、ウクライナの文化と教育を育んだりしています。

それについて、ドイツとイギリスに関する一連の記事、およびアメリカ、オーストラリアやエストニアからのいくつかの記事はすでに公開されています。ロシアによる全面的な侵略が始まって以来、ウクライナを支援する上でのウクライナ人ディアスポラの役割はますます大きくなっています。海外にいるウクライナ人たちは、ウクライナの防衛を手伝い、子供たちの命を守り、自分たちの声を届けるのを助けています。

ウクライナ軍と軍医への援助

2月24日のロシアの侵略後、ウクライナの軍人の人数は4倍になり、現在、この国は100万人以上の人々によって守られています。ウクライナ国防相のオレクシー・レズニコウによると、ウクライナの最前線は約2,500km(第二次世界大戦の前線に匹敵する長さです!)であり、さまざまな方面に対する防衛に備えるために、国は迅速に動員せざるを得ませんでした。国はこの危機状況の中、多くの人々に迅速に対応することができないため、一部のニーズはウクライナ人のボランティアによって賄われています。しかし、戦争中に必要なものをウクライナ国内で購入できない時もあります。その場合、国際物流は非常に重要です。海外からのボランティアは、車両、ドローン、医療機器、トランシーバーやその他の必要な物資をウクライナに届けています。

オランダからの医療機器と救急車

Zeilen van Vrijheid(「自由の帆」)という組織は、オランダで医薬品、救急車、医療機器を購入し、ウクライナの医療機関に届けています。組織の創設者のヴェロニカ・ムツエイは、全面的な戦争が始まって以来(8月現在)、80台以上の救急車をキーウ、ザポリッジャ、チェルニーヒウ、ミコライウ、ハルキウおよびウクライナ東部の多くの都市に送ったと述べています。その中には、未熟児の命を救うのに役立つ新生児用の救急車が4台あります。またボランティアは、消防車、負傷者を前線から輸送するための避難車両、および大量の医療物資も引き渡しました。

最初の輸送では、2台の救急車と7台の支援車両が派遣されました。2日間で、オランダからウクライナとポーランドの国境にあるクラコベツの検問所まで1,500 kmを走行します。戒厳令が敷かれている間、ウクライナ人男性は出国するために特別な許可を得る必要があり(全員がその許可を所得できるわけではありません)、外国人ドライバーは戦争が進行中の国へ車を届けるのを控えることもあります。ただしそれでも、ボランティアはいます。オランダからウクライナまで救急車を運ぶのを手伝って、帰国します。

—つまり、オランダの快適な場所ではなく、欧州連合の領土を通り、最後はウクライナの国境を越えることになります。

長旅にもかかわらず、オランダ、スペイン、ブラジルなど、世界中からのヴェロニカの友人や知人の多くは、ウクライナ人を助けることに賛同しました。ヴェロニカによると、軍の最高司令官のヴァレリー・ザルジニーも、救急車の支援に関して組織に感謝したそうです。その後彼女には「ウクライナ軍への貢献」を称して名誉バッジを授与されました。ヴェロニカは、活動の結果をみて生き甲斐を感じています:

—私たちがハルキウまで届けて偶然購入された車で、倒壊した建物の瓦礫の下から自力で移動できない250人以上の人々を避難させることができたのを見ると、もっと頑張りたい気持ちになります。

軍用ピックアップトラック

Travel Bastards社の共同設立者のタラス・ヴィンニクは、オリジナルの世界旅行を企画しています。ロシアの全面的な侵略が始まった時、彼は旅行中でした。カナリア諸島からワルシャワに来て、そこで友人と一緒にはヨーロッパで防弾チョッキを購入することを計画しました。しかし、防弾チョッキの購入において理解しないとだめな細かいポイントがたくさんあるとわかり、ウクライナ軍のためにピックアップトラックを購入することに切り替えました。

—すでに100台の車両を届けました。その中は、ピックアップトラック、救急車、負傷者を避難させるための車両、および四輪駆動車もあります。

 

最前線の軍人や軍医にとって車は非常に必要です。しかし、残念ながら、これは決して十分であることのない「消耗品」です。そのため、ボランティアは常に車を運んで来て、修理し、リヴィウで装甲や塗装を施しています。ウクライナの友人たちがこれを無料で手伝ってくれます:

—この車は戦争に行くという前提があるので、全車を可能な限り理想に近づけるようにしています。

タラスは、全面戦争の最初の週と比較すると、人々からの寄付の量は減少していると述べていますが、戦争は続いており、軍隊は弾薬、衣類、車両を必要としていること念頭に置くことが重要です。戦争中、兵士もボランティアも疲れ果ていますが、タラスは娘を見てやる気になっています:

—娘にはウクライナのイヴァーノ・フランキーウシクに住んでほしいです。娘にはよその国のツーリストになってほしくないです。娘には故郷の家で目覚めて、上からロケットが来るかもしれないという恐怖を感じずにそこをお散歩して欲しいです。私たちの子供たちが自由なウクライナで育ち、そこで自分たちの子供たちを育てることができるようにするというのが、みんなのモチベーションになっていると思います。

アメリカ:Razom for Ukraine

Razom for Ukraineは、アメリカのウクライナ人の団体で、ユーロ・マイダン革命の際に設立され、2014年以来ウクライナがロシアの侵略者と戦うのを支援してきました。ロシアの全面的な侵略が始まった時、アメリカの主要なウクライナ支援本部の 1 つになりました。2月24日の1週間前に、団体はウクライナ軍と領土防衛部隊用の救急キットの購入を開始しました。Razom for Ukraineは合計で数万個の応急処置キットをウクライナに送りました。その後、ボランティアはトランシーバー、ドローン、衛星電話でウクライナの防衛者たちを支援するようになりました。また、ロシアの侵略の影響を受けた町や村に支援物資を届け、戦闘地域の人々、国内避難民、解放された町や村の住民に人道援助を提供しています。

団体はまた、影響を受けたウクライナ人の人道的ニーズを提供するウクライナの慈善団体向けの助成金プログラムを確立しました。現在、約40の団体が参加しています。7月の時点で、ウクライナへ3,800万ドル以上の支援をしました。

アメリカ以外にも、台湾、香港、韓国、ヨーロッパ諸国など、世界各地から資金が送られています。Razom For Ukraineの理事会のメンバーのマリヤ・へンキンは、一般のアメリカ人の多大な支援に感動したと言っています。団体の本部は、人々が援助と一緒に送った手紙を保管しています。支援者のアメリカ人たちはボランティアに感謝し、なぜウクライナを支持するのかを説明しました。子供たちも書いていました。

―アメリカ人の大きな支持は、アメリカにいる私たちウクライナ人全員が、特に最初の数か月で感じたことです。

ウクライナ軍のためのドローン

オレクサンドル・チュチュンニク は、アメリカに15年以上住んでいる航空技術者です。 ロシアの全面的な侵略が始まる前は、主に航空関連のサービスに従事し、小型航空機を故郷に輸出していました。 オレクサンドルは現在、軍用のドローンを購入したり、友人たちと一緒に、垂直離着陸が可能な無人航空機を開発したりしています。

―「バイラクタル」に似ていますが、大きさはバイラクタルの半分で、翼幅は3.5メートルです。車線やカタパルトを必要とせず、最大100キロメートルの任務を実行し、2時間以上飛行することができます。

バイラクタル
時速222km まで加速し、24時間空中に滞空できるトルコ製の攻撃用の無人戦闘航空機。動作範囲は最大300km。

ドローン用の地上管制ステーションやソフトウェアが製作され、追跡アンテナや監視カメラ、赤外線カメラや地上のターゲットの座標を決定するレーザー距離計、衛星通信や無線伝送の妨害に対応した飛行用センサーが製造されています。

3月、ウクライナの領空を閉鎖することを要求する活動が世界中で行われたとき、オレクサンドルと友人たちは、ロサンゼルスとシカゴに「ウクライナの空を閉鎖して」「ウクライナのために祈って」というメッセージが書いてある巨大なウクライナの国旗を掲げました。そのキャンペーンは「空からの支援」と呼ばれていました。

―その後、効果的なドローン攻撃の動画が次々と登場し、「空からの支援」は有機的に「ドローンによる空からの支援」プロジェクトの次のステージへと変化していきました。

「ドニプロ」マンチェスター

オクサナ・ネピーヴォダ は、イギリスのマンチェスターに7年間住んでいるウクライナ人です。 全面的な戦争が始まったとき、彼女はウクライナの社会センター「ドニプロ」でボランティアを始めました。オクサナは他のボランティアと一緒にチャリティーフェアを開催し、グッズ、お土産、アクセサリー絵画など、ウクライナ人が製作したものも含めて販売しています。ある日、フェアではサッカーチームであるマンチェスター・シティに所属していた選手であるウクライナ人サッカー選手のオレクサンドル・ジンチェンコのTシャツが販売されました。ボランティアは、集めた資金でウクライナの医療機器を購入する予定です。

 

ウクライナ社会センターは、マンチェスターの中心部でロシアのウクライナへの侵略に反対する行進とデモをしています。2022年6月には、ウクライナの旗を掲げ、マリウポリの防衛者たちを支持するデモを行いました。

ウクライナからの避難民の支援

ロシアの全面的な侵略が始まってから、何百万人ものウクライナ人が戦争を逃れるために国外へ逃げてきました。外国の政府機関は、住居、補助金、および人道援助を獲得するためのプログラムを作成しています。そのほか、ウクライナからの避難民を支援し、家から離れた生活へ馴染むのを支援している非公式の組織もあります。

ポーランドでの避難民の支援

ヤナ・オパリーはスーミに生まれ、2021年からポーランドに住んでいます。2月24日以来、ほとんどの時間をウクライナからの避難民の支援に費やしてきました。ヤナさんは、全面的な戦争が始まった当初、人々を助けるためにあちこちに駆けつけ、3月末に明確な行動計画を立てたと言います。

 

 

それで彼女はウクライナ人の書類の手続きを手伝い始めました。多くのポーランド人もウクライナ人の書類手続きと就職活動を支援していると述べています。他のボランティアと一緒に、Informator Warszawaというウェブサイトを作成しました。そこでは、心理的支援、法的支援、衣服、宿泊施設など、ウクライナ人の支援に関する情報を見つけることができます。

ヤナは、ウクライナからの避難民を目で見分けていると言います。彼らは混乱していて、これからどう生きていけば理解していないため、ポーランドの他の人々とは異なります。ボランティアは避難民のための心理的な助けを探していますが、ボランティア自身も精神的なサポートを必要としています。

—ある時点で必要を感じて、心理カウンセラーに相談しました。2月24日までに、目の前にあった全世界は単に崩壊し、疲労から、ここ数日蓄積された疲労から、無力から、意識が塞がってしまったため、それに対処し、落ち着かせるために誰かが必要だったのです。今起こっていることや、そしてすべてが最終的にうまくいくのを説明してくれる人が必要です。

ブルガリアでのウクライナ避難民の支援

テチャナ・トシェヴァはブルガリアに12年間住んでいる言語学者で、ウクライナ語と文学の教師です。彼女は、2014年にロシアの占領者が自由を求めているウクライナ人を殺害しているのを見たときから、ウクライナの状況に深く没頭していると言います。

—ウクライナの人々は、自由と言語のために死ぬことができるという点で、ロシアの人々とは異なることを私は理解しました。その時、私にとってすべてが変わりました。私は自分が誰であるかを理解し、ライフスタイルを変え、自分自身や友人に対する態度を変えました。

テチャナは、ロシアがウクライナに対して全面的な戦争を開始するとは信じていませんでしたが、それが起こったとき、彼女はウクライナ人を助ける方法を探し始めました。ブルガリアの首都ソフィアでウクライナから避難してきた人を支援している「マザーウクライナ」財団を見つけました。財団では心理的サポートや支援物資を提供し、彼女はそこの活動家になりました。

―すべてが一般の人々によってもたらされています。私たちは食べ物、料理、物資などすべてをもたらしてくれるブルガリア人たちに頼っています。

チェコにおけるウクライナの子供たちへの支援

全面的な戦争の前、オレ​​ナ・ザフレビナはチェルニーヒウの美術学校で子供たちに教えていました。3月にプラハに避難し、そこのAVUギャラリーで、ウクライナからの避難民の子供たちのためのワークショップを開催し始めました。子供たちは絵を描いたり、粘土工作したり、歌ったりしています。

オレナは、チェコの芸術家はウクライナ人を非常に快く接していると言い、特にウクライナ人の子供向けのレッスンを手配し、そこで彼女は時々通訳を務めています。子供たちは、キーウ、ブチャ、ハルキウ、ウクライナの中心部の都市、小さな村など、さまざまな都市から避難してきました。彼らはそれぞれ異なる物語を持っており、オレナは子供たちと彼らの経験について話します:

—ワークショップでは、鳥を主なトピックにすることにしました。子供たちが自分の鳥を作ることをお勧めします。絵を描いたり、カットしたり、仮面やコスチューム全体を作成したりして、子供たちが今欠けている人生の喜びを感じられるようにしています。私たちは非常に温かく迎えられ、全員が非常に良い住む状況になっていますが、私たち、特に子供たちはこういう温かい感情を依然として非常に必要としています。

コースの終わりに、オレナは春の到来と鳥のさえずりの始まりを意味する「鳥の行進」を開催しました。そのアイデアはチェルニーヒウで考案されました。芸術家は子供たちを集め、一緒に鳥の声を聞き、楽器を演奏しました。それによりみんなは春を感じたそうです。そして、全面的な戦争の間、「鳥の行進」はまた別の意味を獲得しました:

—私たちが戦争中にここにいることを考えつつ、この行進に別の意味を追加したかったのです。鳥は平和の象徴であり、私たちの勝利が毎日近づいていること、そして必ず訪れることを伝える機会です。

ハンガリーでのウクライナ避難民への支援

コスチャンティン・ボホルシキーは2014年からハンガリーに住んでいます。彼は、2月24日の朝、ロシアによるウクライナ爆撃のニュースを見て、冷や汗をかいたことを覚えています。ロシアの全面的な侵略の始まりは、生活の中で最も残酷な瞬間になりました。彼は仕事を辞め、ウクライナ人を支援し始めました。

―それ以外ありませんでした。人々が私の助けを必要としていることを理解していたので、私は助けなければなりませんでした。

ブダペストのウクライナ系ハンガリー人は当初、駅で避難民を出迎え、全面的な戦争から逃れてきた人を支援しました。その後、本部を作成しそこで団結しました。ウクライナ人がここに来て、必要なものを伝えると、運転手が必要なものをすべて避難民に届けます。彼ら自身が人道援助を集め、それをウクライナに届けています。

海外でのウクライナの支援行動

海外でできるだけ多くの人々がロシアのウクライナ侵略に関する真実を知ることが重要です。このトピックが世界の情報分野から消えないように、ウクライナを支援するための行動が世界のさまざまな地域で行われています。ウクライナ人たちを助けるために、そのようなイベントで募金が行われることもよくあります。以前、Ukraїner / ウクライナーでは、チェコ、モルドヴァ、リトアニア、オーストリアにおけるマリウポリを支援するデモ、ポーランド、ハンガリー、アメリカでロシア人によって殺害されたウクライナの子供たちの追悼、およびヨーロッパ人全体への情報支援について伝えています。

ベトナム

アリナ・リポヴェンコは、ベトナムの首都ハノイに約6年間住んでいます。ロシアの全面的な侵略の後、彼女は海外のウクライナ人がウクライナに残った人々を助けるべきだと考えました。アリナは、できるだけ多くの人々に戦争について話し、ウクライナ人を助けるように勧めることにしました。彼女によると、ベトナムのウクライナ人コミュニティが団結しているため、ウクライナを支援する人を見つけたり、イベントを開催したりするのは簡単だったとのことです。

最初のイベントはハノイのウクライナ大使館で行われました。約1,000人が訪れ、お土産を買ったり、ボランティアが用意した料理を楽しんだりすることができるイベントでした。このイベントで約50,000ドルを集め、全額をウクライナに送金しました。

ロシアとウクライナの戦争に関する公式のベトナムの中立的で時には親ロシア的な立場のため、多くの住民はキャリアを失わないように公にウクライナを支持することができません。よって、その次のイベントは非公式のものとなりました。しかしそれでも、多くの人が参加してくれました。その多くはウクライナに行ったことがある人たちで、彼らはウクライナ人に同情し、金銭的な支援をし、ウクライナのアーティストの作品を購入しました。アリナは、そのようなイベントが現在重要であると考えています。

—私たちは、私たちがどのような人物であるか、何ができるか、なぜ国を守るのか、なぜ助けが必要なのかを示しています。このように、ウクライナ人が自由であるべき理由を示しているのです。

メキシコ

アンナ・リスンは、メキシコの首都のメキシコ シティからウクライナ人たちを支援しています。彼女は、2月24日まで、市のウクライナ人コミュニティがウクライナ国境からのロシア軍の撤退を要求する平和的なデモをしたのを想起しています。しかし、全面的な戦争が始まったとき、人々は劇的に変わりました。

―ウクライナ人たちはもはや「すべての人に平和を」というポスターではなく「ウクライナへの勝利」というポスターを手に持って外に出ています。

毎週日曜日、コミュニティはメキシコシティでパフォーマンスを行っています。ある日、ロシアの兵士が民間人に対して犯した戦争犯罪に対し、女性たちが赤いペンキで覆われた白いドレスを着て通りに出ました。また、「血まみれの」家庭用電化製品を持ち込みました。これは、ロシア人がウクライナ人の家を強盗したことに対するものです。

—毎回デモには多くのメディアが来て、私たちは地元の新聞のコラムに載っていました。

その後、活動家たちはデモ行動だけでは不十分だと判断し、支援物資を集め始めました。メキシコ当局は軍への援助の収集を許可しなかったため、ボランティアはウクライナの民間人に医療用品と食料を提供しています。

―私たちの目標は、ウクライナで起こっていることを伝え、ウクライナは独立国でありロシアは侵略者であることをアメリカに示すことでした。

ポーランドとベラルーシの国境の阻止

活動家のナタルカ・パンチェンコは、志を同じくする人々とともに、ポーランドの首都でウクライナを支援するデモをしています。全面的な戦争が始まった日、ロシア大使館の前で侵略に対するデモを行いました。その後も、ロシアによる侵略に対して注目を集めるために、日々の活動を続けました。

―必要な薬のリストをインターネットに掲載し、人々にその購入をお願いしました。みんなはワルシャワ中を走り回り、薬局で薬を買い取り、持ってきてくれて、そしてドライバーが直接ウクライナに届けに行きました。

ナタルカは、空と海が閉鎖されているため、ヨーロッパからロシアに届くものはすべてトラックで輸入されるということを、彼女と活動家は理解していたと言います。よって、3月に国境でそのトラックの移動を阻止し始め、ポーランド政府とEU当局が一般的に侵略国への商品の供給を完全に禁止するよう要求しました。

—私は警察官に近づき、自発的な無期限のデモをすると伝え、すぐに申請し、トラックの前に出て立ちました。それで、最初のトラックが停止しました。トラックの前に人が立っていたからトラックが止まったのです。

ナタルカは、ポーランドの都市やウクライナから多くの人々が活動に参加したことを想起しています。そして、まさに多くの人たちが参加してくれたおかげで成功できたのです。4月には、ロシアとベラルーシからのトラックがEUに入ることを禁止されました。すでに欧州連合にあったトラックは、4月16日までに出国することになりました。

—もし私が一人で来て、トラックの前に立っていたら、何も変わっていなかったと思います。私たちみんなでそれを達成しました。すべてを捨てて国境に来てくれた人々のおかげです。デモに来てくれている人々のおかげです。何千人もの人々のおかげで、私たちのイニシアチブが注目されました。

ナタルカは、ウクライナ人はロシアの侵略について世界に伝えるべきだと確信しています。

—ウクライナについて伝える機会を大切に利用し、それを見逃してはいけません。この情報空間を揺るがし、常にウクライナで満たされるようにする必要があります。

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翻訳:

リュボフ・カルジリオ

翻訳編集:

藤田 勝利

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