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全面的な戦争のため、文化的イニシアチブは、主に軍と民間人を助けるためにその活動を変えました。しかし、もともとの使命は変わらず、創造し続けることです。 このようにアートは、困難な時代に人々の精神を支え、勝利を近づける特別な武器となります。 ドニプロ市にあるアートハウス「モドゥリ」は、アーティストたちが一度に複数の分野で支援を行っている鮮やかな例の1つです。

アートハウス「モドゥリ」は2016年にドニプロにオープンしました。アートハウスはオーディオ・ビジュアルアートが活発に実践された文化的な空間です。アートハウスには、独自の録音スタジオ、プロダクションスタジオ、コンサート会場、映画館、バー、ビーガンカフェや売店がありました。また、ここにはDJスクールと音楽レーベルDnipropopもありました。その後、「モドゥリ」はドニプロの別の場所に移動しました。 全面的な戦争が始まってからチャリティーコンサートを開催し、ボランティア活動しています。彼らは防弾チョッキ、応急処置キット用のバッグ、膝パッドを縫い、ウクライナ軍の車両を修理しています。

アートハウス「モドゥリ」の誕生の経緯

現在アートハウスのアートディレクターを務めるエウヘニー・ホンチャロウは、2005年にパーティーやフェスティバルを開催しました。彼は外国の芸術家をドニプロに招待したり、現代美術の展覧会を開催しました。その後、同じくドニプロ出身のミキタ・コザチンシキーと一緒に、そのようなイベントのために自分たちの場所を探すことにしました。このようにしてアートスタジオを設立するというアイデアが生まれましたが、2014年にユーロ・マイダン革命とロシア・ウクライナ戦争が始まりました。数年後にエウヘニーとミキタはその計画に戻り、かつて印刷所だった場所でスペースを開きました。

「モドゥリ」はその活動を通じて、エレクトロニック・ミュージックやオルタナティヴな演奏スタイルをサポートしてきました。創設者たちは、「アートハウス(Myttsivnya)」という言葉が彼らの活動を最もよく表していると言います。スペースはアーティストを結びつけ、言葉自体は独創的で非常にウクライナ語っぽく聞こえます。 グーグル検索でも簡単に出てくるものの、ロシア語に対応するものはありません。

2022年の初めに、チームは「モドゥリ」があった賃貸施設を7日間で退去しなければなりませんでした。開発者は、そこにオフィスセンターまたは駐車場を建設するために区画全体を購入しました。そして「モドゥリ」チームはドラホブラートへ行き、休暇を取ることを計画しました。その後、アートハウスの新しいスペースを探すつもりでした。しかし、全面的な侵略が始まったため、計画は勝利まで延期せざるを得なくなりました。

「モドゥリ」と大戦争

アートハウスにはアクティブな人々が集まり、全面的な戦争が始まったとき、ボランティア活動を迅速に組織し、ウクライナ軍を支援することができました。「モドゥリ」メンバーの多くの人々が軍に入り戦いに行き、残りのメンバーは彼らを助けています。今エウヘニー・ホンチャロウは「モドゥリ」をチャットに約100人が参加する仮想コミュニティと呼んでいます。彼らは、クロークスタッフ、サウンドエンジニアなど、何らかの形で「モドゥリ」に関与していた人々のために支援を集めています。このような相互サポートは現在非常に重要です。

— 支援の必要があればチャットに書き込み、募集は10~15分で終了します。関わっているみんなは何かをしようとしています。お金で支援する人、知り合いを紹介する人、ググって必要なものをすべて見つける人、手押し車で必要な物資を受け取りに行く人もいて、すべて私の家に運ばれています。私の家はNATOの基地のようなものだと私たちは冗談を言っています。全ては私の家に運ばれ、そこから前線に届けられます。

エウヘニーによると、ドニプロは2022年2月24日から別の生活スタイルになり始めました。街ほぼ全体がボランティア活動に没頭し、人々は集まりほぼ24時間体制で互いに助け合っています。多くの公的機関や慈善団体が活動を再編成し、人々が戦時下の新しい生活の現実に適応するのを支援する新しい有用なイニシアチブが登場しました。これは、2014年の市民の経験に影響されたものでした。なぜなら、ドニプロは今も昔も最前線に近い都市だからです。

— ドニプロのボランティア運動はより専門的になっていると私は思います。皆は1つの大きな家族または1つの大きな会社として働いています。つまりそれは非常に構造化されており、非常に専門的なのです。例えば文化センターがあるとすると、この文化センターの周りに集まるコミュニティが、ボランティア活動を始めたり、軍を支援したり、その他のニーズをカバーしたりする可能性が非常に高くなります。

軍用の装備

全面的な戦争が始まった頃、アートハウスのアートディレクターは、カテリーナ・ロディチェヴァに「モドゥリ」メンバーの防衛者のために防弾チョッキを縫うように依頼しました。彼女によると、エウヘンと付き合いが長くて、一緒に「モドゥリ」の壁のペンキ塗りをしていました。彼女の母親のアーラ・ロディチェヴァ は、以前は家具のカバーを行っていた場所で働いており、そこは現在、軍用の防弾チョッキ、応急処置キットバッグ、膝パッドの縫製を行っています。カテリーナは、最初の数日間は特に大変だったと言います。なぜなら、人々はすぐに連絡先を互いに転送し、彼女の電話には電話がたくさんかかってきていたからです。

— 3週間待った人もいました。それから、私たちのコミュニティの助けも借りて、最初のミシンを購入しました。そして、 サーニャ(製作所のディレクター)が さらにミシンを手に入れました。最初は2~3部屋くらい使用していましたが、だんだんボランティアで裁縫しに来てくれる人たちでフロアいっぱいになりました。そして、ボリュームはどんどん増え続けました。今はわずかに減少しています。というのも、現在では必要な装備が揃ってきたからですが、それでも、週に2、3回問い合わせのメールが届きます。私たちは誰もそれを拒否しません。

裁縫を手伝うことになったボランティアも、ミシンを持ってきました。戦時中に貸し出してくれた人もいました。そして、何台か新しいものを購入するために募金を募りました。現在、合計で10台以上のミシンを使用しています。カテリーナによると、最初の頃は生地が不足していたそうです。あらゆる所から材料を手に入れていました。たとえば、倉庫を回って耐火防水シートのロールを探していました。カテリーナの母は、防弾チョッキの製作技術者です。彼女は、兵士の希望を考慮してすべてを製作していると言います。

― 見本がなかったのです。私たちが作ったようなモデルは、もう誰も作っていません。私たち自身がそれ(防弾チョッキ)を開発したからです。兵士がそれを訓練場へ持っていって、私たちのところに持って来て、「これを変える必要があるとかそれを付け加えるとか」といったことを言うのです。

しかし、カテリーナは、このような結果を達成する前に、他の製作所へ行き、他の人が同様のことをどのように行っているかを見たと述べています。そうやって、自分たちのやり方を確認しました。

職人は、兵士が手榴弾などのポケットや無線をかけるための場所を作るように求めていると言います。その要望を聞き、結果として様々な改良を経て、高品質な製品が出来上がります。

兵士たちがすべてのウクライナ人を防衛すると同じように、自分の仕事で兵士を防衛したいということが、彼女のたゆまぬ努力のもとになっています。もちろん、戦闘中はこれらの製品を修正することはできないため、その縫製に責任があると彼女は言います。したがって、皆はすべてを責任をもって縫っています。この防弾チョッキは、誰かの兄弟、夫、息子、姉妹、娘、または母親に届く可能性があるということを誰もが理解しています。したがって、職人は、すでに使用している人のすべてのコメントと要望を慎重に検討するのです。カテリーナと母は、その品質をしっかりとチェックしています。

— 兵士や領土防衛部隊からのフィードバックがあります。何か疑問がある場合は、防弾チョッキをチェックできる所に確認のために持っていくことができます。しかし、戦争が始まってから今日まで、批判はなく、良い評価しかありませんでした。

カテリーナは、全面的な戦争が始まった最初の頃から、人々が支援しに来てくれたことを覚えています。 ボランティアは、カット後に残ったリボンを集めて迷彩ネットを織りました。数時間であっても、全員ができる限り参加しました。

— 手術後に杖を持って訪ねてきた女性もいました。 自分にも仕事を与えるように彼女は頼んでいました。

ウクライナ軍用車両の修理とジャズ

「モドゥリ」のコミュニティは、ウクライナ軍用車両の修理を積極的に支援し、購入ための資金を集めています。エウヘニーの友人のロマン・コロブキンは、かつて自転車で友人と一緒に「モドゥリ」の庭に来るのが好きで、今は車を修理しています。

― 兵士たちは、動けて「A」時点から「B」時点に移動できる必要があると言いました。それと同時に、私たちは資金を集め始め、ポーランド、ラトビア、その他の国から車を運んでくる人々に連絡を取り、私たちのニーズに合った車を見つけてくれるよう依頼しました。もちろん、それは新車ではないため、追加の修理が必要であり、それはローマンが取り組んでいることになります。

車の修理は常にある作業です。エウヘニーは1台を運転して兵士に渡しに行き、壊れているもう1台を修理に持って帰ります。エウヘニーは、必要な部品がウクライナで揃えられるような車を選ぶことが重要だと言います。また、車には迷彩塗装が必要です。彼によると、コミュニティのメンバーでデザイナーのホシャは、塗装のために常に寄付し(1台の車を再塗装するのに1万から1万2000フリヴニャが必要です)、ロゴも作成しました。そのロゴは前線で紋章として使用されています。

— 最も適したモデルは、もちろんランドローバーです。その部品はすぐに見つかり、すぐに修理できます。あとは三菱のピックアップトラックです。そして最後に買った車は三菱のハイブリッドでした。 なぜハイブリッドなのかというと、現在、燃料を取り巻く状況は非常に困難であり、少なくとも40kmバッテリーで走行できる電気自動車が非常に重要な役割を果たしているからです。この40kmは、ガソリンがなくなったときに命を救うことができます。

ハイブリッドカー
電動機と内燃機関を搭載した車で、バッテリーの充電と燃料の両方で動くことができます。

エウヘニーによると、自分自身が最前線にいると、あらゆる支援の重要性がさらによく理解できると言います。ドニプロと他の都市では戦争の感じ方が違うと彼は言います。

— 最前線にいることで、すべてのプロセス、すべてがどのように起こるかを理解する機会があります。 銃撃の音や爆発が絶えず聞こえ、ロケットが離陸した場所と着陸した場所を理解することを学べます。そうすれば、その仕事がいかに大変で、どれだけ危険かを理解することができます。そして、最前線で私たちを守ってくれる人たちにとって、それはどれほど大変なことかが分かるでしょう。

「門限下のジャズ」

前線で兵士を積極的に支援している一方で、「モドゥリ」アートスタジオのチームはアートを放棄していません。今ではそれは主に強力な資金調達ツールとして使用されています。人々は感情的に自分自身を解放し、ウクライナの利益のために善い行いを行うことができます.

エウヘニーは、DCCC(ドニプロ現代文化センター)のディレクターであるアンドリー・パラシュと共に、軍のための資金を集めるパーティーを開催しています。特に、軍用車両の修理のための資金は、「門限下のジャズ」という彼らの音楽イベントまたはTea Houseでの彼らのイベントで得られています。エウヘニーは、全面戦争の最初の月の後、人々に「文化を与える」のは必要だと理解したと述べています。それは、コンサートに行く人が気分転換をし、精神的なパワーを回復するのに役立ちます。DCCCには空きスペースがあり、「モドゥリ」には機器がありました。

— 私たちはレコードで音楽を再生します。 人々が来て、お金を寄付しています。それはオフラインです。オンラインの場合、私たちは常に投稿を書き、ずっと前にドニプロを離れてヨーロッパのどこかに住んでいるドニプロの住民に連絡したりして寄付をいただいています。大まかに計算すると、おそらく約150万フリヴニャを集めたと思います。そして、この資金で(最前線で)みんなを支援することができます。

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このパーティーでは、人々が最近の音楽を聴いたり、友達に会ったり、飲み物を買ったり、ウクライナ軍のために資金を集めたりしています。このようなイベントはすでに10回以上開催されています。最初はドニプロのアーティストが参加し、現在は他の都市のアーティストも参加しています。エウヘニーは、前線にいる人たちも、平和な街がどのように生きているかを見るために、音楽やビデオを送るように求めていると付け加えています。

—それは彼らを元気づけます、彼らはそれが好きなのです。「あなた達が生きている間、あなたができる間に楽しんで、そして心配しないでください。まるで人生最後の日であるかのようにすべてを行ってください。」と彼らは自分たちの投稿で述べています。いつ何かが飛んできてもおかしくないですし、すべてが終わる可能性があります。それで、あなたが行動すると同時に兵士を助けることができるなら、なぜ座って恐がっていられるのでしょうか。

「モドゥリ」が新しい場所で再び開始するとき、エウヘニーはそこに友人が署名したウクライナの旗を掛けたいと考えています。 そして、国のために戦い続けるつもりです。

アートハウス「モドゥリ」のクリエイティブなコミュニティは、さまざまなアーティストと常にコミュニケーションを取り、ウクライナを忘れず、侵略国のコンテンツの使用と普及を拒否する、つまりロシア文化をキャンセルするよう求めています。エウヘニーによれば、このように誰もが小さな貢献を少しずつ行っています。そして遅かれ早かれ、これらの努力は悪の帝国を打ち負かす強力な打撃となるでしょう。

コンテンツ作成スタッフ

Ukraїner創設者:

ボフダン・ロフヴィネンコ

企画:

ダリナ・キリチョク

編集長:

アンナ・ヤーブルチナ

編集:

レシャ・ボフダン

プロデューサー,

インタビュアー:

フリスティナ・クラコウシカ

写真編集,

フォトグラファー:

ユーリー・ステファニャク

ムービーカメラマン:

ロマン・クリムチャック

映像編集:

ナディヤ・メリニチェンコ

監督:

ミコーラ・ノソーク

音響:

アナスタシヤ・クリモヴァ

:

ラーナ・ステパノヴァ

コンテンツマネージャー:

カテリーナ・ユゼフィク

翻訳:

藤田勝利

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