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マリウポリの声とは、包囲されたマリウポリから避難することができた人たちのストーリーを聞くシリーズです。今回は、3月15日に夫と愛犬と共に一緒に街を出たフリスティーナとのストーリーです。当初、彼らはビロサライ・スピット(マリウポリから33km)の別荘に移住しましたが、ビロサライ・スピットに自称ドネツク人民共和国のメンバーたちが到着した後、彼らはほかの場所へ行くことにしました。

フリスティーナはリヴィウ出身です。彼女はハリチナ地方で生まれ育ち、ウクライナ中を旅し、その中で偶然新しい家を見つけました。最初に、フリスティーナはマリウポリに恋をし、次にそこの男性に恋をし、彼女は彼と結婚しました。夫婦は青い目のハスキーを飼い始め、急速に発展する都市での静かな生活を2月24日まで夢見ていました。その後、封鎖、砲撃、避難所、数分でのバックパックの用意、チェックポイントなど、様々なことが起こりました。そして、安全な場所への道のりは1,000キロもあり、2週間かかりました。彼女は、勝利後にマリウポリの失われた家に戻って、マリウポリ再建を支援することができると信じています。

私はリヴィウで生まれましたが、子供の頃からずっと旅をしていました。それで私はマリウポリに行くことにしました。2018年10月のことです。そこに行った時、海があるなんて知らなかったです!工場とその工場で働く人々が住む高層住宅がいくつかあるものと想像していました。ここに来てみて、恋に落ちて、ここにとどまることにしました。私はある日そこに行き、それから家に帰って荷物をまとめて、文字通り一週間か二週間で引っ越しました。

マリウポリは若い街です。絶えず進化しています。街は毎日進化しています。マリウポリでは、街が人々のための、そして人々についての街となるためにみんなが頑張っています。街を観光都市にし、人々が何度も何度も訪れて、この美しさを自分で見られるようにするために、多くの努力が行われています。今後数年間の都市開発計画を見たとき、私は今後5年間ここにとどまる決心をしました。計画はただ素晴らしかったからです。街はとても素晴らしいものなるはずでした。

2月24日、夫と私はオデーサからマリウポリまで電車に乗りました。電車は朝8時に停車し、戦争が始まったので電車はもうこれ以上走らないと言われました。私たちには自分たちで街に行くか、バスでポローヒまで行き、そこから避難するかの選択肢がありました。犬を友達に預けていたので、マリウポリに行くとすぐに言いました。

市内の電気、暖房、水道が消えると、すぐに廊下に移動しました。そこに必要なものをすべて移動し、生活空間を整え、実際には部屋に出ることさえしませんでした。何も起きていないときに、台所に駆け寄って何かを食べるものを取りに行くくらいでした。

私たちは完全に孤立していました。 4日ごろまでは、電源が機能していたのでなんとか電話を充電できていて、電波をキャッチしようとすることができていましたが、その後電源が機能しなくなりました。したがって、私たちには電波が基本的にまったくありませんでした。私が一番心配していたのは、私たちのことを心配している人たちです。なぜなら、家にいて、最低限の余裕、ある程度の安全があることを自分では知っていますが、自分が生きていることを親戚や友人に伝えることができなかったからです。したがって、当時彼らができたことは、私の住所が攻撃されてないかどうかを確認することだけでした。

3月15日にマリウポリを出発しました。朝、隣人が私たちに駆け寄り、「回廊があります!なぜ逃げないのですか?」それから私たちはほんの数分で準備をしました。私たちは2台の車で出発しました。隣人ともう4人が1台目の車に、他の6人が2台目の車に乗りました。そのため、私たちはビロサライ・スピットにある別荘(マリウポリから29 km)に向けて出発しました。

ビロサライ・スピットに着いたとき、私は泣き始めたのを覚えています。それは嬉し涙でした。私の夫は車から降りて、「ああ、私たちの国旗だ、よかった」と言いました。そして彼は一息つきました。そこでの最初の日は、空から贈り物が来たようでした。なぜなら、電気があり、バッテリーも機能し、プラグを差し込んで電話を充電できるようになったからです。やかんを置いて水を沸騰させることもできました。キャンプファイヤーも必要ありませんでした。

自称ドネツク人民共和国の人たちが、滞在3日目にビロサライ・スピットに来ました。朝の8時から9時くらいでした。私たちはボイラー室に行き、石炭を追加して、一服して、今日の計画と次に何をするかを確認しました。それから女性たちは店に行きました。私たちの近くに立っている灯台には国旗があったがいまはそれがないと言われました。国旗は外されたのです。それから私は癇癪を起こしました。

約1週間後、自称ドネツク人民共和国の人たちはパンを積んだ車を入れ始めました。私は人々が喜んでいるのを見ました。「私たちはパンを買いました、それは素晴らしいです!パンのかおりがします、それは柔らかいです!」と言っていました。私は、それは人々が彼らを親切に迎え入れるための単なる配布物であることと理解しました。彼らはまた店に行くと自称ドネツク人民共和国の人たちは、あなたが取引したいなら配達を手配するが、通貨をルーブルに切り替えてロシアに接続されたターミナルを設置する必要があると言いました。そして、私たちは最初に見つけたもの全てを車に積み、ここから出ていくことにしました。

私たちは、ビロサライ・スピットかメレーキネに住む運転手をしている一人の男性の連絡先を教えてもらいました。要するに、彼は私たちのいた場所から近くにいた人です。そして彼は支払いがあれば出発できるとのことでした。私たちが彼に電話したとき、彼は同意し、犬と一緒でも大丈夫と言いました。彼はベルジャンシクまで3,000フリヴニャだ、と言いました。私たちは「何ですって!?」と言い、現金がない場合はカードでも支払い可能か聞きました。彼は、可能だがその場合25%高くなるといいました。それは恐喝でしたが、私たちには選択の余地がありませんでした。

私たちがベルジャンスクに到着したとき、私たちが最初にしたことは、スポーツ複合施設に行き、134番か136番のバスでしたでしょうか、とにかくその列に加わることでした。しかし、私たちが外に出ると、ボランティアが私たちに近づいてきて「行きたいのなら、私の車に乗ってください。街の外の環状道路まで連れて行きます。そしてそこでバスに乗り換えて行ってください」と言ってくれました。したがって、私たちは行列に並ばずに済みました。

検問所の前で、私の夫は、ウクライナが管理している領域に着くまでウクライナ語を話さないように私に言いました。それは私が自分の言語を話すことを本当に恐れていた時でした。彼らを挑発することを恐れていました。ヴァシリウカの前の最後の検問所に到着したとき、運転手は後ろにきて、検問所が機能しなくなって通過できないので、今日はここで夜を過ごしますと言いました。そのため、すべてのバスは壊れたガソリンスタンドに停車していました。その時乗っていたバスで寝ました。朝8時ごろ、すべてのバスが一列に並びました。しかし、私たちは再び止められ、通過できないと言われました。 「なんで?」という感じです。そして彼らは私たちを通すことと引き換えに燃料を与えろと言いました。人々の命か燃料化という選択でした。

今、私はリヴィウにいて、安全です。でも飛行機の音が怖いとは思ってもみませんでした。今、私は飛行機が着陸するのを聞くと、震えてすぐに涙が出ます。その瞬間、何が起こっているのか理解できないからです。本当にここに来てしまったの!?と思います。

しかし、それでも、私は何も経験していないと思います。乾ききってしまったような気がします。イルペンやブチャで起こったことを見るたびに、罪悪感を感じます。マリウポリが包囲されている中、私は大釜で近所の人と料理をし、雨水を集め、雪を溶かし、犬と一緒に歩き、砲弾が近くに落ちるのを聞きました。その間、それは人々に落ちました。そして、家の廊下に座っていた私は、実際に何が起こっているのかわかりませんでした。マリウポリを出てインターネットをオンにしてから2日後にようやく自分がどこから来たのかがわかりました。

私の夫のいとこは、彼の目の前で戦車が人々を横切ったのを教えてくれました。そこには、動いていない死にかけている人たちがいて、戦車が通り過ぎた後には何も残っていなかったとのことです。また、彼は自分の友人の破壊された家を見ました。ミサイルが飛んできて家屋が破壊されるのを見たそうです。彼は友人を探して病院を歩きましたが、切断された人々を見たそうです。

今、私はボランティアをして他の人を助けたいと思っています。私たちは駅に行き、何が必要か尋ねました。しかし、マリウポリから来たと言うと、まずはあなたのためにすべてしますから座って休んでください、と言われます。そして座っていると、休むことができないことに気づきます。あなたは自分自身を落ち着かせる必要があります。ルーティンが必要なのです。ようやく私は100人規模のボランティア本部を見つけました。そこで私たちは、今後、駅で人々を調整し、そこに着く場所と方法、そして支援を求める場所を提案するために、ボランティアに参加することができると言われました。

私の家はマリウポリにあります。私がマリウポリのことを考え始めると、私の家が失われてしまったことを思いだしてしまいます。私はまだそこに戻りたいと思っています。 しかし、そこはもはや私がかつて住んでいて愛していた街ではありません。そこにはただ平らな土地があります。すべてをゼロから始める必要があります。これはもはや私のマリウポリではありません。それは私を苦しめるただの記憶になります。

マリウポリを思い出して、私が想像する最も美しい写真は、給水塔からの街のパノラマビューです。そこから左岸、「イリッチ(イリッチ記念マリウポリ冶金プラント)」、中心部、海、演劇劇場を見ることができます。そこからすべて見渡すことができます。

コンテンツ作成スタッフ

プロジェクト企画:

ボフダン・ロフヴィネンコ

企画:

クセニア・チクノバ

企画,

音響:

カティアポリフチャク

編集,

インタビュアー:

フリスティナ・クラコウシカ

グラフィックデザイナー:

マリアナ・ミキチュク

トランスクライバー:

ローマ・アゼニュク

タラス・ベレジューク

オレクサンドル・ クカルチューク

ヴィクトル・ペルフェツィキー

トランスクライバー:

アミナ・リカル

マリヤ・ペトレンコ

ジアーナ・ストゥカン

アンナ・イェメリヤノヴァ

ユリヤ・クプリヤンチク

コンテンツマネージャー:

カテリーナ・ユゼフィク

翻訳:

藤田 勝利