クリャチキウカのコブザール・フェスティバル

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ユルコ・フェディンスキーの構想によれば、本当のフェスティバルは「ビジネス目的ではなく、共に自由に創造し、学ぶことが出来る場所」でなければならないという。何年も前にユルコは楽器の作り方を学ぶためにアメリカを離れ家族のルーツがあるウクライナに戻り、今では家族と一緒にポルタヴァ地方にあるクリャチキウカに暮らしている。ユルコの家の庭では、ウクライナの伝統音楽の研究者と歌手が集い、ウクライナのコブザール文化について理解を深める場として「コブザール家の木」というフェスティバルが開催されており、2020年7月末にはその第6回目が行われた。

誰かが楽器を調律していたり、子供たちが近くで遊んでいたり、一方では複数パートで歌う女性の歌声が聞こえ、他方ではカップルがフォークダンスを学んでいたりと、大きな庭は混雑していた。庭は心地よい夏の太陽で溢れ、ウクライナ語、時には英語が飛び交っていた。この庭の不文律は「音楽・創造性・ユーモアと開放性」であった。準備が整うと一台のバンドゥーラの音色が聞こえてきたのだが、そこからすぐ他のバンドゥーラの音色が加わった。するとギャラリーたちが輪になって集まり始めた。パフォーマンスやワークショップ、人々の交流はここで数日間ほぼノンストップで続いていた。ユルコと彼の家族が毎年行うコブザール・フェスティバルには、ウクライナの様々な地域から伝統的な楽器であるバンドゥーラ、コブザ、リラ、トルバンの演奏者がパフォーマンスをしにやって来る。

ウクライナの伝統音楽のミュージシャンと研究者であるユルコ・フェディンスキーについて、数年前にUkraїnerで初めて記事(ウクライナ語)を掲載された。彼はアメリカからポルタヴァ地方にあるクリャチキウカに移住し、自分で古い家を建て直し、工房を立ち上げ、トルバンやバンドゥーラなどのウクライナの民俗楽器を作り始めた。ウクライナに到着すると、すでに本格的なアメリカの音楽に関して教育を受けていたが、ウクライナでも、最初はリヴィウで、次はキーウで音楽を学んだ。そして、「デレヴォ(木)」(ウクライナ語)というアンサンブルの発祥の地であるポルタヴァ地方に暮らし始めたのだった。

新しい場所に暮らしていると、ユルコの周りにはウクライナの伝統的な音楽に興味を持ち、同じ意思を持つ人たちがだんだん集まっていた。その人たちの中には、プロである優秀な演奏家もいれば、ユルコが楽器の製作と演奏を教えていた初心者もいた。クリャチキウカでは、ユルコと彼の妻のマリヤは「デレヴォ」のアンサンブルのメンバーになり、長い間一緒に歌っていた。

民俗音楽で結ばれたコミュニティ全体のために、ユルコは自分の裏庭で「コブザール家の木」というフェスティバルを開始した。2020年に6回目の開催となったクリャチキウカでのフェスティバルは年々人気を博し、おかげでテント設営用のもっと大きいスペースを探す必要があるようだ。

ユルコはアメリカで生まれ育ち、アメリカで本格的な音楽教育を受けた。初めてバンドゥーラの音色を聞いたのは、家族はウクライナ出身だった母のオーディオアーカイブでだった。つまり、ユルコはウクライナに引っ越したのではなく、祖父のユーリ・フェディンスキーの話からも聞いていたが、自身のルーツ発祥の地に戻って来たのだった。ウクライナで、ポルタヴァ出身の音楽家だったマリヤとユルコは結婚し、今では4人の子供がいる。2年前にユルコの父、エリックは同じ村の近くに暮らし始めた。こうして、フェディンスキー一家はウクライナで一緒に暮らし始め、ポルタヴァ地域とウクライナの発展を夢見ている。

自宅の裏庭でフェスティバル

クリャチキウカは、主に「デレヴォ」と言うフォークアンサンブルで知られている。この60年で、ウクライナの伝統的な歌謡と言えば、ウクライナの伝統的な複数パート形式で歌う「デレヴォ」アンサンブルが最初に頭に浮かぶものになった。「デレヴォ」のメンバーの声はユルコに感銘を与え、彼の世界観に大きな影響を与えた。

ユルコの曽祖母はポルタヴァ地方出身だったため、ユルコが幼い頃から一番よくウクライナ語を聞いたのは曽祖母からだった。一方で「デレヴォ」が、ユルコにとって伝統的な音楽への関心の中心となったクリャチキウカに注目を集めた要因となった。このことから、クリャチキウカに移住することにしたのである。ユルコは、「デレヴォ」が自分の裏庭で行われるフェスティバルの重要な要素の一つであると語っている。

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「コブザール家の木」フェスティバルは、コブザール文化と伝統的なウクライナの楽器の作り方を学びたい人のための小さなキャンプから始まった。ユルコは以前にヤルタで行われた同様のキャンプに行ったことがあるので、当初クリミアでそのようなキャンプを主催したかったという。そのアイデアを実行するために、ニューヨークで教師をしている作曲家兼バンドゥーラ奏者のジュリアン・キタスティを巻き込もうとしたが、結局実現しなかった。

「なぜポルタヴァ地方、それもクリャチキウカかですって? ここにはすべてがあり、自分の場所があり、完璧だからです。なので、ここでコブザールのキャンプを行うべきと考えました。」

当初、ユルコがウクライナのさまざまな地域から知り合いの音楽家をキャンプに招待したとき、こんなのをする時期ではないし地元にもお祭りがある、などと言われて断られることがほとんどだったという。そして最初は二人の生徒がいるだけだった。

「誰かに言われるのを待たなきゃならないのですか?僕はそんな人じゃないです。『ユルコ、ウクライナに帰らなきゃ』と言われたから帰ったわけじゃないのです。
最初はキャンプの仕方がよくわかりませんでしたが、生徒が二人だけでも充実していました。その生徒たちの一人、パヴロー・モルフニュークは結局一番優秀な生徒になりました。僕より上手にバンドゥーラを作りますし、他のどこでも見れないバンドゥーラを彼は作ります。それを見て、キャンプを行って正解だったと思い、毎年主催することようになりました。もう十年間も行いってますよ。」

キャンプはだんだん発展していって、楽器を作りたい人だけではなく、コブザール文化や伝統に興味を持っている人ためのイベントとなった。今では、ユルコの裏庭で行われる「コブザール家の木」フェスティバルにウクライナ全土はもちろん世界中から何十人もの人々が集まる。

ユルコ・フェディンスキーさん

ウクライナで最初のコブザール文化フェスティバルの一つは「コブザール・トリーチャ(トリニティ)」という、2008年にキーウ・コブザール・ツェフ(=ワークショップ)によって行われたフェスティバルだった。昔は聖霊降臨(ウクライナ語でトリーチャ(トリニティ)と呼ばれる)の後にコブザールのシーズンが始まっていた。音楽家がキーウで集まって、キーウ・ペチェールシク大修道院の鐘に合わせて楽器を調整し、そこから演奏するのに町や村に向かったのだという。

コブザール・ワークショップは、工芸品の工房と同じように、昔から形成されていた。特定の地域の音楽伝統の代表者を集め、それぞれのワークショップが異なるレパートリー、演奏のマナー、楽器のデザインを持っていた。現在コブザールのワークショップは、ウクライナのさまざまな都市で活動し、民俗学者、音楽家、職人、歴史家などの人たちを一つにしているコミュニティである。そして彼らはみんな自分たちの地域のコブザールに関する伝統を研究し、地域の特殊性を守りそれを支えている。

ユルコの生徒とウクライナ中のコブザール・ワークショップの友人たちはフェスティバルの初の参加者となり、今でも毎年通っているという。その中にはオレフ・ブタとオクサーナ・ブタ、タラス・コンパニチェンコと「デレヴォ」のお婆さんたちがいる。ユルコによると、このフェスティバルは最初からビジネス目的のものではなく、民俗音楽とその雰囲気を大切にしている人たちのためのイベントだという。
「去年はフェスティバルの準備を終えるのに数日間しかありませんでした。そこで、特に準備をせず、もし誰か来たら、フェスティバルをやろうと決めたら、実際に人が来たのです。ポーランドからバンドが来て、一週間も滞在していました。『デレヴォ』からのお婆さんたちもいて、みんなで歌っていました。全員で15人ぐらいいたと思います。このフェスティバルは、人が来るからこそ実行されるもので、僕が何もしなくても、フェスティバルは行われます。もちろん、僕はフェスティバルが好きで、フェスティバルの改善点も把握していますし、できる限り色々お手伝いしますが、結局全部みんな一緒に行いますね。」

ユルコによると、人がフェスティバルから得られる一番大事なことは、自由な創作が行える雰囲気であるという。「コブザール家の木」は、自らふとした時に、お金や開催者の有無にかかわらず、村で小さなグループが旅行中のコブザール演者の周りに集まり、彼らの歌を聴いていた時期を再現している。

「クリャチキウカで行っていることは、コブザリュヴァンニャ(コブザール演者が旅中に演奏すること)だと思います。ここはコブザリュヴァンニャに最も適したところということをコブザール・ワークショップの仲間たちがよく理解しているので、毎年来てくれるのです。たくさんの人が来ることないのですが、沢山来る必要もないと思います。このフェスティバルはこじんまりとしたイベントなのです。来る人は、『少し変わった体験だったが、すごく面白かったので絶対また参加する』と言ってくれます。」

このフェスティバルの小規模運営と非営利的な面を重視する目的は、特別な体験を一緒にしてみたいフェスティバルの雰囲気に馴染むことが出来る人を招待するためだという。

「このフェスティバルは、ソヴィエト時代からのイベントじゃなくまた違うものなのです。ウクライナでは、今でもソヴィエト時代風のイベントがいっぱいありますが、クリャチキウカでそのようなものをやる意味はないと思います。私たちがやりたいのは、現代的でウクライナ風のとがったイベントをしたいのです。」

ジョン・ウェストモルレンドさん

ジョン

ユルコの下へコブザール文化を習いに来る音楽家が多く、その中にはバンドゥリスト(バンドゥーラ奏者)のテチャーナ・ヘラシモヴァのような、中国・インド・インドネシア・フィンランドなどの国々でツアーを行っている音楽家もいる。彼らは、クリャチキウカに来るとき、様々な国でコブザール文化に興味のある人の連絡先を教えたり、民俗楽器の作り方を学びたい人を一緒に連れて来たりすることもある。ジョン・ウェストモルレンドは、テチャーナが連れてきた人たちの一人だ。

ジョンが初めてウクライナを訪ねたのは2018年である。ウクライナに来る前、ヘルシンキでテチャーナがバンドゥーラを弾いているのを聴き、その音色の響きに感動したという。テチャーナは複数の弦に同時に触れて、それらを一斉に鳴らすことで、ハープの音に似たようなメロディックな音色を出すことが出来るのだ。その日、テチャーナは、ポルタヴァ地方に一緒に行くことをジョンに提案した。

ジョンとユルコの出会いはまるで運命だったと言える。なぜなら、ユルコとジョンは共にノースカロライナ州の出身でお互いに隣の村に住んでいたことがわかったからだ。世界の反対側にある村に来て、普通のアメリカ人はともかく、自分と同じ町の出身の人に会うことなんて想像も出来なかった、とジョンは語る。ジョンはユルコと同じくアメリカで本格的な音楽教育を受けたことがあり、バークリー音楽大学で勉強していた。

ジョンは、コブザール文化のアイデアに感動し、コブザール奏者を西アフリカにおける特定の時代の哲学、アイデア、出来事等に基づいて音楽を制作したグリオ(西アフリカの伝統伝達者)の音楽家と比較しているという。

グリオ音楽家は確かに、コブザール奏者に似ており、コブザール奏者と同じように旅しながらの生活を送り、音楽を演奏したり、人々を楽しませたり、物語・伝説・おとぎ話を語り歩いたりしていた。それはまるで生き字引のように民間伝承や民話などを語り継いでいく人たちだった。グリオの音楽家が引いた楽器であるコラ、ホへ(ホンジェ)、ンゴニなどは、(ウクライナの伝統的な楽器の)コブザ・リュトニャ・ハープ等に似ている。

「放浪しながら生活を送ってきたある意味でシャーマンに似ているコブザール奏者は、歴史を通して世界中の至るところ、あるいは少なくともその半分において存在してきました。だからこそ、音楽家や民俗学者、そして一般の人たちが集まり、彼らの歴史を称えようとするこのようなフェスティバルが開催されていることをとても嬉しく思っています。」

製作

ユルコは自分で建てた工房で生徒たちと一緒に働いている。一つの楽器を製作するのに1~3ヶ月かかる。楽器の製作はあまり儲からないことだと、ユルコは語る。楽器の製作には、時間・我慢・エネルギーと愛が必要であり、最も大事なのは、最高のものを目指して真面目に地道に取り組むことである。そうしたら、良質なものができるという。各部分に気をつけながら楽器を製作するのだが、たまにゼロから製作しないといけないときがある。当時のソヴィエト政権の影響によりウクライナの代表的な楽器とそれらの製作方法が失われたためだ。

「ウクライナでコブザール文化を復興するためのものは全てここにあります。そのアイデアに関心を持っている人なら、コブザール文化復興のための方法を見つけられるはずです。僕は彼らを応援したいです。僕の生徒でリラ奏者とコブザール演奏者になっている人が多く、彼らがウクライナだけではなく、世界中でコブザール演奏をしているのを見ると、我々はここで非常に大事なことをしていて、それがうまくいっていると感じることが出来ます。」

ユルコは常に新しい生徒を募集しており、生徒たちが良質で、響きが綺麗で、まるで生きているような楽器を製作し、ユルコより上手になることを嬉しく思っている。

「ここには小さなクラブがあります。1ヶ月もしくはもっと長く滞在してもいいし、また自分の手でゼロから楽器を製作することができます。セミナーは無料ですが、僕は厳しい教師なので、いっぱい頑張らないといけません。木材の取り扱いに関して経験がなくても問題ないですが、頭を使って考える必要があります。まあ、ここに来たなら、大丈夫じゃないかなと思いますが。」

エリック・ブルーエルさん

エリック

ユルコの父親、エリック・ブルーエルが初めてウクライナについて聞いたのは、ビートルズの「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」という歌でだったという。歌詞の一部では、男性を虜にするウクライナ人の女性について書いている。そして、エリックは町の図書館で働いていたウクライナ人のフリスチャ・フェディンスカと知り合い、すぐデートに誘い、結婚し、子供を3人授かった。

エリックによると、フリスチャの父親だったユーリ・フェディンスキー(ユルコは彼にちなみ名前が付けられた)は家族に大きな影響を与えたという。ユーリからのウクライナについての話のおかげで、ユルコだけではなくエリックもウクライナのことが好きになった。エリック自身のルーツは様々で、彼の祖先にはスコットランド人、アイルランド人、ドイツ人が含まれている。彼は世界中をよく旅してきており、ウクライナとウクライナの文化に常に興味を持ち、関心があったと語る。

米国では、エリックは歯科医だったこともあり、いい大学での教育を自分の子供たちに与えることができ、割と金銭的に余裕のある生活を送ることが出来た。エリックは、すぐにではなかったが、ウクライナに移住するという息子の決定を支持した。ユルコの家族は、ニューヨークでの生活を捨て、ウクライナの田舎に移住しバンドゥーラを製作するというユルコ決定をなかなか理解できなかった。しかし、ユルコは幼い頃からウクライナの文化をとても親しく感じており、物心ついたころからウクライナの音楽を演奏し始めたと、エリックは語る。ユルコの名前も、アメリカでの同級生と比べると特徴的だった。

ユルコの移住以来、エリックはウクライナを何度か訪れ、定年退職をしてからユルコにクリャチキウカで小屋を探してもらうよう頼んだ。エリックによると、強力な資本主義の伝統が発展するよりずっと前にあった1940年代のアメリカのイメージと似ているという。エリックがウクライナについて話している時、少しロマンチックに聞こえる。まるで新しい大陸を探検し、ゼロから生活を築くためにやってきたメイフラワー号の最初の乗客が話しているかのようだ。

「私にとってここはチャンスがある場所ですが、誰でもこのような可能性があるわけではないと思います。一生懸命働き、お金を貯め、しっかりと自分の価値観を持っている人に与えられるものだと思います。」

アメリカ政府からもらっている年金のおかげでエリックはウクライナで余裕のある生活を送り、家を建て、息子の家族を支えることが出来ている。エリックは、農場での作業に地元の人々を雇って、彼らに英語を教えながら賃金を払い仕事をしてもらっている。時々クリャチキウカの住民たちに英語のレッスンをするが、需要が少ないという。現代の若者の最大の問題は、コミュニケーションの欠如とエリックは考えており、それが人々を一つにすることを妨げているという。

「僕にとって家族は、より大きな力となって、すべての世界と結び付けてくれる存在と言っても過言ではないですが、自分の国とコミュニティを構築することも非常に重要だと思います。」

エリックとユルコはどちらも、貯蓄ももちろん大切なことであると言いながらも、自ら何を望むことが変化と創造を生む主な原動力であると語る。エリックはウクライナに来た時、好きだからその仕事をしているわけではなく、単にその仕事ができるからしているという人が多いことを感じたという。これはしばしば人々を仕事に対して無関心にさせるとエリックは言う。従って、人生にある様々な可能性を人々に示して伝える役割を自分自身に見出しているとのことだ。ユルコはエリックを見てきて、次のように語る。

「『何をするのが好き?』とあまり訊いてこなかったと思います。ディスコやダンスはもちろん好きですが、それだけですか?他に何もないのでしょうか?みんながもっと広く世界を見て、もっと他のなにかを見つけてほしいです。」

ウクライナでの生活の現実にいくらか驚いてはいるものの、エリックはウクライナの発展と現在起こっている変化を見出している。

「多くの人と、ユーシチェンコ(ウクライナの第3代大統領、ヴィクトル・ユーシチェンコ)が大統領に就任した時に彼らが何を感じたか理解するため、政治について話したことがあります。投票したかどうか聞いたりしてね。大勢の人は、投票しても何も変わらないと答えたんです。と言っても、空港などに行くと、そこで亡くなったウクライナ軍の英雄たちの写真が貼ってあったり、ロシアとの武力衝突についてやクリミアについて大変なことが起こっている話を聞いたりすれば、人々の中にある覚悟がどんどん増して行っていることがわかると思います。」

舞台上で

複数パート合唱では、個々の声がしっかりと聞き取れながら、同時に調和した声音となる。演奏中の即興演奏により、パフォーマンスがそれぞれ異なり特徴的なものとなる。ユルコがしていることは、間違いなく、即興性と自発性のある様々なクラス・プロジェクト・アイデアの組み合わせであり、彼のユニークな世界観と彼自身の役割を一つのものにしている。

2年前、ユルコの計画には多くの大規模なプロジェクトが含まれており、そのうちいくつかが実現し、そこに参加していたバンドや当時のメンバーは、裏で行われているコブザールのフェスティバルに来るようになった。その中では「コザック・ホレヤ」や「カルパティアニ」というグループや、ユルコが教えていたコブザール・ワークショップの参加者がいる。彼らと一緒に「ポリカルプ」と「ブッチャ」というバンドや、オレーシャ・チャイカにオレフ・ブタとオクサーナ・ブタ、ミハーイロ・コヴァール、カテリーナ・ハヴリーロヴァ、タラス・コンパニチェンコなど、多くの歌手が参加している。

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これらの人々はすべて、ウクライナの音楽と文化のアンバサダーになり、彼らは現在伝統的な音楽と呼ばれているものに関連付けられており、長い間忘れられていた民謡と、たくさんのドゥーミ(伝統的な歌)やメロディーを演奏する。それと同時に、彼らは民謡と現在流行しているものを組み合わせながら新しいウクライナの音楽を作り続けている。

コブザール文化と民俗音楽と言えば、「コザック・ホレヤ」のバンドとタラス・コンパニチェンコがまず思い浮かぶ。「コザック・ホレヤ」は、2005年にキーウで結成され、それ以来ウクライナ国内はもちろん、世界ツアーも積極的に行っている。コブザールの歌だけではなく、15~18世紀頃の歌曲や、16~18世紀頃の詩人であるイワン・ヴェリチコーブスキ、ステファン・ヤボールスキ、フリホーリ・スコボロダの詩が基となった歌も演奏している。ユルコは、タラス・コンパニチェンコを友人として、主催するフェスティバルに必ず誘う。

ウクライナの音楽を演奏している兄弟で有名な歌手であるオレフ・ブタとオクサーナ・ブタは、2000年に「ブッチャ」というバンドを結成した。そのバンドは、ウクライナでの旅行や歴史家・民俗学者より民間伝承の記録を得たり、各家庭の伝承から知ったりした多くの民謡を演奏している。「ブッチャ」のレパートリーの基礎は、伝統的な結婚式の楽曲、ダンスの伴奏、叙情的な歌、ウクライナのさまざまな地域のクリスマスキャロルとシチェドリウキ(ウクライナで1月18日に祝福するキリスト教のお祭り)である。

リーダーのオクサーナとオレフを含むバンドのすべてのメンバーは、都市の出身で、本格的な音楽教育を受けた。しかし、自分の音楽に過度のアカデミックな音響を加えず、完璧さを追いかけすぎず、自然で本物の音色を表現することを目指している。

ユルコは、オレフとオクサーナと長年にわたって一緒に音楽を作り、また親しくコミュニケーションをとり、ヨーロッパとアメリカでのツアーをよく一緒に行う。フェディンスキー夫妻は、オレフとオクサーナと一緒に、ウクライナ国外でも既に知られている「クリャチキウカ・ヴィレッジ・バンド」というフォークバンドを結成し、「デレヴォ」のお婆さんたちと一緒に演奏している。主にクリャチキウカのレパートリーに含まれてある歌には、楽器の演奏やダンスが一緒になっている。

ユルコが次の段階として考えている企画は、ポルタヴァのコブザール・ワークショップを発展することである。

ユルコは、今でもフェスティバルの一部の参加者と一緒に音楽を制作し、プロデューサーとして多くの参加者と協力してツアーを企画している。彼は積極的に新しいことに挑戦し、常に新しい取り組みを行っている。自分に興味があれば、コンサートもフェスティバルも組織して、フェスティバルのドキュメンタリーもミュージッククリップの撮影も行う。

世界的なパンデミックが始まる前に、ユルコは海外ツアーを多く行い、次第にコブザール文化と伝統的なウクライナ音楽のアンバサダーになった。

「僕は『デレヴォ』と一緒に3ヶ月間ヨーロッパでコブザリュヴァンニャ(コブザール演者が旅中に演奏すること)やっていて、それがもう一つの段階、発展への一歩でした。『5人メンバーのバンドが3週間でヨーロッパを旅行して、12回もフリーコンサートを行って、借金もせず帰国できるのか』と悩んでいましたが、結局大成功でした!パリ・ベルリン・ミラノでコンサートをしましたよ。」

最初の外国でのコンサートは無料で行い、ソーシャルネットワークを通じて主催した。手持ちのものから楽器を売り、そのお金を使って外国へ行くという方法を使い、ヨーロッパ・アメリカ・カナダとツアーを行った。自分の音楽と共に他の国々をまわったことにより、自分の使命をさらに意識するようになったと語る。

「誰かに行くように言われたわけではなくて、本当に自分で地球の反対側にある国々に行ってみたかったのです。あるのは僕と自分の楽器だけ。演奏をしながら、ウクライナの文化について話したりして、毎日いろいろな街で演奏しました。それこそコブザリュヴァンニャだと思います。ある時、まだ誰もそのようなプロジェクトをやっていないかもしれない、ということに気づいたのです。」

ユルコの話を聞くと、彼の人生はとても気楽で、努力する必要がないように思えるかもしれない。人々がただ来て、見て、参加しているように見えるだろう。しかし、実際それはユルコと彼の仲間たちが大変努力している結果であり、コブザール・フェスティバルは毎年拡大しているのである。そして、「コブザール家の木」のようなプロジェクトは、人の心を一つにし、ウクライナの伝統的な音楽を世界に紹介し続けている。

「一番たくさん応援してくれている人はやはり妻のマリヤです。マリヤのお兄さんはフェスティバルで料理を手伝ってくれています。年間を通して、僕らは一緒にフェスティバルのために庭での準備をやっていますが、実は準備が結構少ないです。今年は4ヶ月の準備期間があったので、Facebookで各バンド・参加者を個別に紹介して、パフォーマンスを企画したので、前年のフェスティバルと比べると、少し違うにすることが出来ました。おかげで、たくさんの人たちに来てもらえました。」

コンテンツ作成スタッフ

プロジェクト企画:

ボフダン・ロフヴィネンコ

プロジェクトマネージャー:

アナスタシヤ・ジョーホヴァ

企画:

ヤロスラヴァ・ブフタ

編集:

イェウヘーニヤ・サポジニコヴァ

校正:

オリハ・シチェルバク

プロデューサー:

カリーナ・ピリューヒナ

ナタルカ・パンチェンコ

アシスタントプロデューサー:

ナターリヤ・ヴィシンシカ

アナスタシヤ・ボンダレンコ

リディア・ブリャク

ユリヤ・ベスペチュナ

ヴィクトリヤ・クラフチュク

フォトグラファー:

コンスタンティン・フゼンコ

ムービーカメラマン,

映像編集:

パウロ・パシュコー

ムービーカメラマン:

オリハ・クリシュタン

監督:

ミコーラ・ノソーク

写真編集:

カーチャ・アクヴァレリナ

トランスクライバー:

ヴラディスラヴァ・コショヴァ

アミナ・リカル

マリヤ・ペトレンコ

フリスティナ・アルヒトカ

ユリヤ・パヴリュク

ダリーナ・トゥカチュク

ナターリャ・ヤローヴァ

インタビュアー:

マクシム・シトニコウ

コンテンツマネージャー:

カテリーナ・ユゼフィク

翻訳:

ユリアーナ・ロマニウ

翻訳編集,

校正,

コンテンツマネージャー:

藤田 勝利