ウクライナの伝統的な新年のお祝い:マランカ

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1918年まで、ウクライナ人はユリウス暦で新年の到来を祝っていました。現代のグレゴリオ暦と旧ユリウス暦では13日の差があるため、現在ウクライナの新年は12月31日の夜から1月1日にかけて祝われますが、昔の習慣では、その13日後に再び1年の幸福を祈るため、この日を旧正月と呼ぶのです。

キリスト教の伝統によれば、1月13日は聖メラニアの日、1月14日は聖ヴァシリー大帝の日です。こうして、旧正月のお祝いはキリスト教の祝日と絡んで、マランカと呼ばれるようになりました。

古来、1月13日には、空想上の人物に扮して家々を回り、新年の到来を知らせ、相手の幸福を祈るという習慣があります。マランカの祝日は、新しい実りある年の始まりと、家の中の魔物を追い払うことに関連したキリスト教以前の祭事が主体となっています。

マランカとヴァシリは、お祝いの中心人物で、いつも歩いています。
教会暦では、聖メラニアの日で一年が終わり、聖バジル大帝の日で一年が始まるとされているからです。

この冬の祝祭日の別名は「寛大な夕べ(シチェードリー・ヴェーチル)」です。1月14日の前夜には、1月6日までのクリスマスの断食が終わる一方でまだ四旬斎が始まっていないので、家族で食卓を囲み、たっぷりと(動物由来以外の食物が入っている)クチャを楽しみます。1月13日(シチェードリー・ヴェーチル)に、マランカでパフォーマンスを行う人たちが、新年のお祝いに必要な歌であるつまりシチェードリウキを歌い、家主たちに披露します。

マランカの伝統は、村々で生まれ、発展してきました。かつては男性のみがマランカでパフォーマンスを行うこと許され、その伝統は現在も一部残っています。マランカとその連れであるヴァシリのほか、お爺さんとお婆さん・ロマ人・熊・ユダヤ人・死神などが代表的な登場人物です。

地域によって、マランカのグループ構成は様々です。マランカにおける特徴的な点はマスクです。集落によっては、今でも毎年この日に合わせて作る職人もいるそうです。時々、マランカ出演者がその仮面を代々受け継いでいくこともあります。

1月13日の午後、集団でお祝いの歌を歌い始めるのが一般的です。定番のシチェードリウキに加え、コリャードキと呼ばれる(クリスマスを祝うために歌われる)歌やマランカにまつわる歌も、マランカ用の仮装をした人たちによって歌われます。各グループは、踊ったり、からかったり、演技をしたりします。シチェードリウキが終わると、村の中心部や大通りの交差点に集まり、互いに競い合います。儀式的な競技のひとつにボリンカというマランカの登場人物による協議があり、その結果で村のどの地域が一番強いかを決めるのです。マランカの外観と芸術性から、競争のない村もあります。

マランカのお祝いは、旧式の新年の初日である1月14日の終わりまで続きます。マランカの人々は、みんなでお祝いの料理を楽しみながら、家々を回ってライ麦や小麦を蒔き、新しい年の豊作を祈るのです。

ハリチナ地方 ベレルヤのマランカ

ベレルヤの人々は、世代が変わっても、ソ連時代にお祝いが禁止されても、地元のマランカはほとんど変わらないことを誇りにしています。キャラクターも衣装製作の技術も、実質的には前世紀と同じものです。

ベレルヤのマランカの主役の一人がクマです。クマの衣装は、乾燥した穀物の穂を束ねたものでできています。クマの頭には花が飾られていますが、これは村の各地域で異なるものです。地元の人によると、第二次世界大戦前は、クマは毛皮のマスクをかぶっていたそうです。戦後、ある退役軍人がマランカにガスマスクを持ち込んだと言われています。それ以来、クマの顔の形に似ていることから、クマのお面として使われるようになったのです。マランカで一番頑丈なのはクマ役の男で、衣装の重さは30〜40キロもあります。

ベレルヤにおけるマランカのグループのリーダーは年長者です。祝日の運営を担当し、一定のルートで一行を先導し、各家からパフォーマンスにちなんだ報酬を回収します。

祝日の主役であるマランカは少年(ティーンエージャー)が受け継ぎます。マランカには、マランカでパフォーマンスする人たちのために、飲み物やお菓子を用意したテーブルを庭に2つ別に設置します。

マランカのフルグループの様子は、最初にヴァシリとマランカ、次にフツルの人たち、おばあちゃんとおじいちゃん、そして一番若い登場人物である医者と警察官、そして熊・ユダヤ人・悪魔・死神の順で続きます。コリャードキを歌う一団たちを従えているのです。マランカとなる子の家に来た後は、昔同じようにマランカを演じた人たちを供養するために墓地へ向かいます。

行進の前に、マランカでパフォーマンスを行う人たちは神父の祝福を受けなければなりません。そして、マランカのグループは一軒一軒を回っていきます。

コリャードキを歌う人たちは庭で人々を楽しませ、マランカと若いキャラクターたちは家に入り、箒で家の中の悪を掃き出しながらコリャードキを歌うのです:「幸せと健康を祈ります、この1年を生き、長生きしますように」

正午になると、マランカは村の中心部に到着しなければならなりません。村人全員がそこに集まり、一緒に踊ったり、コリャードキを歌ったりして楽しみます。中心部から村人たちはスムーズに競技場へ移動し、そこでボリンカという村のさまざまな場所のキャラクターとの間の試合が行われます。相手を負かしたほうが勝ちです。

戦いの後、一行はコリャードキやシチェードリウキを歌いに出かけ、マランカの住む家の主人は一行を夕食に招きます。

ポジッリャ地方 ポポヴァ・フレブリャの「ロマ」

ポポヴァ・フレブリャでは「マランカ」は「ロマ」と呼ばれており、マランカのパフォーマンスを行う人は「ロマの家族」と呼ばれています。地元の人々は、この祭りの伝統はルーマニアに由来すると考えています。その昔、ルーマニアのロマ人から当時の人たちは習い、今では彼らがそれに倣っているのだと言われています。マランカのグループは、お婆さん・お爺さん・長男・息子たちで構成されています。コートと赤いロングスカートとエプロンを身に着けた6〜7歳の少年マランカも一緒です。頭にはスカーフを巻き、赤い頬にアイラインを引いた化粧をした顔をしています。マランカは紡錘などを手に持っています。マランカは「ロマの家族」が泥棒から守り抜かなければならない中心人物なのです。以前、マランカを誘拐して地下室に隠し、「家族」が身代金を出すまで返さないという悪ふざけがありました。

伝統的に未婚の男性だけがロマ人として登場するため、お爺さんとお婆さんはともに若い男性がその格好をしています。また、お婆さんは縄で縛られた人形を持っているが、これは彼女の末っ子の象徴です。お婆さんの手には、お爺さんは手に特別な鞭を持っています。それで彼は通行人をからかったり、襲われたときの反撃に使ったりしています。鞭は廃材を利用して作られています。昔はビーツも冷凍していたそうですが、今は生地で作っているそうです。

マランカ以外の登場人物は毛皮の仮面をつけており、その上端を花やリボンで飾った色鮮やかな帽子に縫い付けています。

ロマとは別にコリャードキを歌うグループが結成されます。すでに結婚している大人の男性が多いので、動き回ることは許されず、コリャードキを歌うのが彼らの主な仕事です。マランカと「ロマの家族」はコリャードキを歌う人たちに同行して、ふざけながら道行く人を楽しませます。コリャードキを歌う人たちにはベレザというリーダーがいて、パフォーマンスにちなんだ報酬を集めたり、コリャードキを歌う人たちが家々を回った後のお祝いの食卓を仕切ったりしているのです。

家々を回り、マランカ、キリストの誕生、新しい年の到来を祝福し、祝福の歌を歌ったりします。

1月14日のには、数時間しか眠れなかった登場人物たちが、穀物を詰めた袋を持って歩き回ります。若者たちは車を止め、新年の挨拶をし、庭に穀物を蒔き、新しい年の家族の幸せを祈るのです。

しかし、この日のメインイベントは戦いです。イベントの前に、各グループは独立した審査員を選びます。村人や「ロマの家族」が空き地に集まり、円陣を組んで主人公たちが戦う(ボリンカに似たもの)ことになります。審判は円の中央にやってきて、それぞれの通りから代表者を呼び、参加者と顔合わせをし、最初の試合を宣言します。

観客は、登場人物たちが戦っている通りの名前を大声で唱えます。お爺さんとお婆さんのどちらが勝っても、その通りの人が駆け寄ってきて、勝った人を胴上げします。

ブコヴィナ地方 ペトラシウカの馬

ペトラシウカの住民は、新年と重なる12月31日から1月1日にかけてマランカを祝います。ルーマニアから7キロのところにある村なので、コリャードキが歌われ、ルーマニア語でマランカが行われています。

兵士や憲兵に扮して、サーベルを持って街を歩いたり、祝日の前夜に木彫りでリボンや縄のたてがみをつけた偽物の馬に乗って、地元の人たちに新年の幸福を祈ったりする少年グループたちが馬と呼ばれています。今、馬を演じるのは高校生が中心です。

彼らは庭にやってきて、家主に新年の挨拶をし、賑やかに過ごすのです。家主たちは馬たちに食べ物やお金を与えてもてなします。お腹がいっぱいになると、馬たちは一列に並び、サックスやアコーディオン、太鼓の音に合わせて庭を出て、次の家へと向かいます。男子たちは一日中入れ替わり立ち替わりです。マランカを行う人たちが「文化の家」近くの中心部に集まると、村人全員で新年を祝い、どの馬が一番格好いいかを選ぶのです。祭りの休憩が終わると、少年たちは馬とサーベルに戻り、翌日の夜まで踊り続けます。

カルパチア山脈 ピスチニ村の”メランカ”

雨と祭りの光で飾られたトラクターが道路を走っています。フツル人は民族衣装を着てバケツに座っています。続いて、各国のゲストが「到着」した大型飛行機「ピスティンシカ・ムリーヤ」が登場します。ユダヤ人・アラブの首長・カナダからのディアスポラなど、さまざまな人物が機窓から顔を覗かせます。彼らは「フツルワクチン」を持参しており、それはワクチン接種ポイントから配布されます。トラクターには人がいっぱい乗っていて、飛行機を追いかけます。リージニキ(フツルの伝統的な絨毯)を積んだトラックが、フツルの生活に関する歌とともに、大勢の代表団を迎えに行くところです。

カルパチア山脈のピスチニ村では、このようにマランカを祝うのです。ここのマランカは、カーニバルのようなイベントであり、マランカの特徴はマスクとコスチュームです。最初のピスチニの仮面は、リネンなどの布で作られていました。その後、小麦粉でお面を作るようになり、現在では張りぼてで作ったり、シリコンやプラスチックを買ってきて作ったりしています。政治家やスターなど、伝統的な人物と現代的な人物の両方を選んでいます。あるグループに、お爺さん・お婆さん・婦人・金正恩・アラブの首長者がいることがあります。

13日の夕方から、マランカを行う人たちの楽団が街頭で騒いで、通行人にちょっかいを出したり、家の中に飛び込んだりします。家主と冗談を言い合って盛り上がります。したがって、このパフォーマンスでは、キャラクターの背後に隠れている人物を家主に推測されないようにすることが、悪ふざけ役の最も重要なタスクとなるのです。そのために、マランカを行う人たちは声や歩き方、身振り手振りを変えていきます。マランカ用の仮装をした人たちは、数時間にわたって家主とコミュニケーションをとり、どんな状況で出会い、どんな体験をしたのか、場面を演出していくことができるのです。家主側が誰が来たか分からないようであれば、マランカを行う人たちのミッションは成功となります。

2日間の行進で集まったお金の一部は、祭りに参加した人たちの合同祝賀会「ロズメラニヤ」に使われます。音楽家を呼び、お祝いの料理を作り、人々を招いて喜びを分かち合い、今年のメランカの成功を忘れないようにするのです。

ブコヴィナ地方 ヴァシキウツィのペレベーリヤ(マランカ)

マランカは、時代の精神を反映しています。ヴァシキウツィでは、マランカを「ペレベーリヤ」(「ペレビラーティシヤ(着替えるの意)」という単語から)と呼んでいます。オーストリア・ハンガリー時代から続く伝統的なキャラクターと、現代のマランカの英雄たちとのコントラストは、ここが最もよく表れています。19世紀初頭、ブコヴィナはオーストリア・ハンガリー帝国の一部でした。この時代に象徴的だったものがペレベーリヤには表れています。例えば、ブクシャンダルはオーストリア・ハンガリー帝国の救命隊の兵士のことです。

ヴァシキウチィのクマは毛皮の衣装を身にまとい、仮面は羊・イノシシ・子牛など家畜や野生動物の皮で作られています。クマはロマ人の運転する車で、夜遅くにはクマとロマ人のグループが集まり、ボリンカを行います。現在、マランカのチームは大きく拡大しています。マランカ・お爺さん・お婆さんの隣には、現代の政治家・有名な歌手・俳優の姿があります。

ヴァシリ・ストリャルと妻のリディヤは、石膏包帯でマランカの行う人たちのためのマスクを製作しています。まず、ヴァシリが粘土と藁で顔の形に合うように仮面を成形します。型が固まったら、その上に袋をかぶせます。ヴァシリは、包帯に石膏モルタルを染み込ませ、袋の中の型に何重にも貼り付けていきます。

ヴァシリは普段から包帯をなめらかにして、マスクの表面をなめらかにしています。あるいは、お客さんに頼まれたら、なめらかにする加工をしないままにしておくのだそうです。成形したマスクは1日乾燥させなければなりません。その後、石膏の洗浄が必要で、マスクはさらに1日乾燥させることになります。

-私にとってマランカは何よりも大切なものです。挑戦しているのは、お面作りです。とにかく好きなんです。座って製作していると落ち着きます。どんなに緊張しても、ただ座って製作をするんです。

登場人物が描き終わると、マスクにニスを塗ります。漆塗りマスクは水分を吸収せず、ツヤがあります。1シーズンに作るマスクは最大で150個にもなります。

1月14日のお祝いの重要な要素は、浄化の儀式を象徴する沐浴(クパンカ)です。グループ全体で参加します。どんなに寒くても、マランカを行う人たちはマスクを「洗い落とし」、川で水浴びをして、自分の中に存在しているとされている登場人物を追い出し、再び自分自身になるのです。また、マランカ用の仮装をした人たちは祖先の魂が宿ったものであり、沐浴によってその魂を来世へと戻したという解釈もあります。同時に、衣装を脱いだマランカを行った人たちは、まるで生まれ変わったかのようになるのです。

ブコヴィナ地方 クラースナ・マランカ

「マランカは、家々の厄払いをするために回っています。新年が元気にスタートできるようにと歌っているのです」と地元の人はその意味を説明しています。そのため、夜通し、数百人にも及ぶマランカを行う人たちのグループが家々を回り、家主を楽しませてくれるのです。

団長は家主に挨拶し、庭に入る許可を求めます。最初に「ステージ」に登場するのは、「お爺さん」と「お婆さん」たちです。そして、トランペットの音とともに、皇帝が踊り始めます。そのあと、ユダヤ人の踊りの時間がやってきます。一方、医者や赤ん坊を連れたロマ人など、脇役たちはパーティーの招待客の間を縫って、小さないたずらをします。

音楽が速くなり、ダンスが表情豊かになり、クライマックスを迎えます。ロマはグロテスクなメイスで地面を叩き、クマたちは踊りながら咆哮を上げ始めます。ロマが偽物のナイフや斧でなだめるまで、両者の戦いは続きます。そして、家主はその一団に治療を施し、お金を渡します。団長が受け取った金額を発表し、マランカを行う人たちは移動します。すべての演奏は、歌と家主へのお祝いの言葉とともに行われます。

ロマ人とクマは、ここクラスノイルシクで「クラスナ・マランカ」と呼ばれるマランカの中で、最もカラフルなキャラクターであることは間違いありません。マランカのクマたちという役を演じることは、とても名誉なことです。若い未婚の男性しか演じることができません。クマは干し草や藁でできていて、それらは夏から特別に保管されているのだそうです。2種類のクマがいて、翼のあるクマと干し草のクマがいます。肩が翼のように見える衣装は、干し草を撚ったロープで固定されています。干し草の衣装のほとんどは、コジューフと呼ばれるウクライナの伝統衣装に藁の束を縛ったものです。

1月14日のクラスノイルシクの朝は、伝統的なキャラクターが登場する夜のお祭りとは対照的に、新しいモダンなキャラクターが迎えてくれます。お昼になると、メインストリートでマランカパレードが始まります。

マランカがいつから、なぜここで祝われるようになったのか、地元の人たちはよくわかっていません。マランカのキャラクターは、17世紀から18世紀にかけてのルーマニアの生活の実態を反映していると考えられています。村はルーマニアとの国境にあり、クラスノイルシクのほぼ全人口がルーマニア人です。 貴族・ユダヤ人店主・農民・ロマ人などは全てルーマニア王国に住んでいた人々の社会集団です。ウルサリと呼ばれるクマを連れたロマ人もいたそうです。これは、クマを調教していたロマの民族的専門家集団の一つです。ウルサリはワラキア公国やモルドヴァ公告に暮らしていましたが、19世紀後半にロマの奴隷制が廃止されると、ヨーロッパ各地に「クマのパフォーマンス」をとともに積極的に公演に出かけるようになりました。

ポルタヴァ地方 コズビウカのヴォディンニャ・コージ

ヴォディンニャ・コージのお祝いは、キリスト教以前の時代から伝わる伝統的な祭事で、冬祭りに行われます。冬に凍える自然と、春を迎える自然を象徴しています。

定番のシナリオは以下の通りです:お爺さんはヤギを連れ、ヤギは最後の踊りをした後、狩人がヤギを撃ち、ヤギは命を落としてしまい、お爺さんはそれを蘇らせようとします。

ポルタヴァ地方コズビウカにおけるヴォディンニャ・コージの祭事を、地元の民俗研究家であるネーリャ・ロジュコが再興しました。コズビウカに移り住み、伝統的な家財道具や衣類を保管するグリーンツーリズムの庭園博物館である「オメリコーヴァ・ハータ」を設立しました。彼女は忘れ去られたヴォディンニャ・コージという祭事をひとつひとつ紐解いていきました。古代の祭事が消滅した理由の一つは、共産主義当局による伝統的な祝祭の禁止と、同当局がウクライナで引き起こした飢饉でした。

ネーリャは、古くから伝わる風習を復活させました:ヤギに扮した女性・マランカ・ヴァシリ・クマ・ロマ人・医者・ネコ・民族衣装を着た女性たちなどが出てきます。それぞれの家で、ヤギが死ぬシーンが演じられます。医師はヤギを救おうとしますが、家主からの贈り物だけがヤギを蘇らせます。

カルパチア山脈 コスマチのシチドラ(コスマチではマランカはシチドラと呼ばれています)

古代のコスマチでのマランカの仮面は、ヤギやヒツジの皮で作られ、刺繍や絵・毛皮などさまざまな色の革で装飾されていました。歌ったり遊んだり食事も快適にできるように、仮面は作られています。誰が誰なのか推測できないよう、祭事が終わるまでマスク外さないようにするためです。

コスマチにおけるマランカのグループは、リーダーであるベレザが率いていますが、このベレザは独身でなければなりません。団体は、村のすべての家を訪ねます。グループの代表者が住んでいる家には、必ずを祝福の歌を贈ります。そして、代表者がいないところでは、祝福の歌を贈っていいかどうか悪魔が訊きます。

伝統的なシチドラは、ホストの健康を祈り、家主を元気づけるという意味があります。コスマチのマランカにおける主人公は、他の場所と同様、マランカとヴァシリです。しかし、時が経つにつれ、マランカとヴァシリの役割が変わり、ヴァシリの代わりに王が現れ、マランカは王女となりました。現在では、このキャラクターを新婚の夫婦と解釈することが多くなっています。

マランカの数日後、あるいは数週間後、マランカに行った人たちが、奥さんや子供を連れてベレザの家やレストランに集まってくるのです。食事が用意され、祝福の歌が歌われ、そして祝宴が始まります。

この祝賀会で、次のベレザを決めるとともに、後継者がその使命を引き継ぎます。

ベレザは常に後継者を用意しています。ベレザがその年に結婚した場合、後継者がベレザになります。

ブコヴィナ地方 イスパスのマランカ

音楽家・楽器奏者・Kazkaバンドのメンバーであるドミトロ・マズリャクは、故郷のイスパス村でマランカを開催しています。ドミトロは2008年からマランカのパフォーマンスを始め、毎年、同じ志を持つ人たちがどんどん集まってきています。イスパスには、地元の人たちだけでなく、キーウ、イヴァーノ・フランキーウシク、ルツクなどからクリエイティブな若者たちが集まってきています。その中には、有名なアーティスト・ミュージシャン・俳優・ブロガーもいます。

アイデア出しの大原則は「手持ちのものを使う」ことです。古着屋で買った毛皮のコートでマスクを作り、古いTシャツでアクセサリーを切り、ペットボトルの破片をマスクの歯に見立ててドミトロは政策を行いました。マランカ「劇場」の責任者は、その本質と形を保つ伝統的なキャラクターにこだわるよう努めています。彼は、お婆さん・お爺さん・マランカ・悪魔を通して、現在を描き、過去1年を振り返ることができると確信しています。このために新しい面子を追加する必要はありません。ドミトロはマランカを今年の風刺と皮肉に満ちたレポートと呼んでいます。

仮面や衣装作りは、マランカの参加者が一緒に何かを作り上げる、この祭りの重要な工程の一つです。ドミトロがイスパスに住んでいた頃、彼はよく友人を誘って一緒に仮面を作っていました。マスクの製作よりも会話に時間を使っていたので、作業はゆっくり行っていたといいます。マランカの祝日には、こんな光景が広がっているそうです。

-マランカのメインコンセプトは「一緒に時間を過ごすこと」です。今を映し出すからこそ、価値があるのです。明日になればもう遅く、昨日になればもうわからない。だからこそ、今ここにあるもの、すべてとともに、時間を過ごすのです。

1月12日と13日には、ドミトロは実家に客を迎えます。友人たちとともに歌って、踊って、自家製ワインを味わいます。夕方4時くらいに、近所の家のマランカに出かけ、トラクターを走らせます。道中、マランカ用の仮装をした人たちは、トランペット・バグパイプ・トレムビータ(ウクライナの民俗楽器)・ドラムなどを鳴らして騒ぎます。

マランカを率いて、いつ歌うか、どこへ行くかの指令を出す元軍人であるシャンダルは、マランカのメインキャラクターです。他にも、トライデントを持った悪魔・ロマ人・司祭・クマ・ユダヤ人・新郎新婦たちがいます。

ウクライナのマランカは、クリスマスに比べるとキリスト教の伝統が薄くて、ほとんどの形態がキリスト教以前のルーツを持つ自由気ままな人々の触れ合いという傾向があります。マランカは、家庭でのお祝いという形式から、街へ出て行くのです。

2021年12月、Ukraїnerチームは、ウクライナの伝統的な冬の過ごし方を探る探検旅行を行いました。この探検旅行は、Ukraїner史上最大の同時撮影となり、多くのチームが国内のさまざまな場所や地域でお祝いの撮影を行いました。探検旅行は3週間程行われました。この探検旅行の目的は、この記事でお伝えした冬の地域伝統の特徴を捉え、それを発信することでした。

コンテンツ作成スタッフ

Ukraїner創設者:

ボフダン・ロフヴィネンコ

テキスト準備:

ジアーナ・ホールバニ

ダーシャ・ティタロワ

エグゼクティブエディター:

イェウヘーニヤ・サポジニコヴァ

編集者:

アーラ・マンジュク

写真編集:

ユーリー・ステファニャク

コンテンツマネージャー:

カテリーナ・ユゼフィク

翻訳:

藤田 勝利

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