「もう二度と」と「必要とあらば行う」

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5月8〜9日、西側諸国は第二次世界大戦の残虐行為を振り返ります。5年間の激しい戦闘で、2,000万人以上の兵士と、約3,000万人の民間人が死亡し、そしてさらに多くの人たちが負傷しました。個人的および集団的なトラウマの長期的な克服、ならびにこれらの悲劇的な出来事の記憶は、多くの国々が紛争の解決手段としての戦争を放棄することを促しました。しかし、2022年、ロシアはついに世界的な約束事である「もう二度と」を破り、第二次世界大戦のシナリオを繰り返しています。そして、出来事の展開、目標、および方法における類似性には目を見張るものがあります。

歴史が示すように、戦争は完全になくなったわけではないですが、血のないハイブリッド戦争から武力紛争まで、その形態がさまざまな形に変化していました。時間の経過とともに、その場所は変化しました。対立が第三世界の国々に移ったのです。しかし、今日、ヨーロッパでは大規模な武力紛争が再び発生しています。 2014年、ロシアはドネツクとルハンシク州で武力侵略を開始し、クリミア半島を一時的に占領しました。8年後、ロシア政府から自称ドネツク人民共和国と自称ルハンシク人民共和国の分離主義者の役割を任命された人たちの背後に隠れることなく、ロシアは全面戦争を開始しました。

ウクライナでは、武力衝突や砲撃で毎日数十人の民間人が殺されており、80年前のように外交が100%機能していません。体系的なプロパガンダにより、プーチンはドイツのヒトラーのようにロシアを、多くの人たちが戦争を支持し、支配者を称賛するような全体主義国家に変貌させることに着手しました。「Z」の文字は新しいハーケンクロイツになりました。

パターン化された戦争

1938年9月30日

イギリスの首相、ネヴィル・チェンバレンは、ミュンヘン会議からロンドンに戻り、チェコスロヴァキアの今後についてヒトラーと話し合いました。空港で飛行機から降りたとき、彼は白いハンカチを取り出して、「私たちの時代に平和を」と言いました。

しかし、1年も経たないうちに、第二次世界大戦が始まりました。

この会議は、チェコスロヴァキアに属するズデーテン地方を一時的に占領する権利をナチスドイツに与えたため、「ミュンヘンの裏切り」とも呼ばれていました。ヒトラーへの譲歩をすることで、チェンバレンとフランスのエドゥアール・ダラディエ首相は、ズデーテンの占領がヨーロッパにおけるナチス拡大の最後となることを望んでいたものの、結果的にはそれは大戦が始まるのを延期しただけでした。

2014年2月20日

プーチンは、同様のシナリオでクリミア半島を一時的に占領しました。世界の指導者たちは、ロシアとの経済関係を制限する制裁リストの作成と深い懸念をもつことによってのみ、この出来事に対応しました。プーチンはそのような反応を簡単に飲み込み、ハイブリッド戦争を続けました。2か月後、ロシア軍がドネツク州とルハンシク州に侵攻し分離主義者を募集することで、武力侵攻の段階に入りました。

これらの出来事に続いて、ロシアの制裁リストが拡大され、ウクライナはパートナーから人道援助と武器を受け取りました。しかし、結局、ウクライナ東部での紛争は、停戦を確立したミンスク合意によって凍結されました。その一方で、ロシア軍は変わらずウクライナの陣地を定期的に砲撃することでこれに違反しました。

政治家への冷たいシャワー

1939年秋

9月1日にドイツ軍がポーランドに侵攻したとき、フランスとイギリスはドイツに宣戦布告しました。連合国はこのようにポーランドの主権を擁護する準備ができていると宣言しましたが、5月まで西部戦線での戦闘はほとんどありませんでした。最後の瞬間まで、両国は敵との激しい衝突を避け、それはナチスドイツがソ連と一緒にポーランドを占領することを可能にしました。

2022年冬・春

ウクライナもまた、実質一対一でロシアに抵抗しています。もちろん、EU、米国、その他多くの国々は、定期的に武器や、財政的・人道的援助を提供することで支持を表明していますが、それは非常にバランスを重視しており、慎重なものです。80年前のように、民主主義国家は控えめに行動しています。NATOは、ロシアとの直接の紛争を恐れて、ウクライナに飛行禁止区域を設定することを拒否しました。イギリスとアメリカはブダペスト覚書によって行動を起こすことが奨励されていますが、ドイツとイタリアはウクライナへの武力援助についてより慎重です。ハンガリーはきっぱりと武器の提供を拒否しました。

しかし、歴史は、全体主義を「満足させる」ことができないことを示しています。そして暴君は彼らの人々の目に自身の力と偉大さを確認させる軍事的成果を必要としています。これが彼らが検閲や社会経済的危機から注意をそらす方法です。

戦争は政治家にとって綱渡りのような行動です。なぜなら、困難で、しばしば運命的な決定を迅速に行わなければならないからです。機動性と過度の先延ばしは、彼らのキャリアだけでなく、数万、数十万の命、そして世界の地政学的マップを危険にさらします。チェンバレンはミュンヘンで自身の評判を傷つけました。そしてウクライナでの戦争は多くのヨーロッパの政治家の価値をテストしています。たとえば、ドイツのオーラフ・ショルツ首相は、ウクライナでの戦争においてEUで最も穏健な指導者の一人であり、国内外の両方で広く批判されてきました。しかし、ブチャとイルペンでのロシア軍の犯罪の後、彼の立場はより決定的になり、現在ドイツはウクライナに武器を提供しています。

サポートグループ

1919年2月14日

第一次世界大戦後、国際連盟(LN)が創設されました。これは、将来の武力紛争を防止するべく創設された最初の国際安全保障組織です。ただし、世界のすべての国、特に米国とソビエト連邦は参加しませんでした。国際連盟は、世界平和を保証することができなかったため、第二次世界大戦直後に解散しました。しかし、それは1945年の国連(UN)の創設の基礎となりました。1933年、ナチスドイツは国際連盟を去り、ヒトラーと彼の基本原則に対する国際的な影響力を弱めました。

2022年冬・春

ロシアは2022年3月15日に欧州評議会から、4月には国連人権理事会から追放されました。しかし、ロシアも同盟国を探しています。ウクライナへの侵略は、ベラルーシ、北朝鮮、エリトリア、シリアによって公然と支援されました。旧ソ連諸国や他の旧共産主義の国々も、侵略国に共感しています。ちなみに、1992年にはロシアを中心とした旧共産主義の国々により集団安全保障条約機構(CSTO)が創設されました。それはNATOに対して一種の釣り合いを保つためのものでした。第二次世界大戦中における同様の連合は、ナチスドイツ、イタリア、そして大日本帝国からなる枢軸国の同盟でした。CSTOは現在形式的には存在していますが、地政学的なアドバンテージはありません。したがって、プーチンは反西側連合を形成する方法を探しています。プーチンの最大の同盟国はベラルーシの独裁者、アレクサンドル・ルカシェンコであり、彼はロシア軍がウクライナを侵略するための出発点として自国の領土を使用することを許可しました。

ウクライナに対する全面戦争において、以前は世界で最も強力な安全保証機関と見なされていた国連も、ウクライナでの血なまぐさい対立を止めることができないため、今日危機に瀕していることを示しています。さらに、ロシアは国連安全保障理事会の常任理事国であり、安保理の決定を簡単に拒否することができます。

扇動と管理

1933年、ドイツ。

国民啓蒙・宣伝省が設立されました。それはヒトラーの戦友ヨーゼフ・ゲッベルスによって率いられました。映画、音楽、新聞、本、キャンペーンポスターの助けを借りて、同省はユダヤ人、共産主義者、自由主義者に対する憎悪をドイツ人の間でかき立てました。ナチスは、誇張と完全な捏造を躊躇せず、アーリア人種に関するプロパガンダを広めました。

1939年9月1日のドイツのポーランド侵攻の前にも、情報面での挑発がありました。 8月31日の夜、グリヴィツェ(当時はナチスドイツの領土、現在はポーランド)で、ドイツの特殊部隊の親衛隊がポーランド人のふりをして、ラジオ局を襲撃しました。彼らはポーランド人とドイツ人の間の敵意を刺激する演説を行いました。その夜、いわゆるヒムラー作戦という他の挑発も行われました。このようにして、ナチスは戦争を宣言するための正式な口実を作り上げました。

当時利用可能なプロパガンダのすべての手段を使用して、ヒトラーは、いわば、解放のリーダーとしての彼自身のイメージを巧みに構築しました。彼は、人々が自身の政策と個人の崇拝を支持するように刺激するイメージを作り上げました。ヒトラーは明るい未来の象徴となりました。その結果、ナチスのイデオロギーを共有したドイツ人は、世界的な悪と認識しているユダヤ人と戦いました。彼らはゲッベルスのプロパガンダの主な標的となりました。これがホロコーストにつながりました。ユダヤ人を殺すことによって、ドイツ軍は彼らが善行をしていると確信していました。

ちなみに、ナチスはウクライナ人も考慮していませんでした。一般に、彼らはスラヴ人をウンターメンシュ(ドイツ語)と見なしました。それは、超人、すなわち純血種のドイツ人であるウーバーメンシュの進歩に貢献するべき奴隷となる非人間、とされていました。

2022年、ロシア。

全面戦争が始まる数日前に、自称ドネツク人民共和国とルハンシク人民共和国の指導者たちは、ウクライナからの砲撃が強化されたことを発表し、人々を避難させ始めました。同時にロシアは、ウクライナ軍がロシア領土を砲撃し、その結果、ロシアの国境検問所が破壊されたと報告しました。明らかに、これは侵略の正式な口実を作り上げるうえで実証済みの方法です。

プーチンのスーパーヒーロー的イメージは、ロシア人が大統領について見るべきものとそうでないものを注意深く除外するプロパガンダ扇動者による長年の労力の結果です。プーチン自身は、ロシアの力と、歴史的にロシアに属しているように見えるその領土をロシアへ返すことの重要性に関するナラティブを体系的に発展させています。したがって、ロシアにとって悪とは、血に飢えたナショナリストやネオファシストと呼んでいるウクライナ人です。ウクライナ人に対する無礼で表面的な態度は、新しい現象ではありません。弾圧はロシア帝国とソ連時代の両方で起こりました。

しかし、ヒトラーが戦争の明確な目標を持っていたとするならば、プーチンと彼の同盟国の声明は毎回変わっています。戦争を「特別軍事作戦」と呼び、ロシア軍はロシア語を話すウクライナ人をネオナチから解放しているとしています。これは、1939年に赤軍がハリチナをポーランドから解放したとされる方法と少し似ています。しかし、ウクライナとの戦争におけるロシアの戦争犯罪の規模は、すでにナチスのものを上回っています。わずか2か月で、2万人のウクライナ人がマリウポリで死亡しました。一部の国は、これらの行動をジェノサイドとしてすでに認識しています。

暴君は権力を握り、彼らの見解でいうところの有害な情報の影響から自国を切り離しています。国内の反対派は迫害され、国際社会から孤立しているため、体制に有利な情報空間が生まれています。

何十もの西洋のブランドがロシアを去った一方で、メディア空間の検閲は非常に厳しくなりました。利用可能なメディアから、ロシア人は慎重に選ばれたプロパガンダしか入手できず、VPNサービスでさえ禁止されています。何世代にもわたるドイツのナチスとソ連のプロレタリアートは、情報面で一面的な同様の現実に存在していました。

急速な破壊、長い再建

第二次世界大戦。

化学兵器は戦場で使用されたことはありません。ヒトラーとスターリンでさえ、条約で許可された武器だけで戦いました。 1925年、数十か国が、化学兵器および生物兵器の使用を禁止する条約であるジュネーブ議定書に署名しました。第一次世界大戦の恐怖の記憶は、1920年代と1930年代に軍縮につながりました。1945年、アメリカ軍は日本に原爆の投下を行い、広島と長崎の2つの都市を破壊しました。その後、核兵器もタブーとなりました。

しかし、戦争のルールによって許可された武器は、都市を完全に破壊するのに十分です。たとえば、1945年、連合国はドイツのドレスデンに約2,700トンの爆弾を投下し、歴史的中心部を廃墟とし、25,000人を殺害しました。ソ連の多くの都市(オデーサ、セヴァストポリ、スターリングラード、レニングラード)、およびいくつかのヨーロッパの都市(ワルシャワとブダペスト)は、長期にわたる包囲によって破壊されました。レニングラードの戦い(現在のサンクトペテルブルク)は1941年9月から1944年1月まで続きました。この間、400万人以上がこの戦いで亡くなりました。そのうち赤痢と飢饉が原因で死亡した人もいました。

空中戦力の使用により、世界のどの場所ももはや安全ではありません。ヒトラーは海でイギリスに到達できなかったので、ドイツ空軍(ルフトヴァッフェ、ナチスの空軍)を使用しました。歴史上、これらの出来事はほぼ4か月続き、バトル・オブ・ブリテンとして記憶されています。40,000人以上の民間人が敵の爆撃によって死亡しました。イギリス空軍の抵抗が行われていなかったら、イギリスはドイツの空挺部隊によって占領されていたでしょう。

ロシアによるウクライナへの全面戦争。

今日、双方は戦車、大砲、航空機を使用していますが、国際条約に違反して化学兵器、生物兵器、核兵器を使用することをあえてする人は誰もいません。ロシアがこのリストのいずれかを使用する場合、それは必然的に国際的な制裁の強化と、西側諸国からウクライナへの更なる武器の提供を加速させるだけです。

しかし、違法な武器を使用しなくても、戦争は常にインフラ(道路、工場、家屋)の破壊をもたらします。戦後の再建は、常に、戦闘行為よりもはるかに長い時間がかかります。

マリウポリでの2か月の包囲の後、残った家はほとんどありません。マリウポリは頻繁に砲撃され爆撃されたため、人々は避難所に住まなければなりませんでした。ロシア軍は都市を人道的大惨事に追い込みました。マリウポリの住民は電気、ガス、通信もなく生き残り、遺体を自分たちの裏庭に埋めました。ロシア軍によって重い爆撃が行われたキーウの近くの街ボロジャンカも大きな被害を受けました。そこにあった高層住宅のいくつかは、基礎まで破壊されました。

ロシア軍は、維持可能な戦略的ポジションが残らないような方法でウクライナの都市を破壊しています。ロシアはキーウに近づくために犠牲を払っています。そのため、今日のロシアの戦略は、1943年から1945年の赤軍の反撃を彷彿とさせます。戦術のレベルでは、ロシアの行動は完璧にはほど遠いですが、多数の兵力での正面攻撃を可能にさせる軍の数的優位性のために、それは脅威的な存在となります。

ロシア軍は、戦術的な戦闘で戦う代わりに、空からの攻撃で自身のアドバンテージを利用しています。このような爆撃は悲惨な破壊を引き起こしており、これが、ウクライナがNATOに領空閉鎖を要求している理由です。

戦後の補償

第二次世界大戦。

国際法廷の後、ドイツは連合国への賠償金として数十億ドルを支払うことを余儀なくされました。賠償金は、侵略国が他の国々を破壊したために支払うお金です。これは第一次世界大戦後の慣習でした。どちらの場合も、ドイツ人は自分たちの罪を認め、自分たちの経済を回復するだけでなく、勝利した国を再建するためにも働きました。

ロシアによるウクライナへの全面戦争。

ロシア人が罪を感じるかどうかにかかわらず、彼らは遅かれ早かれ賠償金を支払う義務に直面するでしょう。しかし、ロシアの歴史的な手荷物を考えると、ウクライナの外交官は、破壊されたまたは損害を与えられた街や村の補償に対する権利を激しく擁護する必要があります。2006年、ロシアはリトアニアに50年間のソ連占領に対する賠償金を支払うことを拒否しました。西側からの制裁圧力とそれによるロシア経済の衰退を考えると、ロシアに対するウクライナへの賠償金の支払いは苦痛を伴わずにはいられないでしょう。

今見ているように、ロシアは、80年前に世界が見た恐怖を人々が追体験するために可能な限りのことをしています。 戦争のカルトを育む侵略国にとって、武力紛争が原動力です。 そして、第二次世界大戦とその犠牲者の記憶でさえ、プーチンの帝国の夢を思いとどまらせることはありません。

コンテンツ作成スタッフ

プロジェクト企画:

ボフダン・ロフヴィネンコ

企画:

ヴィタリー・ポベレジニー

編集:

カテリーナ・レフカ

編集長:

アンナ・ヤブルチナ

翻訳:

藤田 勝利

写真編集:

ユーリー・ステファニャク

コンテンツマネージャー:

リュドミーラ・クチェル