プーチンを待っているもの-戦争犯罪者に対する国際裁判の歴史

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歴史には、以前は全くもって罰せられないと感じていた戦争犯罪者に対する国際裁判の多くの例があります。ウクライナに対する侵略的な全面戦争を開始し、ロシアのプーチン大統領は今日の主要な戦争犯罪者になり、客観的な国際裁判を受けるべきです。それがどのようなものになるかについては多くの議論があります。

2022年4月3日、ウクライナのゼレンシキー大統領は、ロシアによる戦争犯罪を捜査するための特別な司法メカニズムを作成することについて発表しました。5月25日、アメリカ国務省は、ロシアによる対ウクライナ戦争中に戦争犯罪に関与した人物を裁判にかけるための顧問団を創設することについて発表しました。プーチンと彼の側近が国際司法機関による起訴を避けられないと言っても過言ではありません。この記事では、過去に行われた、または現在行われている戦争犯罪者に対する国際裁判の例についてご紹介します。

戦争犯罪者を有罪にする最初の試みは、第一次世界大戦終結後に行われました。ドイツの戦争犯罪者に対する1921年のライプツィヒ裁判やアルメニア人、ギリシャ人、アッシリア人の虐殺を犯したオスマン帝国の戦争犯罪者の追及は失敗した試みであり、政治的圧力のため茶番と化してしまいました。ライプツィヒ裁判での901人の戦争犯罪被告人のうち、888人が無罪を言い渡されました。他の人々は短期間の懲役刑を言い渡され、そのうちの何人かは刑務所から脱出しました。オスマン帝国の戦争犯罪者に対する裁判はマルタで行われることになっていましたが、法的根拠の欠如や政治的意思の欠如のため実施されませんでした。 おそらく第一次世界大戦の戦争犯罪者に対する刑罰はありませんでしたからこそ、これが現在も最大の戦争である第二次世界大戦の惨禍につながってしまったのでしょう。

第二次世界大戦以降の戦争犯罪者を裁くそれぞれの国際裁判はより効果的でした。以下では、そのような各裁判の背景、被告人の人柄、彼らに対する起訴や判決についてご説明します。

ニュルンベルク裁判(1945-1946)

背景:ニュルンベルク裁判として有名な国際軍事裁判は、歴史上最初に成功した戦争犯罪者を裁く国際裁判でした。この裁判は、第二次世界大戦で勝利を収めた国々、つまりアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の連合によって行われました。これらの諸国の代表は、国際軍事裁判所憲章を作成し、それに基づいてナチスドイツの主要な戦争犯罪者を裁きました。裁判が行われた場所は偶然に選ばれたわけではありませんでした。というのも、ナチ党の大会が開催されたのはニュルンベルクだったからです。

被告人:ナチスドイツの24人の最高指導者、そのうちゲーリング国家元帥、ヒトラーのナチ党総統代理であるヘス、リッベントロップ外相、国防軍最高司令部総長であるカイテル、党の役人、大臣、占領地の指導者、プロパガンダ扇動者など。裁判が始まる前、被告人の一人は刑務所の下水道管で首を吊って自殺しました。 もう一人は不治の病であると認められ、裁かれませんでした。

起訴:被告人は、平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪で起訴されました。ニュルンベルク裁判中で、検察は史上で初めて「ジェノサイド」という単語を使用しましたが、被告人はこの犯罪で裁判にかけられませんでした。

ジェノサイド(虐殺)
国民的、民族的、人種的な集団又は民族の全部或いは一部を破壊する意図をもって行われる行為のこと。

判決:12人の被告人が死刑を言い渡され(1人は欠席裁判)、7人はさまざまな有期懲役刑を言い渡され、3人は無罪を言い渡されました。ニュルンベルク裁判は、敗者に対する勝者の裁判であったため、独立した司法機関ではありませんでした。つまり、裁判前の捜査が行われず、被告人が基本的な起訴状で前もって犯罪者としてみなされました。裁判では、彼らに対する刑罰の種類だけが選ばれました。しかし、公開裁判におけるナチスドイツの指導者の犯罪を詳しく分析したことは、歴史的かつ象徴的に非常に重要なことでした。

東京裁判(1946-1948)

背景:東京で開催された極東国際軍事裁判は、第二次世界大戦でドイツの同盟国であった日本の戦争犯罪者を裁くことを目的としていました。裁判は、第二次世界大戦に勝利したオーストラリア、イギリス、インド、カナダ、中国、オランダ、ニュージーランド、ソ連、アメリカ、フィリピン、フランスという11か国の代表者で構成されていました。

被告人:事実上の日本の指導者である東條英機首相を含む、日本帝国の29人の軍事的および政治的指導者。昭和天皇は、日本にとって象徴的に重要であったため、また降伏することを同意したため、裁判を回避することができました。更に、裁判の前、1人の被告人が自殺し、またプロパガンダ扇動者の大川周明が心神喪失によって免訴されました。

起訴:ドイツの指導者と同様に、日本の被告人は平和に対する罪、戦争犯罪、人類に対する罪で起訴されました。

判決:7人の被告人が死刑を言い渡され、18人がさまざまな有期懲役刑を言い渡され、2人の被告人が裁判中に死亡しました。ニュルンベルク裁判のように、東京裁判は敗者に対する勝者の裁判でした。また、日本の軍事指導者が1945年のポツダム宣言により戦争犯罪者として認められていたため、裁判前の捜査は行われませんでした。東京裁判後、現在は侵略犯罪と呼ばれている平和に対する罪の有罪判決の事例は1件もありません。プーチンと彼の部下は、そのような起訴を受ける次の人物となる可能性があります。

侵略犯罪
他国の主権、領土保全または政治的独立に対する一国による武力の行使(国連による定義)。

旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(1993-2017)

背景:旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷は、1991年から2001年までの旧ユーゴスラビアにおける戦争中に犯された犯罪を捜査するために、1993年に国連安全保障理事会の決議により設立されました。前の裁判とは異なり、この裁判は中立的な領域(オランダのハーグ)で行われ、その裁判官は国連総会によって選ばれたため、公平であると見なすことができます。裁判は、最も厳しい刑罰として、より寛大な無期拘禁刑を選択しました。裁判は初めて、集団(上下関係)責任の原則を導入し、それはつまり、部下の犯罪に対する指導者の罪を認めました。

ソース:Getty Images.

被告人:スロボダン・ミロシェヴィッチ ユーゴスラビア連邦共和国前大統領、ラドヴァン・カラジッチ自称セルビア人共和国大統領、自称セルビア人共和国軍の参謀総長であるラトコ・ムラディッチ、その他の軍事的および政治的指導者を含む161人の旧ユーゴスラビアの首脳。

起訴:裁判は戦争犯罪、人類に対する罪を審理し、また史上初に、虐殺行為、具体的に1995年にボスニア・ヘルツェゴビナの東部にあるスレブレニツァ市で犯されたボスニアのムスリム人に対する犯罪で起訴を提起しました。裁判は、1949年に採択されたジュネーブ条約の規定に基づいていました。

ソース:Getty Images.

判決:90人の被告人が有罪判決を言い渡され、21人が無罪判決を言い渡され、13人の事件が国内裁判所に移送され、37人の事件が起訴の取り下げまたは被告人の死亡により取り下げられました。スロボダン・ミロシェヴィッチは、裁判の判決を聞くことなく、2006年にハーグ刑務所で死亡しました。2016年、ラドヴァン・カラジッチは、戦争犯罪とボシュニャク人の虐殺の罪で禁錮40年を言い渡されました(後に、上訴により、終身禁錮の判決が下され、刑が確定しました。)2017年、ラトコ・ムラディッチは、スレブレニツァ市での虐殺と、サラエヴォ包囲砲撃で終身禁錮の判決を言い渡されました。2017年、被告人の1人である元クロアチアの司令官であったスロボダン・プラリャクは、判決の朗読中、毒を飲み自殺しました。

ルワンダ国際戦犯法廷(1994-2016)

背景:ルワンダ国際戦犯法廷は、ルワンダおよび近隣諸国における国際人道法違反について責任を有する人物を訴追するために国連安全保障理事会の決議により設立されました。それは主に、1994年にフツ族の代表によって犯されたルワンダの民族であるツチの虐殺についてです。 法廷はアルーシャ(タンザニア)で開かれ、上訴法廷はハーグにありました。

被告人:ジャン・カンバンダ元首相、政治家、起業家、宗教団体のメンバー、メディアの幹部を含むルワンダの軍事的および政治的首脳。合計96人の被告人。

起訴:法廷は、虐殺、人類に対する罪、およびジュネーブ条約の違反に関する管轄がありました。

判決:61人の被告人がさまざまな有期懲役刑を言い渡され、14人が無罪を言い渡され、10人の事件が国内裁判所に移送されました。8人の被告人については、特に死亡により訴訟が中止されました。2人の被告人はまだ指名手配中であり、1人は2020年にのみ捕らえられました。

ソース: Getty Images.

ルワンダ法廷が興味深いのは、そこでプロパガンダ扇動者が虐殺を教唆した罪で有罪とされたことです。憎悪表現が戦争犯罪として認められたのは、ニュルンベルク裁判以来初めてのことでした。ラジオ局「ミルコリンヌ自由ラジオ・テレビジョン」の取締役であるフェルディナンド・ナヒマナは終身刑(上訴により禁錮30年)を言い渡され、常務理事であるジャン・ボスコ・バラヤグウィザは禁錮35年(上訴により禁錮32年)を言い渡され、「カングラ」新聞の編集長であるハッサン・ンゲゼ編集長は終身刑(上訴により禁錮35年)、通信員のベルナール・ムキンゴとヴァレリー・ベメリキは終身刑を言い渡されました。報道の自由と記者の権利を保護する組織「国境なき記者団」がこの決定を承認しました。「ミルコリンヌ自由ラジオ・テレビジョン」は、わずか1年間ツチに対して憎悪表現を放送しましたが、ロシア連邦の国家的なプロパガンダは、数十年にわたって違った情報現実を生み出してきました。

シエラレオネ特別法廷(2002-2013)

背景:シエラレオネ特別法廷は、政府と革命統一戦線との間のシエラレオネでの1991年から2002年までの戦争中に犯された重犯罪を捜査するために2002年に設立されました。約11年間の戦争で約12万人が命を奪われました。法廷は、シエラレオネ政府と国連との間の条約に基づいて設立され、同国の首都フリータウンで活躍しました。

被告人:非常に残虐な行為を犯したり戦争で子供を使用したりした革命統一戦線を支持していたチャールズ・テーラー・リベリア前大統領、革命統一戦線のリーダーであるフォディ・サンコーやシエラレオネの自称大統領であるジョニー・ポール・コロマを含む23人。

起訴:人類に対する罪、ジュネーブ条約違反、国際人道法違反およびシエラレオネ法令違反。

判決:人類に対する罪と戦争犯罪で2012年に禁錮50年を言い渡されたチャールズ・テーラーを含む16人が禁錮を言い渡されました。3人が無罪を言い渡され、さらに2003年に亡くなったフォディ・サンコーを含む3人が審理中に死亡しました。被告人の一人であるジョニー・ポール・コロマは逃亡し、見つかりませんでした。

カンボジア特別法廷(2003年-現在)

背景:カンボジア裁判所の特別部として設立された裁判所、またはクメール・ルージュ法廷は、1975年にカンボジアで権力を掌握した過激な共産主義者であるクメール・ルージュの指導者を起訴するために設立されました。当人物は、1979年まで続き、100万人から300万人を殺した虐殺政権であるいわゆる民主カンプチアを設立しました。法廷は、国連と共にカンボジア政府によって設立されました。審理は、カンボジアの首都プノンペンで開催されます。クメール・ルージュの最も有名な指導者であるポル・ポトは、法廷が始まる前、1998年に亡くなりました。

被告人:カン・ケク・イウ、ヌオン・チア、キュー・サムファンなどのポル・ポトの最も親しかった人物を含む民主カンプチアの9人のリーダー。

起訴:カンボジアに住むベトナム人とチャム人の虐殺、人類に対する罪、戦争犯罪、およびカンボジア刑法によって定められている犯罪。

判決:カン・ケク・イウ、ヌオン・チア、キュー・サムファンは終身刑を言い渡され、1人の被告人は判決前に死亡し、もう1人は認知症のため心神喪失により釈放を認められました。他の4人に対する訴訟は取り消されました。カンボジア特別法廷は共産主義政権に対する最初の裁判ですが、勝利者が敗者を裁いたため客観性の欠如でしばしば批判されるニュルンベルク裁判とは異なり、クメール・ルージュに対する裁判は中立で公平です。

東ティモール特別法廷(2000-2006)

背景:東ティモール重犯罪特別法廷は、1999年に東ティモールのインドネシアからの独立闘争中に犯された重大な刑事犯罪の加害者を訴追するために、国際連合東ティモール暫定行政機構によって設立されました。特別法廷は、同国が国連暫定行政下にあったため、一方的に、つまり、国連と東ティモールの間の条約に基づいてではなく、国連行政機構によって設立されました。さらに、東ティモールには、重大な犯罪を捜査するための刑法や司法制度がありませんでした。特別法廷の開催地は東ティモールの首都ディリ市でした。

被告人:約400人が起訴されました。しかし、88人の被告人の事件だけが法廷で審理されました。他の者はインドネシアの市民であったため、インドネシア政府は彼らを東ティモールや国連に引き渡すことを拒否しました。

起訴:虐殺、戦争犯罪、人類に対する罪、殺人、性的犯罪、拷問。

判決:84人が有罪判決を言い渡され、4人が無罪判決を言い渡されました。

レバノン特別法廷(2009年-現在)

背景:レバノン特別法廷は、2005年にレバノンの元首相ラフィーク・ハリーリーと他の21人を暗殺した責任者を明確にして起訴するために2007年に設立されました。これは、テロ行為を犯した者を起訴する最初の国際法廷です。法廷は、レバノン政府とともに国連によって設立され、2009年からオランダのライツヘンダム市で開催されています。

被告人:世界の多くの国でテロ組織として認められているシーア派組織「ヒズボラ」に関連する4人。

起訴:爆発装置によるテロ行為の事前の陰謀および成立、爆発物の意図的な使用による殺人、および殺人未遂。

判決:「ヒズボラ」に関連するサリム・ジャミル・アイヤシュは2020年に本人不在のまま有罪判決を下され、「終身刑5回」の量刑を言い渡されました。他の3人の被告人は無罪を言い渡されました。

コソボ特別法廷(2015年-現在)

背景:コソボ特別法廷および特別検察庁は、1998年から2000年までのコソボ戦争中に戦争犯罪に関与したコソボ解放軍の元組織員を起訴するために設立されました。特別法廷は、欧州連合と共にコソボ共和国によって設立されました。特別法廷はコソボの司法制度の一部ですが、コソボの国内裁判所から完全に独立しており、その管轄内のすべての刑事事件を最初に審理する権利を有します。法廷はハーグにあります。

被告人:コソボ解放軍の元司令官サリフ・ムスタファと、起訴時にコソボの大統領だったハシム・サチを含む8人。

起訴:戦争犯罪、人類に対する罪。

判決:3人に対する裁判は2021年の秋に始まりました。他の者に対しては、裁判前捜査が進行中です。

国際刑事裁判所

背景:ハーグにある国際刑事裁判所(ICC)は、虐殺、人類に対する罪、戦争犯罪、侵略犯罪の責任者を訴追する唯一の常設国際組織です。裁判所は、2022年現在、世界の123か国によって批准されているローマ規程に基づいて1998年に設立されました(ロシアは最初にローマ規程を署名しましたが、その後署名を撤回しました。)ICCは、ローマ規程を批准した国、またはICCと特別協定に署名した国の領域内で犯された犯罪を捜査することができます(ウクライナがユーロ・マイダン革命およびロシア・ウクライナ戦争の開始後にこのように署名しました。)裁判所は、ローマ規程(2002年)の発効後に犯された犯罪にのみ管轄権を有します。

ロシア軍によるウクライナへの本格的な侵略が行われた後、39か国がウクライナにおける状況について国際刑事裁判所に訴えました。2022年3月2日、国際刑事裁判所は、ロシア連邦のウクライナに対する侵略的な戦争に関連して犯された戦争犯罪および人類に対する罪の捜査を開始しました。
ICCの検察官カリム・カーンはすでに何度かウクライナを訪れ、ロシア軍が犯した犯罪の証拠を集めました。

被告人:発足以来、2022年現在、国際刑事裁判所は46人の個人を起訴しました。被告人の中には、スーダンの元大統領オマル・アル=バシール、コートジボワールの元大統領ローラン・バグボ、またリビアの独裁者ムアンマル・アル=カッザーフィーの息子であるサイフ・アル・イスラム・ムアンマル・アル=カッザーフィーがいます。

写真: The New York Times.

起訴:虐殺、人類に対する罪、戦争犯罪および侵略犯罪。

判決:8人が懲役刑を言い渡され、4人が無罪を言い渡され、10人に対する起訴が取り消され、4人が裁判開始前に死亡しました。他の20人は訴訟中です。2016年にICCによって有罪判決を言い渡されたマリのイスラム主義者アフマド・アル=ファキ・アル=マフディは、「宗教的および歴史的建造物への意図的な攻撃」で9年の禁錮を言い渡されたため、この判例はウクライナにとって役に立つと思われます。

戦争犯罪者に対する国際裁判所のこれまでの経験を考えると、ウクライナに対する戦争では、ロシア連邦の軍事的および政治的指導者は、人類に対する罪、戦争犯罪、侵略犯罪、そしておそらく他の犯罪よりも証明することが困難である虐殺で起訴されると予測できます。人類に対する罪、戦争犯罪、虐殺は、ハーグの国際刑事裁判所が審理できます。

一方、ロシアもウクライナもローマ規程を批准していないため、ICCは侵略犯罪を審理することはできません。したがって、侵略犯罪を審理するために、別の一時的な司法機関である法廷が設立されるはずです。ウクライナ人の法律家および外国の法律家は、すでにそのような法廷の設立に取り組んでいます。同時に、戦争犯罪の直接の加害者に対する裁判プロセスはウクライナの裁判所で行われています。5月23日、キーウのソロミヤンシク地方裁判所の判決により、ロシアの軍曹ヴァディム・シシマーリンはウクライナ市民の殺害の罪で終身刑を言い渡されました。

戦争犯罪者を裁いた、または裁いている国際裁判所は、多くの理由で批判されています。まず第一に、訴訟には時間がかかります。場合によっては、審理は何年にもわたって続き、被告人はしばしば判決が下される前に死亡します。しかし、戦争犯罪者に対する国際裁判は、歴史的な出来事や犯罪における高官の役割をはっきりさせるため、歴史的に重要な意味があります。これらの裁判は、文明的法的枠内の国際犯罪者に適切な罰を科することができる唯一の裁判です。しかし、上記の国際裁判のほとんどは、犯罪者に対する軍事的勝利を獲得した後にのみ可能となることに注意しなければなりません。したがって、ウクライナは、国際司法の分野でより良い地位を持つために、戦場で敵を打ち負かすべきです。

コンテンツ作成スタッフ

プロジェクト企画:

ボフダン・ロフヴィネンコ

企画:

マクシム・シトニコウ

編集長:

ナタリヤ・ポネディロク

編集:

カテリーナ・レフカ

写真編集:

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カテリーナ・ユゼフィク

翻訳:

タマーラ・コマルヌィーツカ

翻訳編集:

藤田 勝利