ウクライナや国際的な人権活動家たちは、ロシア軍がウクライナで犯した戦争犯罪を毎日のように記録しています。ウクライナ人に対する大量虐殺、プーチンとその配下に対する国際法廷の創設、ニュルンベルク裁判など戦犯を処罰した前例に関する言及が盛んに行われています。しかし、それらは本当に有効なのでしょうか、また、ロシアのプロパガンダ扇動者たちに対して遅かれ早かれそのような法廷が開かれることをウクライナ人たちは望むことができるのでしょうか?歴史的な例と現時点との類似性を考慮しながら、国際法廷におけるプロパガンダ扇動者たちのケースを見て、この問題でどこに正義を求めるべきかを探ってみます。
すべての侵略戦争は、大衆に影響を与える道具としてプロパガンダを利用して行われます。なぜなら、国家や民族共同体全体を破壊するには、計画・結束力・動機付けが必要だからです。したがって、プロパガンダは、いわば戦争の目に見えない燃料となり、また、その犯罪を隠すための受け皿となるのです。
ジェノサイド(大量虐殺)に対する責任
集団殺害罪の防止および処罰に関する条約第3条は、ジェノサイドの実行だけでなく、ジェノサイドを実行するための共謀、ジェノサイドを実行するための直接的かつ公的な扇動も犯罪とするものです。したがって、プロパガンディスト(プロパガンダ扇動者)は、国際法上、やはり処罰される可能性があります。難しいのは、彼らの有罪を証明することです。結局のところ、犯罪の痕跡はしばしば破壊され、被害者は再びトラウマに悩まされることや社会的偏見を恐れて、あるいはこのような事件は戦争における自然な現れであるという考えが広まっているため、必ずしも司法制度に助けを求めてはいません。多くの犯罪は、誰にも知られないままか、かなり後になってから明らかになっています。
まずはジェノサイドの概念から、その組織化と実施に関わった人々を罰するための証拠資料がどのように形成されるかを理解しましょう。ジェノサイドやロシアのウクライナ戦争を研究するアメリカのシンクタンク「New Lines Institute for Strategy and Policy」のスペシャルイニシアティブディレクターであるアジム・イブラヒムは、ジェノサイドの概念の誤解に警告を発しています:
-何人殺害されたのか、ということがジェノサイドについて触れる際に考えられていますが、ジェノサイドは数字とは関係ありません。ジェノサイドかどうかは、その意図があるかどうかについてなのです
ロシアのプロパガンディストであるアントン・クラソフスキー
ジェノサイドの事実を証明し、その責任を負うべき者を罰するために、歴史的背景はジェノサイドの意図を特定するのに役立ちます。しかし、この意図の代弁者であるプロパガンディストが刑事責任を問われることは非常に稀です。戦時中のプロパガンダの内容作成への参加を証明することは非常に困難であり、彼らの発言をジェノサイドとそれによる被害に結びつけることはさらに困難です。さらに、このような告発は、世界人権宣言(第18条、第19条)で保障されている表現の自由に対する権利の侵害と密接に関係しています。ルワンダ虐殺(中部アフリカ、1994年)後のプロパガンディストに対する裁判でも論拠として用いられ、ウクライナで本格的な戦争を起こしたロシアの加害者を擁護するためにも用いられる可能性があります。
第二次世界大戦中のホロコーストのような悲劇と、ロシアが2022年2月に始めた本格的な戦争でのウクライナ人に対する虐殺を比較するのは間違いです。あらゆるジェノサイドはいずれも個別具体的な現象であり、特定の民族や人口集団に対する差別・孤立化・権利の制限という長期的、場合によっては数世紀にわたる政策に基づくものなのです。専制政治や犯罪者たちが自らの目的のためにうまく利用し操作している歴史的背景は、特定の集団に対する計画的な抹殺のための前提条件となり得ます。
ルワンダでのジェノサイド(ルワンダ虐殺)
1994年にルワンダで起こったジェノサイドは、同国の多数民族であったフツ族が組織したツチ族への虐殺である。国連の推計では、100万人以上が殺害され、15万人から25万人の女性がレイプの被害に遭ったとされている。ロシアによるウクライナに対する戦争は、ロシアが意図的かつ組織的にウクライナの人々を抹殺しようとしているケースです。ルワンダに至っては、フツ族とツチ族という2つの民族間の内戦であり、カンボジアでのジェノサイド(1975~1979年)は、政治的主張を理由に人々を抹殺させたものです。これらのジェノサイドには、それぞれ特定の意図を形成するための前提条件があります。それぞれが悲劇ですが、これらの悲劇を法律や哲学的な観点から評価することは間違っています。
ウクライナの政治家や世界の政治家の多くは、本格的な戦争中にロシア人を戦争犯罪やジェノサイドで罰することについて議論しています。Raoul Wallenberg Centre for Human Rightsのカナダ人人権活動家であるヨナ・ダイアモンドとの会話で、異なるアプローチを探す必要があることが明らかになりました:
-ウクライナでは現在(2023年1月末)、6万件以上の戦争犯罪の捜査が行われています。この数はあまりにも多く、対応措置やさらなる犯罪の防止、住民の保護といった本来の姿を失っています。戦争犯罪、戦争犯罪者、その訴追だけに焦点を当てるのは、歴史的に見ても、戦争犯罪者の裁判はそれほど効果的ではなかったので、実は間違っているのです。
ロシアの戦争犯罪
英米の歴史家であるトニー・ジャットも、その著書「Postwar: A History of Europe Since 1945」でこの点について述べています。例えば、戦後のイタリアでは、誰が何に対して裁かれるべきなのかが明確ではありませんでした(この国は枢軸国の一部でした)。オーストリアは、1943年の連合国協定のもとで、ヒトラー率いるドイツの「最初の犠牲者」として認められましたが、「オーストリア人はヒトラーとの関係を頭から追い出しただけ」であり、「自国の利益のために直近の歴史を脚色することは、現地のあらゆる勢力に都合がよかった」ため、戦争犯罪から免れそうになりました。ギリシャでは、他の西欧諸国と同様、「粛清と裁判は<...>公然と政治的動機に基づくものでした」。ソ連の共産主義政府は、自分たちに都合が悪い者を排除する道具として裁判を利用しました。このように、歴史は逆説的なケースを幾つか示しています: 第一に、戦時下において白黒を区別することは困難であり、国全体がこのような出来事に巻き込まれた場合、裁判官はしばしば被告人と変わりません。第二に、戦争で疲弊した国々は、少しでも安定を取り戻そうとするため、(意識的かどうかは別として)対立時には受け入れられなかったような妥協を余儀なくされることが多いです。第三に、犯罪の主要な加害者はしばしば責任を回避することができますが、一般の(しばしば無関係の)人々はそうではありません。
ウクライナは、全面的な戦争が続いている中で、記録されている6万件を超える戦争犯罪に対して責任のある者全員を処罰できるのでしょうか?プロパガンディストの内容(文章、音声、映像など)と実際の犯罪との関連性を証明できるのでしょうか?また、プロパガンディストを処罰する唯一の方法は国際法廷であると考えるべきなのでしょうか?
枢軸国
1940年に三国同盟を結んだドイツ・イタリア・日本の同盟。各国は、他国が攻撃してきた場合に互いに援助し合うことに合意した。第二次世界大戦中、ヨーロッパの他の5カ国が枢軸国同盟に加わった(ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・スロヴァキア・クロアチア)。戦争と大量虐殺におけるプロパガンダ
世界大戦や大量虐殺におけるプロパガンダの影響は否定できませんが、こうした悲惨な出来事の主要な原因とは見なされないことが多いです。しかし、影響を及ぼすのは権力者のスローガンポスターや演説だけではありません。プロパガンダのナラティブは大衆に受け取られ、人々は私的な会話や公の場で同じ言葉を口にするようになるでしょう。このようにして、出来事に対する歪んで偏った認識は目立たなくなり、したがって罰せられることもありません。プロパガンダが戦争犯罪、侵略戦争、大規模弾圧と直接的に関係していることを理解する上で重要なのは、プロパガンダの組織的で忠実な本質です。
マルガリータ・シモニャン
ロシアにおける現代のプロパガンダを例に挙げてみましょう。ロシアのテレビに映し出されるクレムリンの報道官の演説は、この現象の始まりでも終わりでもありません。なぜなら、それは意識や認識に影響を与える体系的な手法に基づいているからです。プロパガンダは常に何かに依拠し、同時に国民生活のさまざまな領域に「伝染」しています。ロシアの場合、こうした支持と影響の重要なポイントは、長い植民地支配の歴史、教育のイデオロギー化(特に、ロシアに乗っ取られたウクライナやその他の民族・国家の役割に関して)、特定の地域に対する一般的な社会的・経済的抑圧、そしてプーチン大統領時代にロシア人を大量に「ゾンビ化」させ、歪曲された別の情報による現実を作り出す道具となったメディアが挙げられます。国外でこのプロパガンダを「温め」、そのプロパガンダを支援するために多額の資金が投入されていることも、重要な要因となっています。ソフトパワーに助けられ、ロシアのプロパガンダは民主主義国家でも機能しています。このようなシステムを実施するには、メディアの専門家から教師、学者、そしてこのプロパガンダを信じることを選択している一般人に至るまで、多くの人々を巻き込むことが必要となってきます。例えば、ソーシャルメディアやメディアが長年当局によって完全にコントロールされているか完全に禁止されているミャンマー(アジア)や中国の人たちとは違って、ロシア人は他の情報にもアクセスできるのです。
ロシアのZマーク
侵略戦争と大量虐殺は、人々がこの破壊のシステムを大々的に支持する場合に限って可能となります。
例えば、現代のロシアの宣伝プロパガンディストたちは、ユダヤ人とフリーメイソンに関する陰謀説を支持しています。所謂「シオン賢者の議定書」は、捏造されたプロパガンダ資料で、20世紀初頭にロシア秘密警察の指示で作成されました。世界を秘密裏に支配するユダヤ人とフリーメーソンの兄弟組織が存在することを証明するとされているものでした。この捏造資料は、ロシアの社会問題の責任を、そこに住むユダヤ人社会に転嫁するため、つまり敵意を煽るために作成されました。この資料が捏造されたものであることは証明されていますが、現代のロシアのプロパガンディストたちはいまだにこのテーゼを唱えています。ユダヤ人、ウクライナ人、西側世界全体への憎悪を混同している「ソロス」思想も、彼らが推し進めている思想です。ロシアがウクライナ東部に侵攻した2014年に開始した反ウクライナプロパガンダの場合、特に「ナチズム」に関して同様の論理をたどることができます。アゾフ連隊に関するフェイク情報から、ウクライナ軍総司令官ヴァレリー・ザルジュニーのナチスシンボルのブレスレットに関する偽情報まで、クレムリンの報道担当はこのようなレトリックの新たな「パッケージ」を常に作り出しています。もう一つの例は、ウクライナ軍に対する「ナチズム」非難です: 2023年2月21日、プーチンはロシア連邦議会で演説し、ウクライナ軍がある旅団の名称を「エーデルワイス」に変更したことに激怒しました。一方で、つい最近まで、同じ名前の山岳部隊がロシア国家親衛隊に存在していました。
ソロス
ハンガリー系ユダヤ人のアメリカ人金融家・慈善家であり、開かれた民主主義社会のインフラと制度の再建を支援することを目的とした数十の財団を設立したジョージ・ソロスの名前に由来する。「ソロス」という言葉は、ロシアのユーリ・ポリャコフが西洋の世界観を表現するために初めて使用した。顔に手を当てているプーチン
カンボジアやルワンダでの大量虐殺は、無政府状態とは言わないまでも内政崩壊が蔓延している後発開発途上国におけるもうひとつのカオスであると国際社会によって誤って解釈されていました。しかし、大量虐殺は、重要なイデオロギー的ナラティブの構築と流布に関するシステム、秩序、厳格な統制がある場合にのみ可能なものです。
世界は冷戦という現実の中でありました。共産主義がまだ世界中に急速に広がっていた時代でしたが、当時、ラテンアメリカやアジアの多くの国々は、ウラジーミル・レーニンによって歪められたカール・マルクスの共産主義思想が、ナチズムに代わる最良の選択肢ではないことにまだ気づいていませんでした。
インドネシアの大量虐殺
1945年にイギリス労働党政府によって創設された情報調査部(IRD)は、世界で4番目に人口の多い国での共産主義体制化を阻止しようとしました。IRDのチームは反共産主義的なマテリアルを作成し、その活動は一般的に英国諜報機関MI6と密接に結びついていました。ジェノサイドに関するイェール大学の研究者が以下のように説明しています:
-犠牲者の多くは、ジャワの農民(通常は名目上のイスラム教徒)とバリのヒンドゥー教徒の農民で、インドネシア共産党(Partai Kommunis Indonesia)を支持したり、支持していると疑われたりした人々でした。ジャワ島とバリ島の両方で、インドネシア共産党は1950年代の選挙で多くの票を獲得しました。軍は反共キャンペーンを展開し、熱狂的なイスラム教徒の若者たちが多くの殺害を行いました。
1965年から1966年にかけての大虐殺の後、スハルトはインドネシアの権威主義的指導者となり、大規模な抗議運動によって退陣を余儀なくされるまで、32年間にわたって国を指導しました。スハルトの統治がもたらした壊滅的な影響は、いまだ続いています。
ソ連のプロパガンダが計画的かつ組織的であったことは間違いありません。大量の国外追放や殺人、弾圧、強制的なロシア化、特定の民族に対する大量虐殺は、常にプロパガンダ活動を伴っていました。これらの情報手段はすべて、ルワンダ、インドネシア、カンボジア、あるいは全体主義時代の他の国々におけるものにも共通しています。
「反体制派」を冤罪で告発し、脅迫を行い、それを回避する唯一の正しい方法として服従を促す(実際には、これはしばしば物理的においても精神的においても侵略者への服従を意味する)、これは、すべての全体主義政府とそのプロパガンダが実践してきたことです。
プロパガンダには常にいくつかの目的があります。まず第一に、侵略国の犯罪を国民の前で正当化し、殺人者を「解放者」や「より崇高な」使命のために戦う者として英雄化します。第二に、一方では犯罪の痕跡を一掃することで将来的に加害者を見つけることを困難にするか若しくはそれを不可能にし、そして他方ではさらなる文化的・軍事的介入の根拠を提供するために、歴史を歪曲しています。
例えば、1944年のクリミア・タタール人に対する強制移住は、彼らがナチスに集団で協力したという虚偽のプロパガンダを伴って行われました。ソ連は、クリミア・タタール人が「反逆行為」を行ったため、他のソ連市民にとって脅威となるという考えを広めました。
その荒唐無稽さにもかかわらず、戦争は苦しみを生み出すものではなく苦しみを和らげるものであるという考えを示しているため、全面戦争中の現代ロシアのプロパガンダは侮れません。
プーチンは2022年2月24日の演説で、「NATOの軍事兵器が国境に近づいている」と述べ、「防衛のために、我々には他に選択肢が残されていない」と語りました。ウラジーミル・ソロヴィヨフの番組に出演したゲストの一人は「ウクライナを立て直すことはできない。ウクライナは反ロシア的な存在であるから、破壊しなければならない。ウクライナはロシアを脅かす存在なのだ」と述べました。
西側諸国とウクライナの集団がもたらしているとされている幻の脅威は、ロシア国民全体とその指導者たちにおいて共通した主張です。それは彼らの意識に根付いているため、反論することはほとんど不可能になっています。
ウラジーミル・ソロヴィヨフ
インドネシア、カンボジア、ソ連でプロパガンダを広めた人々は処罰されず、ましてやそれを実行に移した人々においても処罰されませんでした。しかし歴史上、プロパガンディストたちが国際裁判所や現地の裁判所で裁かれた例はあります。これらの判例は、将来のロシア人犯罪者の裁判の手本としてよく用いられます。これらの事例のうち、どれが実際に現在のロシアによるウクライナに対する戦争に関連しているのか、またプロパガンディストたちと戦う他の方法にはどのようなものがあるのかを見てみましょう。
ルワンダ虐殺どのようにプロパガンディストは罰せられたのか
2022年、89歳のルワンダ人プロパガンディストのフェリシアン・カブガの裁判がハーグ(オランダ)で始まりました。26年間、さまざまな国に潜伏していた彼は、2020年、ついにパリで逮捕されました。カブガ容疑者は、大量虐殺を呼びかけ、プロパガンダメディア、武装グループ、政治組織に資金を提供し、人類史上最も残虐な出来事のひとつである1994年のルワンダでの大量虐殺(ジェノサイド)に関与した罪に問われています。
フェリシアン・カブグ
ルワンダの民族のひとつであるツチ族の抹殺を目的としたジェノサイドでした。それは暫定政府の武装部隊によって行われました。しかし、犠牲者の中には、何らかの形でツチ族を支持したフツ族の代表者も含まれていました。ツチ人のコミュニティーに対する大量殺戮に貢献したのは、プロパガンディストたちでした。フェリシアン・カブグはRTLM(”Radio Télévision Libre des Mille Collines”の頭文字)というラジオ局のオーナーで、そのラジオ局は憎悪と暴力を扇動するプロパガンダの発信源として活動していました。RTLMは、ツチ族を「ゴキブリ」と呼んだり、しばしば比喩的な表現で殺害を呼びかけるなど、その内容を通じてツチ族の人間性を否定しました:「高い木を切り倒せ!」(ツチ族はフツ族と違って背が高いと信じられていました)、「ゴキブリを絶滅させろ!」。RTLMの司会者は放送で「潜在的に危険な人物」のリストを読み上げ、今後の犠牲者の住所を伝え、一般市民も参加したツチ族に対する組織的大量殺人を促進しました。使用された凶器は主に冷たい鋼鉄のナタで、これがRTLMの別名である「Radio Machete」という別称の由来となりました。
ルワンダ虐殺
ジェノサイドは、1994年4月にルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領が乗った飛行機が撃墜されたことから始まったと一般的に考えられています。この惨劇の責任は誰にあるのか、いまだに正式な判決は出ておらず、調査は継続中です。しかし、大量虐殺の準備はずっと以前から行われており、特にプロパガンダを通じて、毎年その規模を拡大していました。1993年にルワンダの隣国であるブルンジで内戦が起こった後、プロパガンディストたちは、ツチ族にすべての責任をなすりつけるキャンペーンを積極的に展開しました(実際には、ブルンジでは約5万人のフツ族とツチ族が殺害されました。)ベルギー生まれのアメリカ人作家ディナ・テンプル=ラストンは、著書「草原の正義:3人のルワンダ人ジャーナリスト、彼らの戦争犯罪裁判と国家の贖罪への探求*」の中で、当時のルワンダ大統領のツチ族に対する認識のレトリックの変化について言及しています:
-まず、語彙が変わりました。彼は植民地時代の経験に訴えました。当選当初、ハビャリマナ(当時ルワンダ大統領)は、ツチ族を人種ではなく民族として語っていました。彼らはルワンダ人であり、異質なコミュニティではない、と。ブルンジでの殺害の後、その主張は変わりました。それは、ツチ族が最も合法的で日常的な行動であっても他人の領土を侵害している、という考えを中心に展開されました。
*
書籍の題名は翻訳者による訳ルワンダ虐殺
2003年の重要な裁判では、ルワンダのプロパガンディストたちが大量虐殺を扇動した罪で有罪判決を受けました。その中には、RTLMの創設者の一人であるフェルディナンド・ナヒマナ(終身刑)、過激派フツ族の新聞「カングラ」のオーナー兼編集者であるハッサン・ンゲゼ(終身刑)、そして裁判をボイコットしたRTLM幹部のジャン=ボスコ・バラヤグウィザ(35年の禁錮刑、裁判を待つ間に7年間刑期を過ごしたため27年に減刑)が含まれていました。被告3人全員が控訴しました。2007年、控訴審は一審判決のいくつかの点を覆し、ナヒマナとンゲゼの刑を無期懲役から30年に、バラヤグウィザの刑を3年減刑しました。
AP/Sukhed Chhatabar
メディア事件として歴史に残るルワンダのプロパガンディストたちの裁判は、国際社会で多くの議論を巻き起こしました。一部では、言論の自由に対する攻撃であり、国際法から見ればメディアの独立性を弱めかねないという意見もありました。また、ルワンダ国際刑事裁判所全体が、ルワンダ人ジャーナリストのマーティン・セムカンヤからの批判も含め、非効率、腐敗、結果の質に疑問があるとの批判に直面しました:
-何人が、どの程度、何を根拠に有罪判決を受けたのですか?約20年間で裁かれたのは70人足らずです。それはルワンダ社会にとって満足のいくものではありませんでした。それは正義ではありません。大きな失敗だったと思います。
「メディア事件」は、プロパガンダシステムの指導者が国際法の下でどのように処罰されうるかを示しています。しかし、この件はロシアのウクライナに対する全面戦争とは関係がありません。というのも、ルワンダの場合、プロパガンディストたちはフツ族の指導者とつながっており、彼らと協力し、何人かの場合は文字通りジェノサイドに資金を提供していたからです。もし彼らがプロパガンダ行為だけで裁かれていたら、このような判決を受けたでしょうか?
Scott Peterson/Liaison via Getty Images
もう一つの問題は、(意識的かどうかは別として)プロパガンダ推進していたが、その指導者ではなかった人たちをどう扱うのかということです。テレビやラジオの司会者、カメラマン、ディレクター、脚本家、プロデューサー、技術者、編集者、広告主や、その人がいなければメディアの影響が及ばなかっただろう人たちなどです。
ルワンダのプロパガンディストには、その地位と権威を利用して大量虐殺を扇動した、ヨーロッパで教育を受けたメディアで活躍する知識人も含まれています。公的な広報担当や知識人たちは、自分たちの発言がもたらす結果を理解していたと考えることができます。しかし、人々が実際に情報をどのように受け止めているかを解釈するための最も広い枠組みを作り出しているのは、広報担当と聴衆との間の相互関係なのです。
ルワンダのプロパガンディストに対する国際法廷は、ほとんどが「ヘイトスピーチ」の象徴である人々だけ犯罪者リストに含まれていることを示しています。したがって、ロシアのプロパガンダシステムの「歯車」が国際レベルの犯罪者リストに含まれるかどうかは疑問ですが、それでも裁かれる可能性はあります。例えば、ガカカと呼ばれるルワンダの人民裁判所は、ラジオ司会者のヴァレリー・ベメリキをジェノサイド扇動罪で終身刑に、ベルギーのプロパガンダ・ジャーナリストのジョルジュ・ルージュを12年(捜査協力で減刑)の刑に処することができました。しかし、これらの法廷は専門的でなく、ジェノサイドに参加した個人の証拠に乏しいことが多かったのです。同時に、容疑者は何年も、あるいは何十年も非人道的な環境で拘留されました。
ホロコーストとプロパガンダに対する不処罰
「決して忘れない者たち(Those Who Will Never Forget)」-このメモは、ラトビアの飛行士であり、ホロコーストのさなかラトビアのユダヤ人に対する最も残虐な虐殺を実行した警察補助部隊Arajs Kommandoの副司令官であったヘルベルトス・ツクルスの遺体とともに発見されたものです。
ニュルンベルク裁判
このメモは、イスラエルの諜報機関モサドのエージェントが、以前共同事業を立ち上げるという口実でこの犯人を誘い出し、1965年にウルグアイでこの犯人を排除した際に残したものです。マイケル・バー=ゾウハー(著書「Mossad: The Great Operations」)によれば、ドイツの一部の高官も同じメモを受け取ったとのことです。これは、過去に政府や占領者の残酷な行為に苦しめられた地域社会が、やがて公的な裁き(残念ながら、しばしば疑わしいもの)を何年も待つことはできないと判断し、独立した捜査に頼るようになった例です。
歴史の流れからすると、ナチスの処罰は予見可能なプロセスであり、妨げられることはなかったように思えるかもしれません。ニュルンベルク裁判、そして後にナチスの指導者の一人であるアドルフ・アイヒマンの裁判(1961年)は、少なくともある種の正義を達成する象徴となりました。ちなみに、彼もモサドの工作員に捕まりました。
しかし、ニュルンベルク裁判は、ナチスの活動を非難するための示威的な意味合いが強かったのです。ヒトラー連合(イギリス、アメリカ、フランス、その他国連を創設した数十カ国)の代表は、「第三帝国」の当局を代表する24人の被告と、中央軍、政府、行政機関を代表する別の6人の被告を選出しました。その結果、6つの組織のうち3つに犯罪性が認められましたが、一方でこれらの組織のメンバー全員が処罰されたわけではありません。ナチスの一見明白な犯罪であっても、人権擁護者たちは数多くの証拠、証言、ドキュメンタリー、写真を用いなければなりませんでした。これらは、死刑執行人の面前で直接語られた犠牲者に関する物語であり、必ずしも有罪判決を保証するものではなかった果てしない事務作業でした。
ニュルンベルク裁判
国際社会はすべてのナチス犯罪者を訴追するつもりはありませんでした。結局のところ、特に法の支配について戦後の世界で戦前のような秩序を確立するのはかなり困難でした。歴史家トニー・ジャットはその著書「Postwar…」の中で、同時代の人々が抱いていたニュルンベルク裁判に対する理想的な見方を覆しています:「ナチスの数が多すぎましたし、集団的判決に反対する主張には説得力がありすぎました。いずれにせよ、何百万人もの人々が同じような罪を犯したという判決にどう対処すべきか、誰もわからなかったでしょう。」
ジャットによるもう一つの見方は重要です:
-ヒトラー自身から始まった「第三帝国」の指導者たちの個人的な罪があまりにも完全かつ綿密に立証されたため、それ以外の人々には罪はなくドイツ国民全体が他の人々と同じようにナチズムの受動的な犠牲者であると多くのドイツ人は考えたのです。
ロシアではすでにこのような言説が見られ、「我々は平和を願っている」「これはプーチンの戦争だ」という主張にすべてが集約されています。
アドルフ・アイヒマンが処刑されたことで、ドイツでは1960年代からナチスによる犯罪の時効を制限する議論が始まりました。一部の検察官、政治家、ジャーナリスト、ホロコーストの生存者が戦犯に対する裁判の継続を主張する必要性が生じたとき、西側社会ですらもユダヤ人虐殺の規模を過小評価していたことが明らかになりました。
ナチスドイツの犯罪者を追跡し、見つけ出し、処罰し続けたのは、「決して忘れない人々」すなわちユダヤ人と新興独立国家イスラエルだけでした。ガス室や銃乱射事件で家族を失った人々の多くは、ナチスを「追い詰める」ことに生涯を捧げました。そして、もし彼らの行動と、どんな法律が制定されようともナチスを「追い詰める」ことは止めないという国際社会への念押しがなかったら、ニュルンベルク裁判の後に拘束されたヘルベルトス・ツクルスやその他の犯罪者たちが処罰されていたかどうか、誰にもわかりません。
ニュルンベルク裁判
中南米、中東、北アフリカに逃亡したナチス、あるいは政治的信条を変え、あるいは単に処罰を避けてドイツやその他のヨーロッパ諸国に残ったナチスの数は、依然として不明です。その中には、幸運な偶然によって、司法の官僚主義や手続きの複雑さのために、その罪が問われなかったり、証明されなかったりした、膨大な数のナチスのプロパガンディスト(彼らの中核は当時のドイツの知識層でした)も含まれています。
ナチズムの敗北後、「第三帝国」の司法関係者は戦後ドイツで成功したキャリアを築きました。1949年以降、かつてのナチスは、ナチス犯罪者の訴追を阻止するためにあらゆる手を尽くしたと、ポツダム大学の現代史教授であるマンフレード・ゲルテマーカーは述べています:
「1949年以降、『第三帝国』時代の行為について裁かれた裁判官や検事は一人もいません。」
専門家たちが今後のロシア人の戦犯に対する裁判について語るとき、よく例に挙がるのが、プロパガンダ新聞「Der Stürmer」の編集者であり、アドルフ・ヒトラーの狂信的な信奉者でニュルンベルク裁判の結果処刑されたナチスのプロパガンディストのユリウス・シュトライヒャーです。しかし、ユリウス・シュトライヒャーが単なるプロパガンディストではなく、政治家でもあったことを忘れてはなりません。
ユリウス・シュトライヒャー
同じ法廷で、ほぼ毎日おぞましい反ユダヤ演説を放送していたナチスドイツの国民啓蒙・宣伝省放送局長ハンス・フリッチェは、戦争犯罪と人道に対する罪において無罪となりました。1946年、ユダヤにルーツを持つドイツ人作家ヴィクトル・クレンペラーはこう書いています:
1945年5月にヨーロッパでの戦争が終わると、連合国は12年間ナチスの支配下にあって憎悪のプロパガンダを浴び続けたドイツ社会を改革し、国民を再教育するという困難な課題に直面しました。ナチズムは、100万回繰り返され、機械的かつ無意識のうちに身についた個々の単語、慣用句、文章構成を通して、人々の血肉に浸透していったのです。
ナチスのプロパガンダ
このことは、特にジェノサイドが展開されている時においては、プロパガンダがいかに巧妙かつ目立たずに、侵略国に有利に働いているのかを証明しています。しかし、ナチスに対する戦後の裁判の実践は、これまで見てきたように不完全で限界があります。国際法には、大規模な殺人に関与したすべての者を処罰する手段がありません。特に、国全体における市民による共犯や、思想のみに基づく参加となるとなおさらです。しかし、新生イスラエルの加害者処罰の活動は、誰が最後まで正義のために戦わなければならないか(つまり、占領者に苦しめられた国民自身)を明確に示しています。
現代ロシアのプロパガンダと罪人に対する処罰
ロシアによるウクライナに対する戦争は世界が注目を集めており、ソーシャルメディア上では記憶ではなく戦争に巻き込まれた人たちや目撃者の言葉や経験に基づいてほぼライブでその様子が追跡されています。ロシアのプロパガンダはロシアの信用を失墜させ、侵略国に圧力をかけ続けるための重要な根拠のひとつとなっています。ウラジーミル・ソロヴィヨフ、マルガリータ・シモニャン、オルガ・スカベーイェヴァ、エヴゲニー・ポポフ、アントン・クラソフスキー、ドミトリー・キセリョフ-世界中がこの名前を知っているのは、彼らがクレムリンの広告塔になっているからです。彼らは、情報がいかにウクライナに対する武器になっているかを示す重要なメディア関係者です。
ロシアのプロパガンディストたち
例えば、2022年4月にロシアの国営メディア「RIAノーヴォスチ」に掲載されたティモフェイ・セルゲイツェフによる有名な記事「ロシアはウクライナに対して何をすべきか」では、ウクライナ人にとっては驚くべきことではありませんでしたが、大量虐殺に対する疑いようのない呼びかけの証拠として世界に衝撃を与えました。引用の一部を以下の通り記載します:「ナチスでバンデーラ主義者であるウクライナは、ロシアの敵でありロシアを破壊するための西側の道具であり、そんなウクライナは必要ない」「ナチス政権から解放された領土で、完全に非ナチ化された国家組織の称号として『ウクライナ』という名前を維持することはできない」「非ナチ化は必然的に非ウクライナ化である」
ロシアのボットファーム
ウクライナ系イギリス人知識人ピーター・ポメランツェウは、「The Guardian」紙への寄稿の中で、プロパガンディストの処罰について論じ、次のように主張しています:
-ロシアの軍事理論では、情報操作は前例のない規模の軍事作戦において不可欠な一部とみなされています。ロシアの国営メディア幹部は、2014年のクリミア併合(占領)の際に果たした役割に対して、軍事勲章まで授与されています。
プロパガンディストに対する処罰について語るとき、私たちは国際法廷の観点からのみ考えるべきではありません。同じく、戦争が終わるまでそれについて罰を受ける人を罰するのを待つべきではありません。彼らのほとんどは、国際法レベルでは決して処罰されないことを理解しなければなりません。結局のところ、世界的に有名なクレムリンのロシア人「語り手」に加えて、他にも多くの、しばしば非公開で無名の(時にはロシア人ですらない)人々がいるのです:
– プロパガンダコンテンツの作成に関与しているが、そのメディアの顔ではないテレビチャンネル、ラジオ、出版物、オンラインメディアの職員(ウクライナの存在を否定する外国人ジャーナリスト(例えば、元Fox Newsの司会者タッカー・カールソン)を含む);
– ボットファームの管理人、スポンサー、労働者;
– ロシア内のプロパガンダを支援し、一時占領地域でそれを広める教育者(子供たちへのイデオロギー再教育);
– 文化人、ショービジネスの代表者
– メディアで活躍する知識人
ボットファームは
ボットファームは、金銭的な見返りで必要とされる情報空間を作る人々の集まりです: 彼らは偽のページを作り、コメントを書き、ソーシャルメディアのユーザーと議論し、必要とされるナラティブを広めます。ロシアのプロパガンディスト
しかし、国際裁判以外にも、プロパガンダの発信源を無力化し、個人が犯罪活動を続ける機会を奪う方法があります。
プロパガンディストから発信の場を奪う
「黙っていてもいいことはない」-これは1985年に作家アーサー・ミラーとハロルド・ピンターがトルコへの作家代表団を率いていた際にアメリカ大使を批判したときに、イギリス系アメリカ人の知識人でジャーナリストのクリストファー・ヒッチェンズの言葉です。というのも、大使は民族共同体の状況、すなわちクルド人の権利の侵害や、トルコ当局がクルド人に対してどのように「ジェノサイドに近い政策」(ヒッチェンズ自身がそう呼んでいる)を追求しているかに対して十分な注意を払っていなかったからです。
正義を達成するために、すべてのウクライナ人と国際社会は以下のような原則を守るべきです。それは、ロシア人とウクライナ人を同一視する組織、国際的なイベントや賞にロシア人を公式に招待する組織、国連安全保障理事会やその他の国際組織へのロシアの参加などを批判することです。
インタビューに応じ、オピニオンリーダーやジャーナリストを巻き込み、メディアやソーシャルメディアで自分の立場を明確かつ合理的に伝えることなど、このようなケースは情報空間において最大限の注意を払う必要があります。こうすることで、プロパガンダの論者は「沈黙」し、特にグーグルの検索結果では重みがなくなり、目立たなくなります。これは、情報面でウクライナを支援する最も効果的な方法のひとつです。
マックス・ブルメンタル
その好例が、リスボンで開催された国際技術会議「Web Summit 2022」における親ロシア派の外国メディア関係者(アメリカのウェブサイト「The Grayzone」の編集者兼ジャーナリストのマックス・ブルメンタルとアーロン・メイト、そしてアメリカ人であるノーム・チョムスキー)のスピーチを中止するようウクライナ側が求めたことです。最初の2人の参加は完全にキャンセルされ(彼らはイベントのゲストになることさえ許されませんでした)、ノーム・チョムスキーはオンラインのみで発言しました。会議の前夜、「デテクトル・メディア」と「Molfar」は、ロシアのプロパガンダを広めた「The Grayzone」の関与を調査しました。
サイバー環境での対抗
インターネットは、ロシアのプロパガンダを含め、プロパガンダを広めるのに最適な媒体です。ウクライナ人が「ドンバスを爆撃し」現在は自国の都市を破壊していると主張してウクライナ人をナチスだと非難しているソーシャルメディアや外国メディアのサイト上のボットファームは、プロパガンダの影響に適応していないサイバー環境における規制の結果です。ウクライナのメディアやオピニオンリーダーに対するボット攻撃は、報道を制限したり、ソーシャルメディアのページを完全にブロックするのに一役買っていますが、国際的なハイテク企業によってそれはまだ修正されておらず、公に議論されていません。
ウクライナは現実の戦場だけでなく、情報空間においても自国を防衛しているため、プロパガンダに対抗するために団結している情報技術やサイバー戦争の専門家(専門家と一般ユーザーの両方)の活動は極めて重要です。
サイバーセキュリティを扱い、オンライン環境での活動を支援する機関や団体は数多くあります。例えば、ロシアの政府機関やビジネス組織へのDDoS攻撃を行い、ガスプロムのような戦争を後援している大企業から情報へのアクセスを得るウクライナIT軍などです。サイバー警察はサイバー犯罪者を探し、ロシアが運営するボットファームを摘発しています。また、ソーシャルメディア上では、例えばNafo Fellasのように、ツイッターのアバターにトレードマークの犬をあしらったユーザーグループが存在し、ロシアのプロパガンダに対抗しています。
対ロ制裁強化と個人に対する犯罪捜査
プロパガンディストのリソースを奪う方法のひとつは、1年以上にわたる全面戦争でも完全には実施されていない個人に対する制裁です。EUは最近、ウクライナの子どもたちに対する強制移住に参加した人々を制裁リストに追加しました(2022年12月16日時点で、1,412人のロシア人が含まれています。)。米国、カナダ、EUはすでに多数のロシアメディア、その幹部と広報担当を制裁リストに追加しています。しかし、組織全体やそのリーダーに対する制裁は、その従業員には適用されていません。
DDoS攻撃
コンピュータ・システムに対する攻撃で、コンピュータ・リソースをユーザーが利用できないようにすること。その方法には、多くの場合無意味または混乱を招くようなリクエストを大量に送ることでシステムに負荷をかけるなどがあります。「プーチンとともに」と書かれたポスターを手にするロシア人女性
具体的に誰がどのようにプロパガンダの制作や宣伝に関与しているのか?というテーマに関する調査は重要です。ウクライナ人を殺害したミサイル工場の従業員の具体的な名前と住所を提供している「トロントテレビ(宇題:テレバーチェンニャ・トロント / Телебачення Торонто)」の調査は、全面戦争の責任はプーチンだけでなくすべてのロシア人にあることを示すのに役立っていることからも、そのような調査の良い例となっています。
特定の犯罪者に関する情報を把握している場合には、ドネツクの強制収容所「イゾリャーツィヤ」で2年半を過ごしたジャーナリストであるスタニスラウ・アセーイェウが設立したJustice Initiative Fund(JIF)にお問い合わせください。2022年、彼はウクライナにおけるロシアの戦争犯罪についてジャーナリスティックな調査を行う非営利団体を設立しました。同財団は、ウクライナの法執行機関や国際機関などによってすでに容疑がかけられている特定の戦争犯罪に関する情報を掲載したウェブサイトを作成しました。加害者に関する貴重な情報には金銭的報酬を提供する予定です。
イゾリャーツィヤ
ドネツィクにあったかつての断熱材工場。2010年からアートプラットフォームが運営され、展覧会も開催されました。2014年、この工場は自称ドネツィク人民共和国の武装勢力に占拠され、拷問室に改造されました。ロシアの戦争犯罪
ロシアの商品、メディア、文化的(しばしば帝国主義的)品々の消費を拒否することは、侵略国に対する情報面での抵抗とウクライナ支援の重要なポイントとなります。なぜなら、それは直接的にロシア経済を潤すだけでなく、プロパガンダも含めて戦争を正当化するものであるからです。そして、ウクライナの人々が発信していることや専門家・目撃者の話を支持し、ウクライナやロシアの他の近隣諸国には発信する権利や存在する権利がないとするロシアのプロパガンダや帝国主義を支持しないことが、最も重要なことなのです。