心理学では、精神の保護メカニズムという概念があります。これは、人が環境に適応し、ストレスやトラウマのレベルを下げるのに役立つものです。例えば、人は不快な考えを頭から追い出したり、自分の感情や欲望を他人のせいにしたりすることができます。ウクライナに対するロシアの攻撃を例にとると、侵略国の国民全体がいかに防御的なメカニズムに頼り、それに伴って情報の操作に走っているかがわかります。長年にわたり、黒を白と呼び、戦争を平和への願いと呼び、国民を「大国」または何も依存しない「小国民」と呼んできたのです。
この記事では、偉大さと平和創造に関するロシア人の典型的な発言は、集団心理における無意識なメカニズムの顕れであることを明確に示しています。そして、主権国家、特にウクライナへの攻撃を正当化するために使われるロシア人の決まり文句は、嘘であるだけでなく、侵略国のすべての国民が心理療法を必要としているという反論の余地のない証拠でもあるのです。
”ロシア連邦を攻撃しようとしていたのはウクライナだった”
この発言は、人が無意識のうちに自分の感情、思考、欲望、ニーズを他人のせいにしてしまう投影という症状の現れです。こうして、受け入れがたいものであると思われる自分自身の行動や欲望に対する責任を回避してしまうのです。投影の極端な症状の一つは、パラノイア、様々な強迫観念によって特徴付けられる精神障害です。これは、ある人が迫害されている、暗殺の標的になっている、周りの全員が陰謀家であるなどという想像上の感情であることがあります。まさにロシアの場合に見られるように、全世界が自分たちに敵対し、害を及ぼすことを望んでおり、すべての問題は自分たちの責任ではないとロシアは信じているのです。
”ウクライナはロシアに攻撃を強制した、他に選択肢はなかった”
これは投影的同一視の現れです。人は他人に何かを投影するだけでなく、その投影、すなわち自分の期待や願望に従うように押しつけるのです。侵略国家は、ウクライナが独立しているだけでなく、その独立を守る準備ができていることを受け入れることができないのです。ロシア自身が戦争を引き起こし、開始したのですが、ウクライナが侵略者であるという考えと一緒に暮らす方がより快適なのです。したがって、ロシア連邦にとって、この戦争は特別な意味とほとんど神聖な意義を獲得しています。
”ロシアはウクライナの人たちに平和をもたらす”
これは、オーウェルの有名な言葉「戦争は平和である」を連想させるだけでなく、反応形成の一例でもあります。これは、受け入れがたいものを反対のもの、多くは誇張されたものに置き換えられるメカニズムです。例えば、執拗な愛情は憎しみに、同情や思いやりは無意識のうちに残酷さや無関心の表れへと変容することがあります。抱きしめるときはしっかりしていても、実は不親切だったりする場合がそうです。そしてこれも、ロシアが、事実を変えることによって、自分の行為に意味を与え、現実を「誇張」しようとする例です。
”ロシアは都市を爆撃しない”
これは否定の例で、意識レベルでは受け入れられない思考、願望、ニーズ、現実を拒否するメカニズムです。人は、その問題が存在しないかのように振る舞います。これはかなり単純なメカニズムで、しばしば子供に見られる特徴です。そのおかげで、子供たちは様々なトラブルに関する情報に対処することができるのです。例えば、災害の場合、毛布の下に隠れると、恐ろしい現実が存在しなくなったように感じられます。このメカニズムによって、悲劇を認識することとそれに対して嘆くことが防がれているのです。ロシアでは、人々は大きな戦争がないように装い(ウクライナ人が自爆しており、ロシア軍が平和の確立に貢献しているため)、制裁の影響は彼らの生活に何ら影響を与えない、といった風に機能しているのです。
”ロシアの偉大さ”
これは、理想化のメカニズムの現れで、人が自分や他人の個人的な資質を過大評価することです。たとえば、子供が「親は自分のために何でもしてくれる、雨を止めることだってできる」と心から信じている場合がこれに当てはまります。このように、ロシアは帝国時代の過去を理想化し、主権国家の領土を奪うことを前提に、絶えず国境を拡張してきたのです。これはロシアが全能とされる神話を維持するのにひと役買っています(「私はロシア、何も恐れない」「我々は皆を打ち負かす」)。しかし、こうした幻想は、ロシアが現実を冷静に認識することを妨げてもいます。
”ロシアが本当にそうしたかったのなら、とっくにウクライナを滅ぼしているはずだ”
ここでプーチンの「何も始まってもいない 」というのが出てきました。この切り捨ては、人が自分の望むものを得られない瞬間をより容易に経験するためのメカニズムで す。自分の欠点を認識しておらず、その結果、他人やその人の行動、あるいは何らかの現象を切り捨てる理由をたくさん見つけるのです。ロシアの例では、ウクライナ軍と後方部隊の力だけでなく、彼らの損失(装備と人員)も切り捨てていることがわかります。つまり、ロシアは、自分たちの状態や見通しを批判的に評価することができないという仮想の現実の中で生きているように見えるのです。
”ナチスと麻薬中毒者がウクライナの権力を掌握した!”
これは合理化(保護動機)の現れです。これは、ある人が、自分の欲しいものが手に入らないことに気づき、その価値を過小評価し始めるときに起こります。あるいは、何か悪いことが起こったとき、その人は自分自身や誰かに、それはそれほど悪いことではない、何か利益があるのだと証明しようとするのです。このようにして、人は何でも正当化し始めます。戦争犯罪でさえも、ロシアの例で分かるように、正当化し始めるのです。
”8年前はどこにいた?”/”この8年間はどこにいた?”
これは、ウクライナ軍が2014年からウクライナ東部を砲撃しているとされているだけのフェイクではありません。これは合理化の近縁であるモラリゼーションです。しかし、先のメカニズムとは異なり、ここでは人は自分の欲望や行動を正当化するために、合理的ではなく、道徳的・倫理的な根拠を求めているのです。歴史上のモラリゼーションの例としては、宗教裁判、十字軍、布教活動などが挙げられます。アドルフ・ヒトラーも、純粋なアーリア人種を創り出すという動機に対してモラリゼーションを行いました。今、ロシアもまた「ドンバスの人々を守ること」(そして実際には単にウクライナに侵略すること)が、そのいわば兄弟姉妹に対する道徳的義務であることを自他共に証明しようとしているのです。もちろん、一次的な分析でも、これらの行為に意味がないことは証明されていますが、それでも私たちは、ロシアを分析する方法を学ぶ必要があるのです。
”私たちは小さな人間だから、当局の行為に責任を持つことはできない”
これは解離という心理的な防衛機制で、人が状況に同調せず、そこから引き下がることです。ロシアの場合、ウクライナに直接いないロシア人は、同胞の惨状から距離を置いているのです。彼らの中には、何もしないことで、このような事態を許してしまったことに気づき、恐怖を感じる人もいます。「私たちは関係ない、私たちは政治の外にいる、すべてはそんなに単純ではない 。」と彼らは言います。それは、責任を取ることを拒否する被害者の都合のいい役割です。
”NATOがユーゴスラビアを爆撃したとき、なぜ誰も何も言わなかったのか?”
これはシフトメカニズム、つまりある対象から別の対象に注意を向け直すことです。たとえば、職場で叱られたのに、経営者にうまく答えられないから、家に帰ってきて、愛する人に当り散らすことです。ロシア人も同じで、ロシア人による戦争犯罪に苦しめられたブチャ、マリウポリ、ハルキウやウクライナの都市について訊かれると、何も答えることができないのです。しかし、侵略が行われているので、他の戦争に目を向けるようになります。同じような戦術が「そっちはどうなんだ論法」に使われています。それは、元の議論に反論するのではなく、重要な問題の議論をかき乱し、代わりに別の問題を議論することを強いるものです。
ウクライナに対するロシアの有害な態度を証明する多くの事例があります。物理的な傷害に加えて、ウクライナ社会はロシアによる心理的な傷害もたくさん受けています。しかし、個々の人々が有毒な関係をうまく断ち切り、その後平和な生活を送ることができるように、国全体もそうすることができるのです。ウクライナは長年、ロシアの影響力に抵抗してきましたが、大きな戦争での勝利は、侵略国からの最終的な分離のための重要な一歩となるでしょう。