2014年以来、ウクライナ当局は、ロシアがクリミア、ドネツク、ルハンシク地域における占領地でさまざまな国際協定に違反していると繰り返し述べています。ロシア軍によるウクライナへの全面侵略の後、そのような声明は増加しました。ウクライナの人権団体は、戦争中にロシアの占領者が犯した国際犯罪を監視および文書化しており、ウクライナ政府は、他の多くの国とともに、ロシアとその指導者を国際法廷に訴えています。
1864年、傷病者の状態改善に関する最初のジュネーブ条約が採択されて以来、世界のすべての戦争は国際人道法の法律と慣習に準拠してきました。これらの制限は、戦争の残虐性と致死性を減らすために規定されました。そのような規範の大部分は普遍的なものとなっています。
人類は、戦争には誰もが従うべき規則が必要であることに気付く以前に、何百万もの命を失いました。 一見したところ、戦争は法律とは何の関係もなく、むしろ完全なる混沌のように見えます。しかし、戦争の法律や慣習を考慮に入れた軍事作戦の例があります。 このようにして、各国は世界秩序と文明世界への帰属を認識しているのです。
同時に、これらの法律を遵守していない国もあります。 そのような国の1つがロシアです。
1898年5月から6月にハーグで開催された最初の世界平和会議
ハーグ
戦時国際法は、ハーグ条約とジュネーブ条約で最初に定められました。これらの国際条約は普遍的であり、例外なくすべての国家に適用され、戦争中に適用されます。それらは戦争を禁じていないものの、戦争中に許されることの明確な枠組みを確立しています。これらの条約を無視することは、文明世界からの問題のある国家としての自発的な撤退に等しいものです。
ハーグ条約は、戦争に対処するための最初の多国間国際条約になりました(許可された方法と兵器を確立しました。)最初の条約は1899年にハーグで開催された会議で採択されました。1907年に、条約のいくつかのポイントが変更され、海上での戦争を含む新しい点を含むように拡張されました。このようにして、再びハーグ条約が締結されました。
ロシア帝国は戦争の残虐行為を制限し、国際法に関連する規定を行った国家のうちの一つだったことは、興味深い点です。
第一次世界大戦中、ハーグ条約は紛争当事者によって無視されたため、ほとんど効果がありませんでした。そしてそれと同様のことを今、ロシア人が行っています。
ジュネーブ
第二次世界大戦はさらに、民間人、戦闘員(戦闘行為に積極的に参加する兵士)、捕虜などの人々を包括的に保護する必要性を強調しました。したがって、1949年に4つのジュネーブ条約が採択されました。
ジュネーブ第1条約は、軍の傷病者の扱いを改善するために規定されました。
ジュネーブ第2条約は、海上で負傷した兵士について規定しています。
ジュネーブ第3条約は、捕虜の扱いを規制しています。
ジュネーブ第4条約は、民間人の権利を保護しています。
1977年には、1949年のジュネーブ条約に対し、国際的な武力紛争の犠牲者の保護と非国際的な武力紛争の犠牲者の保護に関する2つの追加議定書が採択されました。
1949年8月12日、戦争時の民間人の保護に関するジュネーブ第4条約の署名
そして2005年に、以前に採用された赤十字と赤新月にレッドクリスタルの形で追加の特徴的なエンブレムを採用することに関して、3番目の追加議定書が合意されました。
赤十字、赤新月、レッドクリスタル
白い背景にあるこれらのエンブレムは、武力紛争中の負傷者や病人への支援に対する保護に関して国際的に認められたシンボルです。それらを軍隊と識別して区別するために、それらは人道的および医療用車両、建物、医療関係者および他の人道支援関係者の衣服に記されていなければなりません。2022年時点で、196か国がジュネーブ条約に参加しています。
ジュネーブ条約に反する行動は国際人道法の違反とみなされ、特に深刻な場合には戦争犯罪とみなされる可能性があります。後者は国際刑事裁判所の管轄に属します。
1954年、ソ連はジュネーブ条約を批准しました。崩壊後、ロシアはソ連の後継者であると宣言し、ソ連が署名した国際条約の締約国としての地位を認めました。
2019年、ロシアは国際武力紛争の犠牲者の保護に関するジュネーブ条約第1議定書から撤退し、シリアとその後のウクライナでの犯罪の事実を立証する国際人道委員会の活動を阻止しました。しかし、ジュネーブ条約からのロシアの部分的な撤退は、侵略国がウクライナでの戦争中における国際人道法の違反と戦争犯罪に対する責任が免除されることを意味するものではありません。
ロシアは、ジュネーブ条約と議定書に違反したとして、依然として起訴される可能性があります。
ジュネーブ条約とハーグ条約は、現代の国際人道法の基礎となっています。それらの立場はしばしば絡み合って相互補完的です。それらは、軍隊によって攻撃可能な対象(敵軍)と、高出来が厳しく禁じられている対象(武装して戦闘行為に直接関与している人々を除く民間人)を明確に区別しています。条約は、すでに戦争に参加できなくなった人々(捕虜と負傷者)と医療を提供する人々(医師、救急医療隊)を保護しています。条約は、戦争で使用できる武器と使用できない武器の種類を定義しています。
ロシアはウクライナでどのような条約に違反しているか?
ジュネーブ第4条約およびすべての国際人道法において最も重要な規則は、戦争中、特に占領中における民間人の保護についてです。
この規則はロシア軍によって無視されており、ウクライナの都市の民間インフラや人道支援を故意に砲撃し、占領地で砲撃を繰り返し、ウクライナ市民にロシア軍への従軍を強制したりしています。ロシアの占領者は、民間人を恣意的に殺害し、拷問し、女性と子供をレイプし、医師、聖職者、ジャーナリストを射殺しています。ロシアに包囲されたもしくは占領された都市には、水、食料、薬、電気がありません。占領者は食糧倉庫、学校、病院を砲撃し、人道物資の護送団を通さず、世界の他の地域との接触を全地域から奪い、人道的大惨事を引き起こしています。
このような行動は、戦争時の民間人の保護に関するジュネーブ条約および慣習的な国際人道法の関連事項に対する故意の違反となります。
「子供たち」という文字が表されたマリウポリの演劇劇場の建物
チョルノービリとザポリッジャの原子力発電所への攻撃と占領は、核拡散防止条約と核テロリズム防止条約および慣習的な国際人道法に対する重大な違反です。さらに、占領者はウクライナの多くの地域で石油貯蔵所とガスパイプラインを砲撃しています。そのような行動は、すべての人類に環境上の脅威をもたらしています。
ジュネーブ第3条約の下でのもう一つの義務は、捕虜の権利の遵守です。この国際条約の規定は、捕虜の過去の行動に関係なく、捕虜への肉体的および心理的拷問および非人道的な扱いを禁じています。捕虜は、食糧、水へのアクセス、および親族と連絡をとる権利があります。監禁されている女性軍人は、男性とは別にして、女性スタッフの監督下に置かれます。また、女性軍人に特別な衛生的および医療的ニーズが提供されなければなりません。ロシアの侵略者は、戦争の規則や慣習に違反して、ウクライナの捕虜に対して繰り返し深刻な犯罪を犯してきました。たとえば、解放されたウクライナの女性捕虜の写真からは、頭が剃られていたことが見受けられ、ウクライナ一時的被占領地再統合相によると、ロシア人は彼らに服を脱がせ、座らせず、レイプなどの屈辱を与えました。
ジュネーブ諸条約によれば、医療従事者は職務を遂行できなければならず、負傷者と病人が医療を受けられる環境がなければなりません。全面侵略が始まって以来、ロシア軍は皮肉なことに医療施設を攻撃してきました。ウクライナ保健省によると、4月21日の時点で、ロシアは347の医療施設に損害を与え、36の病院を完全に破壊し、78の救急車を砲撃し、数十人の医療従事者を殺害または負傷させています。これらの行動は、戦争時の民間人の保護に関するジュネーブ条約に違反しています。
3月9日にロシアの戦闘機によって砲撃されたマリウポリの第二産科病院
ハーグやその他の専門的な条約は、戦闘行為における方法と手段を制限しています。一部の武器は、過度な物理的被害を引き起こしたり、無差別な影響を及ぼしたりするため、特に危険です。つまり、それらは経路上のすべてのものを破壊します。ロシアがウクライナの都市でクラスター、燃料気化爆弾、対人地雷を使用することは、ハーグ条約と慣習的な国際人道法に違反しています。
ウクライナでのロシア軍による白リン弾と焼夷弾の使用は、特定通常兵器使用禁止制限条約に違反しています。マリウポリとイジュームを防衛している人たちに対する化学兵器の使用の疑いがあります。これは、戦争の規則、特に化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約に対する重大な違反です。
そのような事実はすべて広く公表されており、それは、ロシアの戦争犯罪者に対する国際裁判では、必然的に悪化する状況になるでしょう。
1949年のジュネーブ条約と慣習的な国際人道法は、民間人への攻撃、民間人付近への軍隊の配置、歴史的遺産への攻撃を明らかに禁止しています。
ロシアによって破壊されてしまった数十の建築モニュメントは、武力紛争の際の文化財の保護に関する条約(1954年ハーグ条約)によって保護されています。それらを爆撃することは国際人道法に対する違反です。ユネスコはすでに被害を受けた53のウクライナの文化的遺産を特定しており、ロシアにウクライナの民間建造物への攻撃を直ちに停止するよう要請しています。その間、ウクライナ人は自分たちでモニュメントを防護し、シェルターに実際のモニュメントを隠し、さらには文化財を戦火から救い出しています。
タラスシェフチェンコの記念碑がボロジャンカで砲撃されました。写真:セルヒー・コロヴァイニー
国際刑事裁判所に関するローマ規程
ローマ規程は1998年に外交会議で採択されました。この合意の本質は、国際刑事裁判所(ICC)の機能、管轄、および構成の確立です。ローマ規程はまた、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪および侵略犯罪などといった国際犯罪を定義しています。
ICCの任務は、これらの犯罪の責任者を訴追することです。国家の責任を確立する国際司法裁判所とは異なり、ICCは国際犯罪を犯した疑いのある個人を訴追します。これは、国家元首を有罪とすることができる唯一の国際裁判所です。
2022年の時点で、ローマ規程は137か国によって署名され、123か国によって批准されています。ウクライナは、規程に署名したものの批准しませんでしたが、EUとの連合協定に署名した2014年に批准することについて約束しました。したがって、実際には、ウクライナは規程の締約国ではありません。占領下のクリミアと自称ドネツク人民共和国・ルハンシク人民共和国での状況を踏まえ、2014年にウクライナは国際刑事裁判所の管轄を認め、ウクライナの領土で犯された可能性のあるすべての国際犯罪を調査する権利を与えました。2020年、ICCは正式な調査を開始しました。
ロシアもローマ規程に署名しましたが、2016年に規程から脱退しました。これは、ICCがクリミアの占領が国際的な武力紛争であると認識した翌日に起こりました。しかし、規程からの脱退は、ICCがウクライナでロシアによって犯された犯罪を訴追することを妨げるものではありません。
ロシアの戦争犯罪者に対する将来的なICCの訴訟のために、ウクライナ・ヘルシンキ人権連合、地域人権センター、市民自由センター、Truth Hounds、ハルキウ人権グループ、およびウクライナのその他多くの人権団体は、ロシア軍が行ってきたウクライナでの戦争犯罪の証拠を2014年から繰り返し提供してきました。現在、2022年2月のロシアによる全面侵略開始以降に犯された犯罪について、被害者および目撃者の証拠や証言が積極的に収集されています。
これらには、民間人への計画的な殺害と負傷、ロシアとベラルーシへの誘拐と強制送還、強制動員、拷問と非人道的扱い、民間対象への攻撃、財産の破壊と損害、人質取り、また、食糧・水・人道支援任務の妨害などといった人道支援や人道回廊への攻撃が含まれます。また、集落への砲撃、それによる死者・負傷者の発生および環境災害、歴史的建造物・病院・宗教的建造物・教育/科学/芸術機関への損傷と破壊、占領された集落での略奪、国際協定で禁止されている武器の使用、レイプおよびその他の形態の性的暴力、人質としての民間対象の利用、違法な拘束と収監、拘束に不適切な場所の使用、人間の尊厳の侵害、領土での地雷設置等も含まれます。
上記の犯罪はすべて、人道に対する罪と戦争犯罪と見なされる可能性があります。それらはローマ規程の対象であり、ハーグの国際刑事裁判所によって調査されることになっています。
ロシアによるウクライナ侵略の事実は、ICCにおける侵略犯罪と見なされ、国連憲章に対する違反でもあります。ロシア人がウクライナでジェノサイドを犯したという事実の可能性について、専門家の間で見解が異なります。ジェノサイドと見なすのに十分な民間人をロシア側が殺していないとする人もいます。しかし、キーウ州で以前占領されていた地域での戦争犯罪の事実と、ロシアの国家機関「RIAノーボスチ」の悪名高い記事が発表された後、ジェノサイドに関してますます頻繁に議論されるようになりました。4月12日、アメリカ合衆国大統領ジョー・バイデンはこれに関して最初の発表をしました。同時に、世界はまだロシアによるマリウポリ封鎖の結果を見ていません。地方当局によると、ロシア軍によって殺された民間人の数は20,000人を超える可能性があるとされています。
2022年2月28日、国際刑事裁判所の検察官は、ロシアの戦争犯罪と人道に対する罪の調査を開始しました。検察官は、ウクライナの状況について39カ国から要請を受けました。裁判所は、2013年11月21日から今日まで、すべての当事者によってウクライナで犯されたこれらの犯罪を調査しています。ベリングキャットの主要な調査ジャーナリストであるクリスト・グロゼフはまた、ロシアの軍事的および政治的最高権力者に対する国際刑事裁判は不可避であると述べています。
プーチンはすでにポーランド下院によって戦争犯罪者として宣言されており、アメリカ合衆国上院は彼の犯罪の調査を求める決議を可決しました。
戦時国際法に対するマニピュレーション
ロシアのプロパガンダ扇動者たちは、ウクライナが国際条約と戦争法に違反していると非難したい場合にのみ、国際条約と戦争法の存在について言及します。全面侵略が始まって以来、ロシア兵捕虜のビデオを公開することがウクライナでの捕虜の権利を侵害する問題である、とロシアは積極的に展開してきました。いくつかのケースでは、西側のメディアや定評のある人権団体でさえ、ウクライナで生き残ったロシア人の写真やビデオの公開がウクライナの権利を侵害しているとしているなど、ロシアのプロパガンダにさらされています。確かに、ジュネーブ条約は捕虜を公衆の興味の対象とすることを禁じています。しかし、ロシアで完全な情報封鎖が敷かれている状況では、捕虜の親族はこれらのビデオからのみ彼らの近親者の運命について知ることができます。そのような公開コンテンツは、捕虜が自身の親族に目を向けることを可能にするだけでなく、ウクライナとの戦争に徴集兵が参加していないというロシアのプロパガンダの実態を暴露することにもつながります。
ウクライナに対する信用を傷つけるために、ロシアのプロパガンダ扇動者たちは、ウクライナ軍がロシア兵捕虜を嘲笑しているとされるビデオを制作しています。ウクライナは、ジュネーブ条約に準拠していると繰り返し述べており、そのような動画はフェイクです。
戦時国際法に違反する責任追及は実際どうなのか?
戦争犯罪や人道に対する罪には、個人だけでなく集団の責任、すなわち部下の犯罪に対する指揮官の責任が問われます。歴史はそのような例を多く見てきています。
ヘルマン・ゲーリングとルドルフ・ヘスは、1945年から1946年にニュルンベルクで行われた裁判で有罪判決を受けました。
1945年から1946年に行われたニュルンベルク裁判は、歴史上最初の戦争犯罪に対する国際裁判となりました。その結果、19人のナチス犯罪者が有罪判決を受けました(合計24人の被告人がおり、そのうちの数名は後に有罪判決を受け、数名は無罪となりました。)犯罪の重大性に応じて、刑は絞首刑、終身刑、または20年から10年の禁固までさまざまでした。
東京裁判は、1946年から1948年の第二次世界大戦における日本の戦争犯罪を裁きました。29人の主要な日本の戦争犯罪者は死刑または禁固刑を宣告されました。
旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷は1993年から2017年まで運営され、90人の戦争犯罪者を有罪としました。ルワンダ、シエラレオネ、カンボジア、東ティモール、レバノン、コソボの法廷も設置されていました。
ウクライナが最初にロシアについて国際司法裁判所に提訴したのは、2017年でした。当時、ウクライナ当局は、テロリズムに対する資金供与の防止に関する国際条約(武器の資金調達と供給を含むドンバスの武装グループに対する支援による)と人種差別撤廃条約(占領下のクリミアでのウクライナ人とクリミア・タタール人の迫害による)の2つの条約に違反していました。ウクライナは、テロリズムに対する資金供与の防止に関する国際条約に関して世界で最初に提訴した国となりました。
2022年、ウクライナは、集団殺害罪の防止および処罰に関する条約に対する違反を主張して、国際司法裁判所に2回目の訴訟を起こしました。 2022年3月16日、ハーグの国際司法裁判所は、ロシアに対し、ウクライナの領土でのさらなる戦闘行為に訴えることなく、侵略を直ちに阻止するよう命じました。ロシアはこの決定を無視しました。
1961年4月、イェルサレムでの死刑判決中の法廷での親衛隊中佐アドルフ・アイヒマン。
国際裁判所には多くの欠点があり、主な欠点は期間です。プロセスには何年もかかる場合があります。被告はしばしば判決が出るまで生き延びていません。しかし、戦争犯罪者の国際裁判は、歴史的な出来事と犯罪における高官たちの役割に光を当てるため、歴史的に非常に重要です。
専門家は、ロシアに対する将来の裁判のさまざまなモデルについて議論しています。そのうちの一つは、カンボジアとシエラレオネのケースのように、ウクライナ政府と国連の間の国際協定による国際裁判所の設立です。別の方法は、複数の国家の合意によって別個の特別法廷を創設することです。
裁判モデルにおいてどのようなものが選ばれたとしても、ロシア連邦の政治的および軍事的最高権力者であるロシアの戦争犯罪者が自身に対する判決を確認し、自身の行為に対し全責任を負うことを願っています。