フォトストーリー

100枚の写真で見るウクライナの2023年

「100枚の写真でみるウクライナ」は、Ukraїnerが2017年以来、伝統的に毎年末に作成しているその年のまとめ記事です。私たちのチームが過去12ヶ月間に撮影した最も印象的な写真を紹介しています。力強いウクライナの旅団のストーリー、占領から解放された地域の情報、ウクライナのボランティア・農家・文化人などの活躍は、すべて記録されて伝えなければならない私たちの現代史です。

「別世界」 砲撃された車両の墓地を捉えた写真プロジェクト

本格的な戦争が始まってから1年以上が経過し、ウクライナの人々は毎日のように歴史的な出来事を体験し目撃しています。私たち一人ひとりがそれを理解しようと努めていますが、数カ月あるいは1年経っても起こったことのすべてを理解することは困難です。しかし、答えを探すことで、私たちは自らの個性や忍耐を強め、最終的には価値観を形にすることができるのです。

占領下のブチャを写真で振り返る

ブチャ、イルピン、ホストメリ — このキーウ近郊の小さな3つの街の名前は、今や世界中が知るところとなっています。2022年2月24日に全面戦争を開始したロシア軍によって行われたウクライナ人の大量虐殺が初めて明るみに出たのが、まさにこれらの場所だったからです。

3月には、占領軍の最初の攻撃目標となった、キーウ州のポリッシャ地方の複数の集落をめぐる熾烈な戦いが続きました。ウクライナ軍は4月の初めにこれらの地域を解放しましたが、それまでの1か月あまりにわたるロシアによる占領期間は、現地住民にとって真の苦難と悲劇の時となりました。ほとんどの期間は通信手段もなく、避難の見通しも立たず、何よりも、容赦無く街を破壊し、一般市民を殺害する残忍な敵に直面させられていたのです。

「壁に残された証拠」ウクライナでロシア軍は何を書き残したのか

破壊と悲しみに加え、ロシア占領軍は一時的に占領されたウクライナ領土の壁に数多く書き残しています。これらは、ロシアの侵略の残酷さと理不尽さを理解するまたとない機会となっています。

 

2022年4月以来、文化機関「ミジュヴハミ」のチームは、ウクライナ領内でロシア軍が書き残したものを収集しています。彼らはキーウ・ポリッシャ地方やスロボダ地方へ出張したり、オープンソースで資料を探したりしています。彼らの活動の成果は、「ルスーキー・ミール(ロシアの世界)」の真の意味を示すオープンアーカイブ「壁に残された証拠(Настінні докази / ナスティンニ・ドーカジ)」プロジェクトとなります(2023年3月に無償で利用可能になる予定。)このフォトストーリーは、「ミジュヴハミ」チームのメンバーであるロクソラーナ・マカルが説明するこれらの出張の1つに関するものです。

Ukraїner / ウクライナーのボランティアたちは、本格的な侵略の初日をどのように生きのびたか

ロシアが本格的な戦争を開始してから5ヶ月が経ちました。「あの日」(2022年2月24日)から、ウクライナ人があらゆる面でロシアの占領者に抵抗し続け、多かれ少なかれ新しい現実に適応しているほどの時間が経過したとは信じがたいです。多くの人が、ロシアの侵略の最初の日から写真やビデオを撮って自分の精神的な状態と出来事を記録してきました。そのような個人的な記録は、私たちが誰であり、何のために戦っているのかを理解するために重要です。

人々 子供たち  占領された村の柵に書かれていること

キーウ、チェルニーヒウ、スーミ近くの多くの村や町は、全面侵略が行われた最初の日からロシアの占領下にありました。3月下旬、ウクライナを防衛している人たちがロシアの占領軍を北部地域から追い出しました。ポリッシャ地方、シヴェリヤ地方、北スロビダ地方の解放された地域は、人道援助を受け、徐々に元の生活に戻りつつあります。それらの地域がロシアによる占領をどのように生き延びたのかを記録する独立ジャーナリストやドキュメンタル作家も地域にアクセスできるようになりました。

戦争が始まってから最初の42日間を写真家の日記とともに振り返る

「その日、私は一つのことに気づきました。空気が変わったこと、そして2022年2月24日午前5時以降のすべての場面が特殊で、他のそれと異なって、違う物語で満たされていったということです」
全面戦争の最初の週の間、ハルキウの写真家ペトロ・チェカリはハルキウで家族と一緒に過ごし、彼の家族の生活と感情的な状態を記録しました。自由広場の砲撃の翌日であった3月初旬、ペトロの家族は街を去り、そして現在はリヴィウにいます。この戦争の出来事に関する彼の記録として、この写真日記を紹介します。

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