クリミア南部の黒海の美しい湾に位置するヤルタの街は、ロシアが半島を占領して以来、9年以上にわたってウクライナ人が立ち入ることのできない場所となっています。それ以前は、主に発展した人気のリゾート地として知られ、ウクライナ国内外から人々が集まっていました。2014年以降、「ルースキー・ミール」は一貫してヤルタの観光地としての魅力を潰してきました。今は汚いビーチがあり、旅行者はほとんどおらず、森林伐採によって自然は一部破壊されています。占領当局に異論を唱えただけで、ウクライナ人やクリミア・タタール人が拉致され、殺害され、ロシアに連行され、捏造された事件で投獄されるのです。本格的な侵略が始まってからはそのような抑圧は強まるばかりでした。
ロシアがウクライナに本格的に侵略したことで、ウクライナ人は自分の家系についてさらに詳しく調べ、自分の出自を理解するようになりました。ウクライナにルーツを持つ人々も同様で、2022年まで自分がロシア系ではなくウクライナ系であることにすら気づいていなかったかもしれません。
ポーランドの「Za wolność naszą i waszą(あなたたちと私たちの自由に!)」、ベラルーシの「Жыве Беларусь! Жыве вечна!(ベラルーシ万歳!永遠に万歳!)」など、スローガンや非公式な標語は各国に存在しますが、いずれも国の主たる意思を端的に表現しています。ウクライナのスローガンで最も人気があるのは「Слава Україні — Героям слава(ウクライナに栄光あれ、英雄たちに栄光あれ)」で、ロシアによる侵略により特に流行しました。しかし、自由と独立を求めるウクライナの戦いを象徴する表現は他にもあります。数世紀前あるいは数十年前に生まれたスローガンかもしれませんが、これらのフレーズは全てウクライナ人の強さを示しています。私たちは自らメッセージを作り出し、それを全員で共有し、国中のあらゆる場所で耳にすることができているのです。
本格的な戦争が始まってから1年以上が経過し、ウクライナの人々は毎日のように歴史的な出来事を体験し目撃しています。私たち一人ひとりがそれを理解しようと努めていますが、数カ月あるいは1年経っても起こったことのすべてを理解することは困難です。しかし、答えを探すことで、私たちは自らの個性や忍耐を強め、最終的には価値観を形にすることができるのです。
「ロシアは反欧米だ」 というテーゼはメディア空間でよく耳にされています。確かに、この国は、独自の方法ではなく、他国への反発姿勢を通じて自分自身を伝える一方で、ロシアも所有しているかような民主主義と欧米の価値観で自分自身を覆い続けています。「ルースキー・ミル(ロシアの世界)」は、文明世界の価値観や思考をひねったり歪めたりしてしまう歪んだ鏡のようなものです。
トップストーリー
Razom for Ukraineは、尊厳の革命においてアメリカのウクライナ人により設立された市民団体で、ほぼ9年間の活動で、アメリカ・カナダ・ポーランドそしてウクライナの活動家の国際的な協会となりました。全面的な侵略の前までにも、この団体は膨大な数のプロジェクトに取り組んでいました。ウクライナの脳神経外科医のスキルアップや、アメリカでウクライナが必要なものを提唱すること、希少疾患の子供の治療のための資金調達やロシア・ウクライナ戦争の退役軍人と軍人の家族のためのプロジェクトの実施等を行ってきました。
破壊と悲しみに加え、ロシア占領軍は一時的に占領されたウクライナ領土の壁に数多く書き残しています。これらは、ロシアの侵略の残酷さと理不尽さを理解するまたとない機会となっています。
2022年4月以来、文化機関「ミジュヴハミ」のチームは、ウクライナ領内でロシア軍が書き残したものを収集しています。彼らはキーウ・ポリッシャ地方やスロボダ地方へ出張したり、オープンソースで資料を探したりしています。彼らの活動の成果は、「ルスーキー・ミール(ロシアの世界)」の真の意味を示すオープンアーカイブ「壁に残された証拠(Настінні докази / ナスティンニ・ドーカジ)」プロジェクトとなります(2023年3月に無償で利用可能になる予定。)このフォトストーリーは、「ミジュヴハミ」チームのメンバーであるロクソラーナ・マカルが説明するこれらの出張の1つに関するものです。
2014年、ロシアの占領軍はドネツィク地方のソレダールという街を占領しようとしました。しかし、彼らは数ヶ月間しか持ちこたえることができませんでした。2022年2月24日以降、この街は繰り返し敵の攻撃を受け、2023年1月初旬にはロシア軍が攻撃を強め、ウクライナの防衛部隊はソレダールの外に防衛線を移動させざるを得なくなりました。ヨーロッパ最大級の塩の採掘企業や急速に発展した観光産業があったこの町は、ロシアの「解放者たち(ロシア語で「アスヴァバディーテリ」)」によってほぼ完全に破壊されたウクライナの集落の一つとなりました。