Razom for Ukraine(ウクライナとともに) :私たちを守っている人の命を守る

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Razom for Ukraineは、尊厳の革命においてアメリカのウクライナ人により設立された市民団体で、ほぼ9年間の活動で、アメリカ・カナダ・ポーランドそしてウクライナの活動家の国際的な協会となりました。全面的な侵略の前までにも、この団体は膨大な数のプロジェクトに取り組んでいました。ウクライナの脳神経外科医のスキルアップや、アメリカでウクライナが必要なものを提唱すること、希少疾患の子供の治療のための資金調達やロシア・ウクライナ戦争の退役軍人と軍人の家族のためのプロジェクトの実施等を行ってきました。

2022年2月24日以降、ボランティア達は軍事通信と医療用品の提供・ドローンオペレーターのトレーニング・戦術医学トレーニング・ロシアの侵略の被害を受けた方々への心理的サポートおよび人道支援にボランティアたちは焦点を当てました。ここで、ウクライナのRazom for Ukraineのチームが大規模な戦争の状況でどのように効果的に機能しているか、お伝えします。

海外に住むウクライナ人は、国際舞台でのウクライナの声を一貫して強く後押ししており、母国から遠く離れていながらも母国での民主的な社会の発展を支持しています。ウクライナが助けを必要としていたときにRazom for Ukraineを設立したアメリカのウクライナ人活動家は、団結することでより多くのことができるようになるということを確信しました。

すべては、アメリカに住んでいて2013年にユーロ・マイダン革命が始まったときに行動を起こすことを決めた積極的なウクライナ人によるグループから始まりました。彼らは、キーウの独立広場からライブ配信を設置したり、ニューヨークでのデモに毎週集まりました、とRazom for Ukraine共同創設者のリュボウ・シポヴィチは想起しています。

ユーロ・マイダン革命(尊厳の革命)
国家外交政策のヨーロッパへのベクトルを支持し、腐敗や法執行機関と特殊部隊の恣意性に反対したウクライナ人による抗議活動。ウクライナ全土で行われたデモの中心は、キーウのマイダン・ネザレージュノスチだった。

― 私たちは毎週末、これ(平和的なデモ)をニューヨークの毎回違う公園で行うことを決めました。ニューヨークのすべての公園を黄色と青にしたいと考えていました。 そして、これらのイベントを行いました。

平日になると、活動家が資金を集め、ウクライナの抗議者のために必要なものを購入し、物流センターを作りました。その後、マイダンのデモ参加者のために防弾チョッキとヘルメットを購入し、2014年にロシア・ウクライナ戦争が始まったときも支援を続けました。Razom for Ukraineの使命は、成功し発展したウクライナを築くことです。活動家たちは、ウクライナ国内外の組織や個人と協力して、さまざまな分野で体系的に活動しています。

ロシアの全面的な侵略が始まって以来、ボランティアは主要な計画を保留し、その代わりに1つの壮大で多面的なエマージャンシー・レスポンス(緊急対応)というプロジェクトを立ち上げました。 その目標は、喫緊の課題に対応することです。このプロジェクトは、新型コロナウィルスによるパンデミックにおけるピーク時の主要なプロジェクトであり、現在の主なミッションは、大規模な戦争下においてウクライナの軍人と一般市民を支援することです。

Razom for Ukraineのボランティア達は、ウクライナとの国境にロシア軍が集結しているという情報がメディアに報道された2021年末以来、全面的な攻撃に対する準備をしてきました。2月中旬、活動家たちはすでにアメリカのいくつかのウクライナの団体と協力し始め、募金キャンペーンを開始したため、戦争が始まるまでにウクライナを支援するために200万ドルを集めることができました。

ウクライナへの最初の攻撃に関するニュースは、戦術医学における地域防衛隊への演習に関するビデオ通話中にチームのところに届きました。 2014年の経験を思い出すと、戦闘の開始後に必要な軍事物資が市場から姿を消したことがあったので、ボランティアたちはすぐに必要になる可能性のあるすべてのもの購入を大量に予約し始めたとリュボウ・シポヴィチは言いました。

― ロシアの戦闘機がすでにキーウに向かっているというニュースを聞いた後、1週間寝ることはなかったです。私たちは、戦術医療機器(および手段)のすべてのメーカーに連絡し、あらゆるものを購入しました。

侵略に対する反応

お互いに競合せず、むしろ大量購入により必要な商品のコストを削減するために、Razom for Ukraineは海外の他のウクライナの財団と繋がっています。資金をより効率的に活用するために、キーウ経済学校(KSE)・Nova Ukraine・Smart Medical Aidと物流を組み合わせました。 ウクライナの大規模な財団との協力は非常に簡単で、財団は軍事目的の商品に焦点を当てていた一方で、Razom for Ukraineはアメリカの法律に従いライセンスなしで軍事目的または二重目的(デュアルユース)の商品を購入することはできない、と財団のエグゼクティブディレクターのエヴェリナ・クリレツは説明しています。

デュアルユースグッズ
特定の種類の製品・機器・技術などで、特に軍事使用を意図していないが、軍事目的または武器の開発と生産に使用できるもの

— 私たちは、実際には少し異なる分野に携わっています。私たちが共通しているのはおそらくドローンの供給ですが、「Come Back Alive」と セルヒー・プリトゥーラ財団はどちらも非民間ドローンを専門としています。私たちは、避難用ドローン・地雷除去用ドローン・医療用ドローンなどの民間部門を担当しました。

皆それぞれが共通の目標を持っているため、競合になるということはありません。

― それは一つの共通の目的です。つまり、この1フリヴニャが私ではなく、プリトゥーラ財団または別の基金に送られるということは、実際には何も差もないのです。すべてが1つの貯金箱に入ります。そして、ウクライナが勝利して発展するために、この貯金箱のお金であらゆるものが購入されます。

2022年3月、財団は、戦争で被害を受けた市民を食料やシェルターおよび/または避難で支援するウクライナのボランティア団体を支援する「RAZOM Grants」プログラムを開始しました。冬が近づくとともに、前線地域はこうした支援の優先順位が高くなります。

エヴェリーナ・クリレツによると、Razom for Ukraineの世界的な評判が功を奏し、さまざまな国の人々が財団を支援してくれているそうです。

― 私たちの活動量やスピード、献身的な姿勢を見て、信頼してくれているのです。

本格的な侵略が始まった最初の1カ月は、資金に困ることはなく、一般のアメリカ人・財団・企業などが支援していました。寄付金は数ドルから一度に100万ドルのものまであり、平均120ドルの寄付がありました。寄付の減少が顕著になったのは、大規模な戦争が始まってから2、3カ月目で、そのため資金調達の問題が浮上しました。リュボウ・シポヴィチは、「当初のような圧倒的な支援は誰も期待していませんが、ゼロにならないためには、戦っている人を応援したいという気持ちに人々をさせるために、ウクライナの成果を伝え強調することが必要です」と述べています。

ファンドレイジング(英語:Fundraising)
特定の課題やプロジェクトを実施するために、資金(寄付金・会費・慈善寄付金)を調達するプロセス

― 当初は、ウクライナが攻撃されたというショックから支援がありました。そして今、ウクライナは強い、ウクライナ人は自分を守ることができるということを示す必要があると思いますが、そのためにはテクニカル面・テクノロジー面、軍事面でのサポートが必要です。なぜなら、ウクライナが民主主義の構築に注力している間に、戦争の準備をずっと進めてきたであろう国と戦うのは難しいからです。

止血帯・包帯・医薬品などは消耗品であり、一度だけでは用意できないので、定期的に資金を調達することが重要です。また、軍の在庫があれば、敵に破壊される可能性があります。

— そのために、補充が必要なのです。これは戦闘が続く限り、常に必要となるものです。言ってみれば、戦争は非常にお金がかかるものなのです。

医薬品や機材だけでなく、軍事作戦で活躍するクアッドコプターのオペレーターを育成し、軍にドローンを提供しています。購入する機材は高価ですが、それ以上に、正しく使用することで命を救うことができるため、使用する人がそのニュアンスを理解していることが重要です。リュボウ・シポヴィチは以下の通り説明しています。

― ウクライナには民間パイロット(クアッドコプター)の学校がかなりあったにもかかわらず、結婚式の撮影と、前線に沿って飛んだり電子戦の下で働いたりするのは違うのです。

現在、この組織は、民間人よりも軍を支援することに積極的です。軍が民間人を守っているからこそ、このような立場が採用されたのです。

― 私たちは、積極的に行動することが必要だと考えています。通信やドローン、これらは、損傷する前に、プロアクティブに機能するものです。すべてを計画し、大規模な犠牲者を出さないようにするために、どのようにコミュニケーションをとるかということです。

軍・国家親衛隊・国家警察・非常事態庁・軍や民間病院は、財団から支援を受けることができます。支援の優先順位は、前線に近いかどうかで決まります。最も高い優先順位は活発な戦闘地域にあるもので、2番目は中間のもの、最も低い優先順位は後方都市にあるものです。キーウからの発注は、数日内に東部や南部へ移動する人からのものであれば、条件付きで受け付けています。

財団の新しいプログラムのひとつに「勝利のための自動車」というものがあり、軍の必要性に応じて自分の車を寄付したり、わずかな値段で売ったりしてくれる人々を募集しています。また、医療用バスなど、前線用の車両を購入するための募金活動も行っています。

海外で活動するボランティア財団は、本格的な戦争中のウクライナで活動する際の仕様を必ずしも十分に理解していない、Razom for Ukraineの活動家たちは述べています。例えば、報告書の作成には現金以外で支払うことが望ましいものの、前線に近づけば近づくほど、燃料や車の修理は現金でしか行えない可能性が高くなります。同様に、平時であれば、海外から来る荷物を届ける場所の近くに物流拠点を置くのが適切ですが、ヨーロッパの運送会社の保険はウクライナでは使えないので、Razom for Ukraine財団ではリヴィウが妥協案となりました。14年間アメリカに住んでいたものの、本格的な戦争が始まって数週間後にウクライナに戻ったリュボウ・シポヴィチは、そのようなニュアンスについて述べています。

― ここでは、午前中は倉庫で働き、午後は友人が亡くなったので葬儀に行きます。このような環境に身を置くと、そのことがはっきりと目に見えてわかってきます。

本格的な戦争が始まった最初の頃、ウクライナの市民社会セクターは、同時に現れたすべての大規模な課題に対処するために国家が支援を必要としていたときに、多くの業務を引き受けました。リュボウ・シポヴィチによれば、こうした社会の活発な水平交流は、地方分権と同様に、コサックの生きた伝統の現れであるといいます。ウクライナには中央集権的なボランティア運動がないことが強みになっているということです。

―活動家の数人を物理的に壊滅したとしても、ボランティア運動は数万、数十万人が関わっているなので消えません。 破壊することはできません。

リュボウ・シポヴィチは、ウクライナのボランティア活動はロシア・ウクライナ戦争から始まったのではないと確信しています。そのずっと前、独立の歴史における重要な瞬間に、活動家たちは団結したのです: 花崗岩タイル上の革命(1990年)、「クチマなきウクライナ」活動(2000~2001年)、オレンジ革命(2004年11月末~2005年1月末)、言語マイダン(2012年)、学生抗議行動(2013年)などです。

― ウクライナ人の各世代には、このボランティア運動の波があり、本格的な軍事作戦の開始とともに、ほとんどすべての家庭に影響を及ぼしています。戦争に巻き込まれたり、戦争で苦しんだりする親族はいないにしても、親しい知人や友人は誰にでもいます。そして、これは国民の自然な反応です。守るか、守る人を助けるか、どちらかなのです。

リュボウ・シポヴィチは、2008年にアメリカに移住してからボランティア活動を始めました。当時ニューヨークを襲ったハリケーン「サンディ」の被災者を、アメリカ人の友人たちと一緒に助けました。彼女がウクライナを助けようとするのは、アメリカ人の慈善精神が強く、学生時代からさまざまな形でボランティアを始め、大人になっても続けているからだといいます。例えば、アメリカでは消防士はほとんどがボランティアです:

― 子どもたちは、親がボランティアをしているのを見て育ち、それが自分の存在の一部となります。仕事もあり、家庭もあります。でも、自分の住んでいる地域に何か恩返しをしなければなりません。

リュボウ・シポヴィチは、一般のアメリカ人がウクライナ人を助けるのは、同じ相互支援という態度の現れであり、それが国際的なレベルにまで拡大されただけだと考えています:

― 不公平を感じたら、助けようとするのです。

彼女によると、ウクライナとアメリカの経験は、アメリカでは、自分の街、自分の隣人、自分の通りといった地域コミュニティに向けた取り組みであるのに対し、ウクライナでは、外敵がいるため、国家のグローバルなプロセスに関する取り組みであるという点で異なっています。彼女は、2014年以降、比較的穏やかな時期、ロシアとの交渉や協定締結の試みにおいて、ウクライナ人は地元のグループに力を注いでいる様子が見られたと指摘しています:

― それはおそらく、平時の生活で、自分の家や庭、街のことを気にし始めるときなのでしょう。そして、危険が迫ると、共通の敵に対してコミュニティとして団結するのです。

ロジスティックと民間人の避難

尊厳の革命以降、ウクライナ東部でのロシアとウクライナの戦争の間、Razom for Ukraineはウクライナに援助を届けるための物流スキームを構築してきましたが、ロシアの本格的な侵略を受けて、それを見直す必要があったとリュボウ・シポヴィチは述べています:

― 本格的な戦争が始まる前は、船も来ましたし、飛行機も飛んできたのですが、今は他国を経由する方法を探さなければならないことが明らかになりました。

財団の職員に軍事兵站の専門家はいません。第一線の専門家に聞いても、民間の物流の話ばかりで、空は閉ざされ、港は塞がれ、橋は爆破され、うまくいきません。この戦争でどう行動すべきかが理解されていないのは、ヨーロッパでの最後の大きな戦争が前世紀半ばであったという事実によるものです:

― この規模の陸戦を想定していたのは、ロシアを除いて世界の誰もいなかったのです。

新しい手続きや仕組みを考案し、各国の調達の特徴を考慮し、ロシアやベラルーシのバイヤーと競争する必要があったのです。現在、財団では、配送、注文処理、倉庫での出荷など、倉庫管理のために独自のERPシステムを導入しています。システムの自動化により、管理者は貨物がいつ配達されたかを確認でき、受け取った瞬間から書類や確認書、写真を受け取ることができます。すべてのプロセスは常に調整されています。リュボウ・シポヴィチは、勝利の後は、軍事ロジスティクスについて他国を訓練することができるようになるだろうと言います。彼女は、2022年2月以降の組織の進歩について、以下のように評価しています。現在と当初は大きな違いがありますが、プロセスの改善は継続されています。

ERP-システム
Enterprise Resource Planning Systemは 企業のリソースの計画システム

— 私たちは、何を最適化できるか、費用を節約できるか、パートナーになるか、誰の役に立てるか、何をどのように提供するか、何が緊急で何が緊急でないかを考えています。

現在、この組織はアメリカ、カナダ、ポーランド、ウクライナの4ヵ国倉庫を構えています。ウクライナの倉庫では、2日に1回、貨物を受け取って仕分けし、2~3台のトラックに積み込んでいます。物流責任者のヴィタリー・スヴィチンシキーによると、バス9台とトラック1台(2022年夏時点)の計10台が常に走行している状況とのことです:

― 私たちの倉庫から軍の倉庫に積み替えるのは意味がないので、むしろ何千キロも運転して、そのままそれらが使える状態にしたいです。

ヴィタリー・スヴィチンシキーは、輸送システムの専門家を調整するだけでなく、自らも物資を配送し、侵略が始まった頃には前線の都市から安全な地域へ人々を避難させました。彼がこの活動に参加したのは、彼の家族が脊髄性筋萎縮症(SMA)のある息子のための注射のために200万ドルを集めるのをRazom for Ukraineが支援したからです:

脊髄性筋萎縮症(SMA)
稀な遺伝病。徐々にではあるが不可逆的な経過をたどり、移動する能力、最終的には呼吸する能力が失われることが特徴である。SMAの治療は現在では可能なものの、高額である。

― 私たちの募金活動は、もともと「ディーマ(息子の名前)、私たちは出来る(Діма, ми встигнемо)」と呼ばれていましたが、その後「子供たち、私たちは出来る(Діти, ми встигнемо)」へと変化していきました。Razom(for Ukraine)は、この全ウクライナ的な社会運動のアクティブなパートナーでした。

ロシアの本格的な侵略が始まった後、「子供たち、私たちは出来る」プロジェクトは避難プロジェクトに発展しました。SMAのある子どもたちは医療と特別な栄養が必要なので、大きな戦争の勃発とともに、もはや快適さの問題ではなく、命の問題となりました。ポーランドの財団Fundacja SMAが救援に駆けつけ、避難してきた子どもたちの多くを保護しました。

侵略の最初の日に、ヴィタリー・スヴィチンシキーは家族をウクライナ西部に移し、アリサ・シェフチク(SMAのある子ども)とその母親ハリーナをポーランドに避難させるためにクリヴィイー・リーフに行きました。他の家族も助けを求め始めたので、3月の大半は、セヴェロドネツィク、バフムート、ソレダール、スロヴヤンシク、ハルキウ、ヘルソン方面の集落から子供連れの女性や高齢者を避難させました。最初は車で、次にバスで行いました。ヴィタリー・スヴィチンシキーは、合計で500人以上を避難させることができました。

— 3月の前半は避難活動のみで、その後は人道支援物資の配達を始めました。

一時期は、貨物を運ぶと同時に人を避難させ、少しでも役に立てるような仕組みで動いていたといいます。ヴィタリー・スヴィチンシキーは、「命がけで猛スピードで走ったこともあった」と述べています。橋が爆破され、戦場に入る危険もあるため、ルートは難しく、綿密な計画が必要でした。前線に近づくと防弾チョッキを着るのは、それだけ自分たちの命が脅かされていることを理解しているからです:

― ある場所を車で離れ、その1、2時間後にその場所が完全に爆発されたことが何度も発生しました。

組織には14人の運転手がいます(2022年夏現在)。2人組で運転し、2人目の運転手はフォワーダーとして、軍との待ち合わせ場所の手配や書類の管理などを担当します。彼らは往々にして14時間を道路で過ごします。お互いに仲間の運転手が疲労で眠りに落ちないように注意し、怪我をした場合に応急措置をします。

― 私たちにとって、これは国のためにやらないといけないことです。私たちは供給とサポートを中心に取り組んでいます。前線に行く必要が出てきたら、行きます。

4か月目には、ヴィタリー・スヴィチンシキーと彼の兄弟は、独自の計算によると80,000 kmを運転したそうです。 途中、はホテルや、人の家、教会でさえ、夜を過ごしました。途中、ホテルや民家、教会など、可能なかぎりの場所で宿泊をしたそうです。 今はドニプロまで、どこにも止まらないで行こうとしています。 翌日、計画された場所を回り、夕方には街に戻ります。

— もちろん、今ではドンバスを知り尽くしており、通過できる場所、ショートカットできるところすべてわかっていて、より適切に計画を立てています。だからこそ、私たちは今より効率的に仕事をしているのです。

医療

戦争は、怪我や重傷は避けられないため、兵士や医療従事者が命を救うために必要な手段を確保するために、可能な限りのことを行う必要があります。 Razom for Ukraineがウクライナの兵士と軍の衛生兵に提供する応急処置キットには、外国産のSOF、TMT、CAT、SAMまたウクライナ産のSichという止血帯を含む認定されたもののみが含まれています。認証されていない止血帯は、ロシアンルーレットと呼ばれます。機能する場合と機能しない場合があり、つまりそれは、安全であるという錯覚を作っているのです。認定されていない止血帯の最大の弱点は、通常であればホルダーが緩み、負傷者が出血する可能性があると同財団のエグゼクティブ ディレクターのエヴェリナ・クリレツは述べています。同組織は、包帯、止血帯、絆創膏、手袋、減圧針、鼻咽頭チューブ、はさみ、サーマルブランケット、閉塞包帯など、その内容について明確な要件を設けています。その理由は前線に送られた各応急処置に自信を持ってキットを前線に送りたいからです。

― 私たちはチェックして梱包します。これが良い応急処置キットであることを知っています。その使用が必要ないことを願いますが、万が一必要な場合は命を救うことができるのです。

必要な物資に加えて、子供からの絵を応急処置キットに添付しようとします。 ボランティアたちによると、兵士からの写真レポートでそれが最も感謝されるそうです。

各応急処置キットにはQRコードが含まれており、中身に関する使用方法の短いビデオ説明を見ることができます。ボランティアは満足しています。クチコミの力があって、兵士が救急キットの装備を称賛し、仲間にRazom for Ukraineに問い合わせるようにアドバイスしています。

別で、軍医のバックパックが用意されています。止血帯または絆創膏のサイズと数だけでなく、医学教育を受けているか関連するコースを修了した人向けに設計されたツールのセットになっています。

負傷者を受け入れる医療機関の負担を理解し、Razom for Ukraineは病院医療も扱っています。 彼らは薬だけでなく、医療機器も購入します。 たとえば、医療関係者からの頻繁な要求は、負傷者の状態を評価するのに役立つ患者モニターです。そのおかげでスタッフの負担を軽減します。

患者モニター
患者の主な生理学的パラメーターを監視および制御するための特別な医療機器

応急処置キットの存在は、それが役立つことを保証するものではないため、ボランティアは戦術医学のトレーニングを開始し、Smart Medical Aidと協力して「一緒に心臓を発射しよう」というプロジェクトを開始しました。 その目的は、トレーニングと教育キャンペーンを通じて、人に心肺蘇生を提供するスキルを習得し、普及させることです。

全面的な戦争に関連する要求に迅速に対応する必要があるため、組織の他の多くのプロジェクトを中断する必要がありましたが、エヴェリナ・クリレツによると、それらは注目されなかったわけではなかったとのことです。 戦争前に実施された最も成功したイニシアチブの1つは、Co-Pilotでした。アメリカの脳神経外科医は、ウクライナの同僚に、これまでウクライナで行われたことのない手術を行うように教えました。 例えば、てんかんの手術です:

— プロジェクトが保留された後でも、努力とその結果が表示されるのはうれしいことです。つまり、特定の種類の手術を行うことを学んだ医師は、それを続けています。

脳神経外科医のミハイロ・ロウハはこのプロジェクトで学び、ニューヨークの脳神経外科医のリューク・トミッチと共にウクライナで働き、アメリカでインターンシップをしていました。2月24日、ミハイロは手術を行う予定でしたが、当時住んでいたルーツィクで朝から爆発がありました。予定されていた手術はキャンセルされ、病院は宿泊体制に切り替わり、大量入院の可能性に備えました。ミハイロは、各国の知り合いの小児神経外科医に手紙を出して、何が起こっているのかを伝えました。その後、彼はリヴィウの病院の小児外科の責任者になりました。

― 今、敵が一人しかいないように見えても、実は残念ながら、解決しなければならない問題は他にもたくさんあります。戦争の勃発とともに、病気はなくなったわけではありません。

脳や脊髄に損傷を受けた傷病児を扱う部門ですが、病態が消えたわけではなく、すべての患者が海外に行くわけでもありません:海外に行くことができない人もいれば、家族と一緒に痛くて海外に行きたくない人もいる、とミハイロ・ロウハは述べています:

― 私たちは、ソファの上であまり怠けることはありませんでしたが、最近はさらに頑張っています。

Razom for Ukraineチームの夢は、子どものためのてんかんセンターを作ることです。この病気には、診断だけでなく、手術や看護もできる医師がいるからです:

― 私たちの目標は、子どもたち一人一人の生活の質を可能な限り向上させることです。もちろん、可能であれば、完治させてあげたいと思っています。

ミハイロは、本格的な戦争の数カ月間、ウクライナ社会にはポジティブな変化があったと考えています。誰が味方で誰が敵なのかが本当に重要であることに気づき、人々は団結したのです:

― 言ってしまえば、まだ揺らいでいなかった人たちを揺さぶったのだと思います。これは、何世紀にもわたる私たちの戦争であり、私たちの抵抗です。いずれにせよ、どこかの世代がそれを終わらせなければなりません。私たちの世代は、その準備が最も整っていると思います。

心理支援センター

戦争は、ウクライナ人の生活に多くの痛み、困難な変化、喪失をもたらしました。以前は心理カウンセリングを受けなかった人たちが、今では専門家のアドバイスを必要とすることも少なくありません。Razom for Ukraineは、怪我をしたときの応急処置と同様に、心の健康においても応急処置が重要だと考え、戦争の終結を待たずに、Rockefeller Foundationと共同で「Razom ズ・トボーユ(Razom з тобою / ラゾム・ズ・トボーユ:「あなたと共に」の意味)」プログラムを開始しました。エヴェリナ・クリレツは、このアイデアはずっと前に生まれ、その実現について長い間考えてきたと言います。現在、心理カウンセリングセンターはリヴィウに2カ所、イヴァノ=フランキウシクに1カ所の合計3カ所あります。

― 国内避難民の人々、息子が前線にいる兵士の母親、連絡が取れない妻や恋人など、彼らは話し相手やサポートが必要なのです。

無料クラスはオフラインで行われ、グループと個人の2つの形式があります。プレイルームもあるので、母親は子どものことを気にせず、安心して心理カウンセラーに相談することができます。グループセッションで子どもたちが絵を描くこともある、とエヴェリナは述べています:

― その絵をもとに心理士が子どもの状態を判断し、倉庫にある救急箱にそれを私たちは詰め込みます。優しさの循環です。

エヴェリナ・クリレツによれば、グループレッスンの利点は、参加者が互いの異なる意見を聞き、お互いを知り、コミュニケーションをとることができることです:

― 子どもを亡くしたお母さんも(それは大変なことです!)、センターにいながらにして、お互いに支え合うことができるのです。

このセンターには、関連する教育や経験を持つ専門家が常駐しています。その一人が、リヴィウで障害のある子どもの発達と実践のための「ヴィーリュ・ウ・テーベ(Вірю в тебе:ウクライナ語で「君を信じている」の意味)」センターを運営する神経心理学者のユリヤ・ブルダです:

― 私たちは、10代の子どもたちや、不幸にも敵のミサイルや爆弾に当たってしまった子どもたちを対象に、ここウクライナで可能な限り生活を再建するための支援を行っています。

ユリヤは、家や会社を失った人々で、ウクライナを離れたくないという人も支援を求めていると言います:

― 彼らはまだウクライナで何かをしようと考えています。なぜなら、彼らにとって最も重要なのは家にいることだからです。そして、その支えとなるものが本当に必要なのです。

ユリヤは、感情面で対処するのが難しいときは、専門家の助けを求め、その状態を放置しないようにと呼びかけています。心理カウンセラーの仕事は、平時とは異なります。なぜなら、計画の見通しがまったく異なるからです。次のミサイルがどこから飛んでくるか、誰にもわかりません。

― 次のミサイルがどこから飛んでくるかわからないし、あと何年生きられるかもわかりません。しかし、私はこの時間を、涙ではなく、笑顔で、幸せな人間として生きたいと思うことは確かです。そして、この時間は、多くの人々に、自分の住んでいる部屋に執着しないことを教えてくれました。

エヴェリナ・クリレツは、ニュースチャンネルの定期購読を停止したのは、24時間、どうしようもないネガティブな出来事が報道されていた最初の頃の感覚を覚えているからだと言います。組織に参加したことで、特定の人を助け出す、病院に必要な薬や機器を提供する、避難経路を計画するなど、特定のタスクに集中し、自分の強みを理解することができたといいます:

― 私はウクライナ人であり、母親であり、自分の前線に立っています。それが、動き続ける力、未来を信じる力、計画を立てる力を与えてくれるのです。

エヴェリナ・クリレツは、勝利を信じ、ウクライナで暮らす娘の将来を考えることで、燃え尽きないようにしています:

― ロシアでの生活…想像もしたくありません。地獄よりひどい。娘にはそんな未来は望んでいませんし、そうならないように可能なこと、不可能なことをすべてやっていきます。

エヴェリナ・クリレッツにとって、コミュニティの一員であるという実感は重要であり、どんなに複雑な問題でも数回の電話で解決することができる貴重なものです。隣人の世話をする人、兵士に防弾チョッキを買う人、薬を仕分ける人など、どんな助けも重要だと彼女は考えています。

— これは非常に重要であり、それが私たちを今ある私たちにしています。他人事にしない、お互いを見捨てないウクライナ人です。このつながりは非常に大切で、私たちに「耐え切る」またウクライナであり続けるための助けとなります。これこそが、私たちを勝利へと導いてくれるのです。

共に勝利へ

現在、Razom for Ukraineの多くのプロジェクトが休止中であり、チームはロシアの侵略による被害との戦いやウクライナ軍の支援に力を注いでいますが、米国におけるウクライナに対する弁護は引き続き優先事項となっています。弁護チームは、ウクライナへの支援レベルが低下しないように、また国際社会が安全保障上の利益を理解するように、両国の市民活動家や政府関係者と関係を築いてきました。リュボウ・シポヴィチは以下のように確信しています:

― 帝国は止まりません。世界がクリミアを呑み込んだとき、それはロシアが前に進むことができるという合図となりました。彼らは力しか理解せず、説得は効きません。交渉で解決できる問題ではないことを世界が理解することが非常に重要で、シンプルに止めることが必要です、厳しく、力ずくで。越えてはいけない一線を示す必要があるのです。

エヴェリナ・クリレツによれば、ウクライナ人が国際社会に対して発信しているメッセージのひとつとして、私たちは国際社会に「魚を釣ってくれ」と頼んでいるのではなく「釣竿をくれ」とだけ言っているのだといいます。ウクライナ人は責任を持ち、自分の命という最も貴重なものを危険にさらしています。そして、ロシアが平和な街を更地にし、幼稚園や産院に爆弾を落としている以上、中途半端なものはなく、白黒しかないのです。

勝利の後、財団は戦争退役軍人と協力し、国の再建に関与することを計画しています。リュボウ・シポヴィチさんは、ウクライナが独立し、強く、経済的に成り立つヨーロッパの国になることを望んでいます:

― 勝利の後、仕事は減ることはないでしょうし、増えるかもしれません。

彼女によると、ウクライナ人が戦い続けるのは、自分たちの強さ、勝つための能力を信じているからだといいます:

― 欧米のパートナーでさえも、多くの人が予想していたように、ウクライナが3日で陥落する、ということはなかったことで、社会はすでに変化しています。ウクライナ人が自分たちを信じたときに、ターニングポイントがあったのだと思います。

戦争が続く限り、Razom for Ukraineは軍を支援し続けます。戦術医学を習得し、基礎的な軍事訓練を受け、必要であれば国を守るために弾薬を事前に購入するなど、誰もが今、できる限り多く関わるべきだとリュボウ・シポヴィチは確信しています:

― 私たちの主な目標は、すべてのウクライナ人そして文明世界全体と同じで、敵を阻止して領土を取り戻すことです。組織として、私たちは武器を供給することも、戦うこともできませんが、私たちを守ってくれる人たちのために関与することはできます。

コンテンツ作成スタッフ

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編集長:

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編集:

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コンテンツマネージャー:

カテリーナ・ユゼフィク

翻訳:

リュボフ・カルジリオ

翻訳編集:

藤田 勝利

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