カルパチアのトロッコ列車 (山の中のトロッコ列車)

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カルパチア地方に位置するヴィホダ村では、3,500人が住んでおり、またその村にはとある面白いトロッコ列車が、100年以上に渡って今も保存されている。木材輸送のために作られたそのトロッコ列車は、二度の世界大戦を生き延び、その所有者を変えて伝えられてきた。現在では、工業用だけではなく、観光用にも使われ、路線の周りではインフラ開発が活発的に行われている。

こんにちは!カルパチアのトロッコ列車の旅に参加する皆さま、よろしくお願いいたします!私はズヴィンカと申します。今回の旅で、皆さまに同行させていただきます。いくつかルールを説明しますので、従ってください。

乗り降りは、トロッコが停車した後にしてください。

そして一番大事なルールは、ネガティブな考えや感情は、こちらの乗り場で置いてきて風に飛ばさせておいて、前向きな気持ちで旅をしましょう。

そのようにヴィホダ村のトロッコツアーは始まる。

線路は、ヴィホダ村を起点とし、ミズニカ川沿いに、山の中に布かれている。

オーストリアの男爵からウクライナの観光客へ 

19世紀の後半は、オーストリア=ハンガリー帝国内で活発に産業開発が進んだ時代だった。

その時に、ガリツィアというウクライナ南西部を中心とした地域も、オーストリア=ハンガリー帝国内の一部だったことから、産業開発の影響を受けていた。ウクライナのカルパチア山脈は密森で覆われており、その間、産業開発で木材の需要が高まると共に森林伐採や木材供給の規模が大きくなっていった。そして、新しい木材運送方法が必要になった。

1873年、レオポルド・ポッパー・フォン・ポドガリというオーストラリアの男爵は、ヴィホダ村に訪問し初めて木工事業を紹介した。それ以来、ヴィホダ村には初めて蒸気製材所(木工場)が登場し、スターリー・ミズニ村には木工工場が設立された。

ポッパー男爵は、1890年代には既に、最初のトロッコ列車の建設をスタートした。最初に建設されたエリアは、ヴィホダ村からスターリー・ミズニの木工工場までの3キロに渡るものだった。

その後、第一次世界大戦が始まった為、ポッパー男爵はどうすることも出来ず、カルパチアにおける木工営業から撤退しなければならない状態になった。トロッコがイギリス人に売却されたが、1918年から1920年におけるスターリー・ミズニ村~ミズニカ渓谷における線路の建設は、ポーランドの会社が行った。その時から、トロッコの主要路線はソボールまで伸びた。

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主要路線以外にも、スヴィチャ川の渓谷にて第二路線の建設が1913年に行われ、ヴィホダ村からリュドヴィキウカ村までの21キロに渡る新しいトロッコ線が建設された。

しかし一年後、その工事は中止となり、次に建設が再開されたされたのは23年後であった。新しいトロッコ線の最終駅の二つの駅が、「ベスキド」と「スヴィチャ」という2つの駅で、路線の長さは65キロであった。

 

第二次世界大戦後、その二つのトロッコ線は一つの路線となり、更なる新しい路線建設の工事が始まった。当時、ヴィホダ村のトロッコの長さは180キロにものぼった。

その後次第に伐木の量が減り、ヴィホダ村のトロッコ列車は衰退してしまった。

1990年代には、トロッコの長さが135キロまで短縮され、また1998年には、大規模な洪水のせいで全路線の半分ほどが破壊されてしまった。

2000年にはヴィホダ村の木工産業復興や、ファイバーボード製造工場の建設を目的とした「ウニプリト」という新しい組織が立ち上がった。ファイバーボードの製作には、木材の収穫を必要とし、木材の収穫・運搬のためには、トロッコを修復しないといけなかった。当時カルパチアのトロッコ列車は、使用可能な線路が7キロしかない状態であったが、「ウニプリト」によりさらに75キロの線路が復元された。それ以来、貨物列車や木材運搬用のトロッコ列車が走るようになった。

2003年には、そのトロッコはカルパチアのトロッコ列車と呼ばれるようになり、観光用としても使用されるようになった。

「カルパチアのトロッコ列車」は、TU6P-0037鉄道車両、2台の乗客車両、およびオープンプラットフォームで構成されている。トロッコは、運転手操縦を見ることが出来る12席の客席がある機関車、クローズドの車両とコンバーチブルの車両の2両の他、荷台からも構成されている。

リュボミルの最初の旅行

リュボミル・ヤツキウは、ヴィホダ村の観光地としての魅力の改善とトロッコのリノベーションに取り組んだ最初の人達の一人である。

2003年には、第5回ボイコフェスティバル(ボイコ:カルパチア山脈に住むウクライナの民族グループの一つ)が開催された。この行事では、ボイコの伝統・習慣に関する展示や、 正真正銘のボイコの風習・伝承の普及、また民芸品の復元を目的とし、ウクライナ中からボイコの人達が集まった。、その頃地方の行政職員であったリュボミルは、観光事業分野を担当していたことがきっかけで、最初の観光ツアーに関して計画していた。

「ウクライナ中から集まったボイコの人達に『素晴らしい、こんなイベント見たのは初めてだ。』と言ってもらえました。そこから、次の車両、また次の車両、そしてコンバーチブルタイプの車両の導入と、次々に発展させていきました。一番大きかったのは、ルーマニアやポーランド、オーストリアのような他国のトロッコ列車に関する協会と協力関係を築けたことでした。」

「『ウニプリト』の協力があったので、何とか計画を遂行することが出来ました。休日である月曜と火曜以外は、まる一週間、一年中ずっと稼働しています。冬だったら、列車で行きながら、2-3メートルの雪の丘に囲まれている景色が想像できますか。冬に木材を運ぶのは最高です。トロッコ線が清掃されている一方で、私達は『ウニプリト』とスケジュールを調整します。このプロジェクトは、トロッコ線周辺の歴史遺産・自然遺産の保存を目的とした、国境を越えた協力プログラム・「ハンガリー-スロバキア-ルーマニア-ウクライナ」の一部です。観光用と産業用の二つのルートを設定しており、木材がどのように伐採・収穫されているか紹介しています。 」

観光ツアーは毎週末行われる。ルートのオプションが2つあって、一つは、ヴィホダ村からドゥボヴィー・クート駅とミズンスキー滝までの4時間の一般ルートで、もう一つは、途中停車も含めた、ヴィホダ村からシルコーヴェツ→スターリー・ミズニ/ノーヴィー・ミズニ→ドゥボヴィー・クート→ソロトヴィンスケ・リスニーツトヴォ→ミンドゥノクと通るルートである。

最初は、「カルパチアのトロッコ列車」のプロジェクトチームには2人しかいなかったが、現在ではもう既に7人のメンバーがいる。しかしリュボミルは人員不足であるという。

「最近では、カルパチアのトロッコ列車について研究し、論文を発表した人が6人いました。その6人の中にはうちでガイドをしているズヴィンカもいて、彼女が論文で研究したことについて、私達の仕事に取り入れています。今の若者達が何か新しいことを生み出してくれていることはとても素晴らしいことだと思います。今では、リヴィウでしか専門家の研修を行っていません。これはブリンザーを教育するためのものです。これまでずっとトロッコを運転してきた者は、もう引退が近づいているのです。でも、打開策はあると思います。去年はうちで一人、『ウニプリト』からも二人雇いました。今年も、研修のために人を雇うつもりです。今はまだ伝統的な職業ではないかもしれないですが、いずれ伝統的な物になると思います。」

ブリンザー
列車内や運転手への安全対策を行う人。
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このヴィホダ村のトロッコ列車は一週間で500~700人の人が利用する。ルートが開設された当時は月に300~500人程度の利用者だったが、今は20,000人まで伸びた。リュボミルは冗談ぽく、トロッコ列車の乗客数がヴィホダ村の人口の10倍にそろそろなるのでは、という。

「これは本当にユニークな路線で、いまや『カルパチアのトロッコ列車』は観光資源の基礎となっています。貿易、日常生活、さらに博物館にまでもトロッコは影響を与えており、また、みんなが休む場所として機能してます。」

ヴィホダ村トロッコ列車遺産センター

2016年4月、ヴィホダ村にてウクライナで他に類を見ない博物館がオープンした。旧ポッパー男爵邸だった、村で一番古い建築の一つである、明るく鮮やかな二階建ての建物は、いまやヴィホダ村のトロッコ列車に関する交流型の博物館となっている。ここでは展示物に触れることが出来るのはもちろん、むしろ対話を大事にした展示を重要視しているため、展示に触れることを勧めている。また、キツネの住処や木の穴に入ったり、実際に列車を運転することも簡単に可能だ。

ここでは、この土地の自然や、特に木材加工工場についての歴史を知ることが出来、また、ボイコの生活や文化、伝統について知ることが出来る。

この博物館は、イヴァーノ・フランキーウシク州の観光協会代表であるオクサーナ・フェードロヴィチが、このプロジェクトを企画し支援を得たことにより実現した。このプロジェクトは観光協会と村議会の共同プロジェクトである。

オクサーナのおかげで、男爵の邸宅を復元し、カルパチア山脈の動植物の博物館を造り、それをトロッコの博物館と組み合わせるという3つのプロジェクトをまとめることに成功した。このセンターが完成するまで、3年半かかったという。

「ここは全て壊れていたので、オクサーナはゼロからすべて行いました。とても大変でした。」

またここでは、ヴィホダ村のトロッコ列車についての歴史に関する特別な映画も見ることが出来る。

セルヒー・アンドルシャクは博物館で働く前は、村議会で法律家として働いており、この博物館のプロジェクトに対して法務面で支援を行い、その後はこのプロジェクトのコンサルタントとなった。

「観光業界というものが好きになりました。ここでは毎日感謝の言葉を言ってもらっていて、実際にこの仕事に対してみんなから感謝してもらっています。みんな感激しており、子供たちはみんな、世界で一番の博物館だ、と言ってくれます。フィードバックブックや、誰でも希望を書けるボードもあります。」

博物館の展示はオクサーナによって手がけられた。リュボミルとセルヒーは彼女の仕事に感激したという。

「私達はトロッコ列車と列車に関する博物館の再生を目指していましたが、資金がありませんでした。『ウニプリト』のような民間企業には資金を提供してもらえない中、オクサーナが現れました。彼女に出来ないことはありませんでした。彼女はこのプロジェクトを担当し、予算を50万ユーロに削減しましたが、トロッコ列車の再生し交流型の博物館を完成させました。」

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このセンターへの来館者で多いのは子供で、それはここのものに触れ合うことが出来るからだけではなく、緻密なアイデアによるものでもある。ここではフィンランドのプロジェクトの一環としてエコクラスが作られており、子供向け用の特別な本や自作の練習帳を準備し、さらに顕微鏡や双眼鏡も揃えている。また、子供達にゴミの分別について教えている。セルヒーはセンターのチームと一緒に生物学をここで教えることを目指している。

「子供とは多くの時間を公園で、つまり自然の中で過ごしています。一緒に座るためのイスがあり、ピクニックの時に一緒に持っていきます。鳥の観察に使える大きくてしっかりした双眼鏡と、植物が何で構成されているかを観察するための顕微鏡を購入しました。」

トロッコ列車以外にも

以前は、カルパチアのトロッコ列車に乗ってすぐ帰ってしまうというケースもあったが、今は博物館がオープンしたことで、当時とは違いこの村で見るものがより増えた。

村の中心部には、地元の職人が作った商品を販売するお土産屋がある。また、お土産を作る職人工房もある。

「私達の課題は、出来るだけ多くの人にこの村へ再び来てもらうようにすることです。それが私達の謂わば収入源になります。また私達も、村がもっと豊かになって村のことをもっと知ってもらいたいので、自分達の収入を村の予算に対して払っています。他のプロジェクトにも参加して、もっと発展していきたいと思ってます。」

リュボミルは、古いサナトリウムをリノベーションし、ホテルに変身させることを夢見ている。

「私はサナトリウムを作ろうといったわけではなく、外国と同様、ホテルを作ろうと提案したのです。ホテルにはライセンスを持ったマッサージ師のように、専門的なサービスを提供することが出来ます。今、サナトリウムのために認可をとるのは難しいですし、サナトリウムを維持することも時代遅れです。ホテルに来れば、キノコを集めたり、恋人と5日ずっと一緒に過ごしたり、マッサージを受けたり、プールにいったり出来ます。」

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それでもやはり、カルパチアのトロッコ列車は、ヴィホダ村のメインの観光アトラクションである。車窓からの息をのむような景色以外にも、多くの歌や語り、ジョークを交えた特別なシアター形式のツアープログラムも、見どころの一つである。

列車チームは良く連携がとれており、一体となって動いている。多くの場合、車掌・ツアーガイド・ブリンザー・運転手の4人でツアーを行う。

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オレフは、観光ツアーが開始したほぼ当初から、車掌とツアーガイドとして働いている。ツアーが考案されて、リュボミルが彼を自分のチームに引き入れた。

「その頃、この先一緒にツアーを発展させられる人を既に探し始めていました。なぜなら、設備を整えたら、次はそれを扱える人を探さないといけないからです。彼に出会えて、私はとてもうれしいです。」

「カルパチアのトロッコ列車」には、オリジナルの音楽もある。

「私達ボイコの、ウクライナの音楽をみんなに浸透させたいと思っています。ドネツィクや、ドニプロ、さらにはチェルニウツィーから来る人もいます。そして彼らは、『是非ウクライナの歌を歌ってください』と言ってくれるのです。」

カルパチアのトロッコ列車にはもう一つ特徴がある。それは、「ピッカールディシカ・テルチヤ」というグループが、まさにこのトロッコ列車のために作った「スターレンキー・トランバイ(昔ながらのトロッコ列車)」という歌である。彼らは、実際にトロッコ列車に乗った後で、この歌を作ったという。

「カルパチアのトロッコ列車」は一年中稼働しており、つねに観光客でいっぱいとのことだ。

「私達は、トゥルスカーヴェツ・モルシン・リヴィウ・ヴィンニッツァのツアーオペレーターと協力しています。今は、ベラルーシ・オーストリア・ポーランド・ドイツからの観光客が多く来ています。このように、私達はボイコについてヨーロッパ中に語り伝えています。」

撮影の様子

ヴィホダ村のカルパチアのトロッコ列車や、その後スコリウスキ・ベスキディ国立自然公園に行った様子についてはこちら。

~によってこのコンテンツは作成されました。

企画:

マリナ・オドノローフ

プロジェクト企画:

ボフダン・ロフヴィネンコ

編集:

イェウヘーニヤ・サポジニコヴァ

プロデューサー:

オリハ・ショル

フォトグラファー:

ドミトロー・バルトシュ

カメラマン:

オレクサンドル・ポルチャン

カメラマン,

映像編集,

音響:

パウロ・パシュコー

映像編集:

マリヤ・テレーブス

監督:

ミコーラ・ノソーク

写真編集:

オレクサンドル・ホメンコ

トランスクライバー:

マリア・ホルーフ

トランスクライバー:

オレクサンダー・ベロウ

翻訳:

ソフィア・オヌシュコ

翻訳編集:

翻訳コーディネーター:

マクシム・シトニコウ

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