ナタリヤ・ポネディロク

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「別世界」 砲撃された車両の墓地を捉えた写真プロジェクト

フォトストーリー

「別世界」 砲撃された車両の墓地を捉えた写真プロジェクト

本格的な戦争が始まってから1年以上が経過し、ウクライナの人々は毎日のように歴史的な出来事を体験し目撃しています。私たち一人ひとりがそれを理解しようと努めていますが、数カ月あるいは1年経っても起こったことのすべてを理解することは困難です。しかし、答えを探すことで、私たちは自らの個性や忍耐を強め、最終的には価値観を形にすることができるのです。

模倣国のロシア

戦争

模倣国のロシア

「ロシアは反欧米だ」 というテーゼはメディア空間でよく耳にされています。確かに、この国は、独自の方法ではなく、他国への反発姿勢を通じて自分自身を伝える一方で、ロシアも所有しているかような民主主義と欧米の価値観で自分自身を覆い続けています。「ルースキー・ミル(ロシアの世界)」は、文明世界の価値観や思考をひねったり歪めたりしてしまう歪んだ鏡のようなものです。

占領下のブチャを写真で振り返る

フォトストーリー

占領下のブチャを写真で振り返る

ブチャ、イルピン、ホストメリ — このキーウ近郊の小さな3つの街の名前は、今や世界中が知るところとなっています。2022年2月24日に全面戦争を開始したロシア軍によって行われたウクライナ人の大量虐殺が初めて明るみに出たのが、まさにこれらの場所だったからです。 3月には、占領軍の最初の攻撃目標となった、キーウ州のポリッシャ地方の複数の集落をめぐる熾烈な戦いが続きました。ウクライナ軍は4月の初めにこれらの地域を解放しましたが、それまでの1か月あまりにわたるロシアによる占領期間は、現地住民にとって真の苦難と悲劇の時となりました。ほとんどの期間は通信手段もなく、避難の見通しも立たず、何よりも、容赦無く街を破壊し、一般市民を殺害する残忍な敵に直面させられていたのです。

「壁に残された証拠」ウクライナでロシア軍は何を書き残したのか

フォトストーリー

「壁に残された証拠」ウクライナでロシア軍は何を書き残したのか

破壊と悲しみに加え、ロシア占領軍は一時的に占領されたウクライナ領土の壁に数多く書き残しています。これらは、ロシアの侵略の残酷さと理不尽さを理解するまたとない機会となっています。   2022年4月以来、文化機関「ミジュヴハミ」のチームは、ウクライナ領内でロシア軍が書き残したものを収集しています。彼らはキーウ・ポリッシャ地方やスロボダ地方へ出張したり、オープンソースで資料を探したりしています。彼らの活動の成果は、「ルスーキー・ミール(ロシアの世界)」の真の意味を示すオープンアーカイブ「壁に残された証拠(Настінні докази / ナスティンニ・ドーカジ)」プロジェクトとなります(2023年3月に無償で利用可能になる予定。)このフォトストーリーは、「ミジュヴハミ」チームのメンバーであるロクソラーナ・マカルが説明するこれらの出張の1つに関するものです。

ソレダール:ドネツィク地方の塩坑がある土地

コミュニティ

ソレダール:ドネツィク地方の塩坑がある土地

2014年、ロシアの占領軍はドネツィク地方のソレダールという街を占領しようとしました。しかし、彼らは数ヶ月間しか持ちこたえることができませんでした。2022年2月24日以降、この街は繰り返し敵の攻撃を受け、2023年1月初旬にはロシア軍が攻撃を強め、ウクライナの防衛部隊はソレダールの外に防衛線を移動させざるを得なくなりました。ヨーロッパ最大級の塩の採掘企業や急速に発展した観光産業があったこの町は、ロシアの「解放者たち(ロシア語で「アスヴァバディーテリ」)」によってほぼ完全に破壊されたウクライナの集落の一つとなりました。

ロシアはどのようにクリミアを占領したのか?

戦争

ロシアはどのようにクリミアを占領したのか?

2014年2月20日は、ロシアがクリミアの占領を開始した日です。ウクライナ人活動家の失踪、重要施設の占拠に伴う現地人に対する脅迫と彼らの「人間の盾」としての利用、そして偽りの住民投票の実施など、これらは侵略国が半島にもたらしたものです。クリミアの占領は、ロシアが「ロシア固有の領土」を返還したいという願望に対して世界がどのように反応するかを確認するためのリトマス試験紙となったのです。世界の大半はロシアの行動を非難しましたが、実際には、ロシアがウクライナの土地を一歩一歩食い潰していくのを、誰も、そして何も止めることができなかったのです。