フォトストーリー

マリウポリの思い出: ドラマ劇場

ターニャ
2021年の夏でした。私は友人の民俗劇場「テアトロマニヤ」のディレクターであるアントン・テリビゾウとの待ち合わせに向かう途中でした。これは彼が撮った写真です。マリウポリの住民は、しばしばドラマ(現地の人は「ドラマ劇場」をこのように言います)の近くで待ち合わせをしていました。

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マリヤ
2019年12月29日、大雪の日でした。友人のナターシャに呼ばれて、子どもたちと散歩に行きました。ドラマシアターの裏(裏側、職員用の通用口があるところ)には、ちょうどアイスリンクが設置されていました。とても幻想的で素敵でした。マリウポリと広場はクリスマスのイルミネーションで飾られ、大人も子供もクリスマスムードを楽しんでいました。変な帽子と手袋をしたのを覚えています。本当に幸せでした。

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ヴィクトリヤ(自分の息子との写真)
バイカーのシーズンが開幕する時でした。バイカーである夫と私はこのイベントを見に来ました。これは2020年の写真で、船乗りである夫は航海中ではなかったので、参加することができました。バイカーシーズンの開幕(春)と閉幕(秋)は、毎年この街で行われていました。

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スヴィトラーナ
写真は2021年9月29日の私です。この日はブックフェスティバルとマリウポリ市の日がありました。その年はたくさんのお祭りがありました。午前中は友人と散歩に出かけ、本を買いました。夕方にはチャリティーフェアがあって、そこでボランティアをしました。そして海へ行きました。コンサートがあり、桟橋がオープンしていました。朝近くに帰宅しました。晴れてて暖かくて良い日でした。

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レーラ
2021年9月21日のことでした。私は市の記念日のコンサートプログラムに取り組んでいて、イベントの準備に携わる人々と会っていました。写真では、友人のアレウティナと私は演劇劇場の裏にいます。[...]そこのスタッフはとても親切で、いつも笑顔でフレンドリーでした。

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オリハ
2019年8月30日の写真です。(写真には)母のヴァレンティーナがいて、私たちはドラマ劇場近くのMariupol Classic音楽祭にいました。野外で市民が集まり、芸術に少し触れることができる素晴らしいイベントでした。
母は2022年3月10日、スヒードニー地区への爆撃の際、自宅で亡くなりました。

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ターニャ
私の両親はマリウポリに住んでいて、夫と私は2021年12月末に数日間マリウポリに滞在しました。当時、私は妊娠5カ月でした。冬の気候は素晴らしく、その年のマリウポリのクリスマスツリーはウクライナで最初に登場したものの内の一つでした。素晴らしい場所でした。当時から不穏な空気が漂っていたという話もあります。まさか、2月に数週間ほど両親のところに行くことになっていたんですから。それが実現しなかったのは不幸中の幸いでした。街が破壊されたことがいまだに信じられません。

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アレウティナ
この写真はマリウポリ解放記念日(2021年)の際に撮影されたものです。写真に一緒に写っているのは、マリウポリで友人だったブロガーのアリーナで、今はジョージアにいます。この象徴的な日は、2015年から市の祝日となっており、2021年には自由広場から劇場まで、様々な部隊の兵士が参加する大行進が行われました。

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アレウティナ
これは2022年2月22日、前日のプーチンの演説の後、「マリウポリはウクライナだ」というスローガンとともに劇場の近くで開かれた集会での写真です。多くの友人や知人いて、どんな状況でも私たちは生き残るという信念がありました。写真に写っているのは、私の息子であるドミトロ・パスカロウ(現在は捕虜となっている)、彼の妻で詩人のオクサナ・ストミナ、ペトロ・アンドリューシチェンコ、オレクサンドル、イェウヘン、マリーナです。故郷への愛で結ばれていた、そして今も結ばれているマリウポリ市民たちです。

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アレウティナ
私の母です。これは90年代後半の劇場近くの冬の様子です。劇場の近くにはいつも街の大きなクリスマスツリーが立っていて、劇場では子どもたちのための新年の公演が行われていました。右側にはフォトゾーンもありました。多くのマリウポリ市民は、劇場の近くにいたカメラマンのことを覚えています。彼と一緒に写真を撮ると、数日後にプリントされた写真がもらえました。

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オレーナ
2021年5月7日、姉と姪と一緒に市内を歩き回り、郵便局から市の庭園、そしてドラマ劇場まで行き、それから姉と姪は私たちを日用雑貨店まで送り、私たちは姉と姪をバス停まで送りました。そうやってよく散歩に出かけていたので、この散歩の具体的な内容は覚えていません。ただ覚えているのは、暖かく晴れた日を満喫して、そばに私の家族がいたという、そのときの気持ちだけです。

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アーニャ
ドラマ劇場、夏...私にとって最も心躍る日々でした。写真は2021年の夏のものです。友達とよくドラマ劇場の近くにあるパン屋さんに行きました。いつも冷たい飲み物と美味しい食べ物を持って、写真の場所に座っていました。笑ったり、遊んだり、子供たちが噴水の上を走るのを見て、そして自分たちもやってみたり。また、ローラーブレードやスケートボード、自転車に乗る人たちもよく集まっていました。不思議に聞こえるかもしれませんが、私たちは仲間の誰かが転ぶ瞬間を見るのが大好きでした。ときどき一人で来て、みんなが散歩していたり、笑っていたり、歌っていたり、動画を取っていたり、カップルで歩いていたりするのを見たりしていました。みんなとても楽しそうでした。そこは温もりのある場所で、そして今でも心を温めてくれる思い出がたくさんあります。今では写真と思い出以外何も残っていません。

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マリヤ
この写真は2021年の夏、マリウポリでiStage演劇祭が開催されていたときに撮ったものです。私は劇場の近くの別の場所で行われた公演に行くことになったのですが、その日全体がとても劇場の雰囲気だったので、写真を撮ることにしました。そして、これが劇場で撮ったほとんど唯一の写真となりました。身近なものを写真に撮らないことはよくあることです。劇場はマリウポリでは常にあるものでした。この写真は偶然撮ったものでしたが、今ではとても象徴的なものになっています。

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Оオリハ
私たちは自分たちのためにレポートを作成していました。私の隣に写っているのは写真家のオレーナ・カリニナで、私たちはマリウポリ写真学校の卒業生です。後ろにはたくさんのジャーナリストがいます。アゾフ連隊を支援するための行進でした。2021年6月13日のことでした。

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2022年3月16日、多くのマリウポリ市民にとってシェルターとして使用されていたマリウポリのドラマ劇場にロシア軍の航空機は500キロの爆弾2発を投下しました。この悲劇の日にあたり、Ukraїner / ウクライナーのチームはマリウポリの住民に、ドラマ劇場に関する写真を送ってもらい、その思い出を語ってもらいました。悲劇の場所となる前、この建物は街の中心で待ち合わせや文化的なイベントが行われる場所でした。

侵略者はウクライナの街や村を破壊し、そこでの生活の記憶を消し去ろうとしています。傷ついた街の記憶は、しばしば痛々しくセンシティブなものですが、その街のストーリーについて後世に残すことが重要です。例えば、現存する写真を集めてスキャンし、撮影日や撮影者、写っている人物や内容などの情報を添えて伝えること等が挙げられます。なぜなら、こうした個人的なストーリーが、私たちの共通の歴史を構成しているからです。そしてこれらはすべて、ウクライナ人による抵抗が続いていることを示しており、私たちのアイデンティティを守りたいという共通の願いなのです。

ターニャ
2021年の夏でした。私は友人の民俗劇場「テアトロマニヤ」のディレクターであるアントン・テリビゾウとの待ち合わせに向かう途中でした。これは彼が撮った写真です。マリウポリの住民は、しばしばドラマ(現地の人は「ドラマ劇場」をこのように言います)の近くで待ち合わせをしていました。

マリヤ
2019年12月29日、大雪の日でした。友人のナターシャに呼ばれて、子どもたちと散歩に行きました。ドラマシアターの裏(裏側、職員用の通用口があるところ)には、ちょうどアイスリンクが設置されていました。とても幻想的で素敵でした。マリウポリと広場はクリスマスのイルミネーションで飾られ、大人も子供もクリスマスムードを楽しんでいました。変な帽子と手袋をしたのを覚えています。本当に幸せでした。

ヴィクトリヤ(自分の息子との写真)
バイカーのシーズンが開幕する時でした。バイカーである夫と私はこのイベントを見に来ました。これは2020年の写真で、船乗りである夫は航海中ではなかったので、参加することができました。バイカーシーズンの開幕(春)と閉幕(秋)は、毎年この街で行われていました。

スヴィトラーナ
写真は2021年9月29日の私です。この日はブックフェスティバルとマリウポリ市の日がありました。その年はたくさんのお祭りがありました。午前中は友人と散歩に出かけ、本を買いました。夕方にはチャリティーフェアがあって、そこでボランティアをしました。そして海へ行きました。コンサートがあり、桟橋がオープンしていました。朝近くに帰宅しました。晴れてて暖かくて良い日でした。

レーラ
2021年9月21日のことでした。私は市の記念日のコンサートプログラムに取り組んでいて、イベントの準備に携わる人々と会っていました。写真では、友人のアレウティナと私は演劇劇場の裏にいます。[...]そこのスタッフはとても親切で、いつも笑顔でフレンドリーでした。

オリハ
2019年8月30日の写真です。(写真には)母のヴァレンティーナがいて、私たちはドラマ劇場近くのMariupol Classic音楽祭にいました。野外で市民が集まり、芸術に少し触れることができる素晴らしいイベントでした。
母は2022年3月10日、スヒードニー地区への爆撃の際、自宅で亡くなりました。

ターニャ
私の両親はマリウポリに住んでいて、夫と私は2021年12月末に数日間マリウポリに滞在しました。当時、私は妊娠5カ月でした。冬の気候は素晴らしく、その年のマリウポリのクリスマスツリーはウクライナで最初に登場したものの内の一つでした。素晴らしい場所でした。当時から不穏な空気が漂っていたという話もあります。まさか、2月に数週間ほど両親のところに行くことになっていたんですから。それが実現しなかったのは不幸中の幸いでした。街が破壊されたことがいまだに信じられません。

アレウティナ
この写真はマリウポリ解放記念日(2021年)の際に撮影されたものです。写真に一緒に写っているのは、マリウポリで友人だったブロガーのアリーナで、今はジョージアにいます。この象徴的な日は、2015年から市の祝日となっており、2021年には自由広場から劇場まで、様々な部隊の兵士が参加する大行進が行われました。

アレウティナ
これは2022年2月22日、前日のプーチンの演説の後、「マリウポリはウクライナだ」というスローガンとともに劇場の近くで開かれた集会での写真です。多くの友人や知人いて、どんな状況でも私たちは生き残るという信念がありました。写真に写っているのは、私の息子であるドミトロ・パスカロウ(現在は捕虜となっている)、彼の妻で詩人のオクサナ・ストミナ、ペトロ・アンドリューシチェンコ、オレクサンドル、イェウヘン、マリーナです。故郷への愛で結ばれていた、そして今も結ばれているマリウポリ市民たちです。

アレウティナ
私の母です。これは90年代後半の劇場近くの冬の様子です。劇場の近くにはいつも街の大きなクリスマスツリーが立っていて、劇場では子どもたちのための新年の公演が行われていました。右側にはフォトゾーンもありました。多くのマリウポリ市民は、劇場の近くにいたカメラマンのことを覚えています。彼と一緒に写真を撮ると、数日後にプリントされた写真がもらえました。

オレーナ
2021年5月7日、姉と姪と一緒に市内を歩き回り、郵便局から市の庭園、そしてドラマ劇場まで行き、それから姉と姪は私たちを日用雑貨店まで送り、私たちは姉と姪をバス停まで送りました。そうやってよく散歩に出かけていたので、この散歩の具体的な内容は覚えていません。ただ覚えているのは、暖かく晴れた日を満喫して、そばに私の家族がいたという、そのときの気持ちだけです。

アーニャ
ドラマ劇場、夏...私にとって最も心躍る日々でした。写真は2021年の夏のものです。友達とよくドラマ劇場の近くにあるパン屋さんに行きました。いつも冷たい飲み物と美味しい食べ物を持って、写真の場所に座っていました。笑ったり、遊んだり、子供たちが噴水の上を走るのを見て、そして自分たちもやってみたり。また、ローラーブレードやスケートボード、自転車に乗る人たちもよく集まっていました。不思議に聞こえるかもしれませんが、私たちは仲間の誰かが転ぶ瞬間を見るのが大好きでした。ときどき一人で来て、みんなが散歩していたり、笑っていたり、歌っていたり、動画を取っていたり、カップルで歩いていたりするのを見たりしていました。みんなとても楽しそうでした。そこは温もりのある場所で、そして今でも心を温めてくれる思い出がたくさんあります。今では写真と思い出以外何も残っていません。

マリヤ
この写真は2021年の夏、マリウポリでiStage演劇祭が開催されていたときに撮ったものです。私は劇場の近くの別の場所で行われた公演に行くことになったのですが、その日全体がとても劇場の雰囲気だったので、写真を撮ることにしました。そして、これが劇場で撮ったほとんど唯一の写真となりました。身近なものを写真に撮らないことはよくあることです。劇場はマリウポリでは常にあるものでした。この写真は偶然撮ったものでしたが、今ではとても象徴的なものになっています。

Оオリハ
私たちは自分たちのためにレポートを作成していました。私の隣に写っているのは写真家のオレーナ・カリニナで、私たちはマリウポリ写真学校の卒業生です。後ろにはたくさんのジャーナリストがいます。アゾフ連隊を支援するための行進でした。2021年6月13日のことでした。

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藤田勝利

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